April 20, 2006

なるほど、怪し気である

重い。

オヤジの目方ではない。

このブログへのアクセスが重いのだ。
こんなことはかつてなかった。
他の人のブログにも同じようなことが書いてあった。
うちの林檎のせいじゃないみたいだ。
なるべく目立たないようにとこのプロバイダーでブログを始めたのに、人気が出てきたのか、はたまたスパムコメントやら、はた迷惑な輩が攻撃しているのか、どちらにしてもうっとおしいことだ。

そろそろ林檎屋へiMacちゃんを修理に出さなくてはならないので、秋葉原へ外付けHDを買いに行って、バックアップを取ってと思っていた矢先。
留守中は窓屋か、お年寄りMacに代わりを務めてもらおうかと考えているが、いっそのことしばらく休むか。
また一から始めて見るのもいいかもね。

今年はモグランポのホームページも作りたいし、ブログのお引っ越しもありえるかも。
対応が悪ければ、とっとと場所替えをするのが今風かもしれん。
どこへ行ってもたちの悪い連中はいるのだろうが、一々気にしてらんないのも事実。
全く、顔の見えないところで調子こきやがって、イヤな連中だ。
対処法なんてなきに等しいし、イタチごっこは見え見えだ。
イヤなら止めるしかないんだろうな。
卑怯者は卑怯な振る舞いにも気づかない。
まあ、いいや、なるようにしかならないのなら、とことんやってやろうか。
でもいつだってやめられるってのが、コイツのいいところだもんね。


13:30:45 | mogmas | | TrackBacks

April 18, 2006

春眠暁を覚えず、というか惰眠を貪る。

春ですなぁ。
桜はすっかり散って、若葉が鮮やかに萌えております。
でも木によってはほんの少しまだ花びらをつけているのもあります。
画像の表示枝の間を走る電線がじゃまくさいですな。
さっさと地中化して、景観と災害の安全確保をするべきです。
必要なのかどうなのか、あっちこちで道路を掘り返している昨今であります。

ご近所の八重桜は今が盛りに咲き誇っています。
画像の表示ぽったりした花びらは、ソメイヨシノと違ってまたいいですなぁ。

眠いねぇ。
陽気がいいととくに眠たいですなぁ。
明け方の3時、4時までビデオなんぞ見ていたりするからですなぁ。
で、朝目が覚めるものの、またグタグタと二度寝をしてしまうのですなぁ。
いけませんなぁ。
今日こそは早く寝るぞと決意しても、風呂上がりに目が冴えてしまうのですなぁ。
もう何年も繰り返している、おバカですなぁ。


13:36:09 | mogmas | | TrackBacks

April 14, 2006

滑って当たり前だと思っていた

むかーし、むかしのことじゃったぁ。
南千住に「東京スタジアム」という野球場があったんじゃ。
そのころは高い建物もなくて、ナイターの照明が付いていると、そこだけまるで光りに浮き上がっているように見えたんじゃ。
だから人々は「光の球場」と呼んで親しんでいたんじゃ。
じゃが、野球というものは夏場の風物詩で、冬になると球場も寂しくなってしまう、そこで頭のいい人が考えたんじゃ。
客席の回りに足場を立てて、ぐるりとドーナツ状にアイススケートのリンクを作ったのじゃ。
グラウンドではリトルリーグの少年たちが練習などをしている上を、スケート靴を履いた人々が思い思いに滑っていく。
なんとのどかな風景ではないか。
古き良き時代のお話じゃあ・・・。

スケートをしなくなってから、もうどのくらいたつだろう。
高校生ぐらいまでは毎年冬になるとどこかしら出かけていったように思う。
南千住に球場がなくなっても、後楽園や池袋にはスケートリンクがあったし、神奈川や富士急ハイランドなどへも行って滑った。
さすがにカウンターで酔っぱらはなければ「イナバウワー」はできないけれど、後ろ向きに滑るぐらいはできた。
氷は滑るのが当たり前と、何の疑問も持っていなかったら、実はなぜ滑るのかは未だに科学的に解明されていないのだそうだ。

現在広く信じられている説は、「圧力融解説」と呼ばれている1886年に英国で提唱されたもので、「氷の上にスケート靴を履いて乗ると、細いブレード(歯)にかかる体重で氷の表面がとけて水になり、滑りやすくなるため」という説だ。
しかし、圧力で融点(水がとけ出す温度)が下がる効果は小さく、普通の靴を履いていても滑りやすい理由は説明出来ない。
また、零下30度の極寒でもスケートができる理由も説明出来ないというのだ。

その他にも「摩擦融解説」や「疑似液体膜潤滑説」という氷がとけた水が滑りやすさの原因だという考えと、滑りに液体の水は必要ないとする「凝着説」などがあるが、いずれも決定打となるには時間を要するらしい。

そんな学者たちの疑問をよそに、氷上の妖精たちは華麗に舞う。
なぜ滑るかということよりも、いかに美しく滑り、技を決めるかということの方が見ている方も楽しいに決まっている。

荒川静香ちゃんはたしかに素晴らしかったけれど、オヤジはあの「イナバウワー」を美しいとは思わない。
あれを見ると、映画「エクソシスト」の中で悪魔に取り付かれた少女リーガンが、あの体勢で階段を下りてくる“スパイダー”歩きを思い浮かべてしまうからだ。
無理しすぎだって、し〜ずかちゃん。
ま、「ヒトリモン」先生のようにひっくり返って後頭部を打つようなヘマはしないんだろうけどね。

13:26:00 | mogmas | | TrackBacks

April 13, 2006

おちょこくんの逆襲

人が気持ちよくアルツの里を彷徨っているところを、携帯でこっそり撮影しおって。

「おちょこくん」たら、油断も隙もありゃしない。
何度も言いますが、水を飲んでいるわけじゃないんだから。
いいでしょ、たまには。
画像の表示正座して正しく羽目をはずしているじゃないか・・・。

あんなことやこんなことだって、いいじゃあ〜りませんか。
画像の表示くどいようだけど、水を飲んでいるんじゃないの。

だって、こんなヤツもいるんですよ。画像の表示
あまりやりすぎて、お灸をすえられちゃいます。
画像の表示反省しなさい。

ね、正しい大人の夜が、正しくべろべろになっていくのであります。

そして翌朝はみんな自己反省するからいいのです。

それが正しい蟒蛇の生き方なのです。

おしまい。

10:58:00 | mogmas | | TrackBacks

April 12, 2006

怒れ、おじさん!!

週刊誌の書評で、群ようこ 著「世間のドクダミ」について関川夏央さんが書いていることに強く頷いた。

現代の日本で「錦は着てても心は襤褸」の根拠不明で自信満々の若者たちにひとこと意見出来るのは、一流の怒り一流の溜息を専有芸とする一流のおばさんしかないという。
おじさんたちは気が弱く、あきらめが先に立ち、説得力がないからダメらしい。
そんな目で世間を見回すと、いる、いる。
一流かどうかはさておき、怒っているおばさんたちは元気だ。
おばさんの圧倒的な怒りの前では、若者もおじさんも無力だ。
じっと嵐が通り過ぎるまで、首をすくめて待つよりない。
へたに口を突っ込こもうものなら、嵐は数倍になって襲いかかってくる。
権力もマスコミもおばさんの恐ろしさを充分にわかっているから、むやみやたらにおばさんをいじるようなマネはしない。
いったいおばさんたちはどのあたりで誕生するのだろう・・・?

幼年期・・・人が生まれてから小学校へ入る頃までのわずか6年間。まだこの頃は何の兆候もないだろう。
少年期・・・小学生の間のたった6年間だが、ここでPTAなどのお母さんたちのおばさんぶりを目の当たりにする。
思春期・・・小学校を卒業して、18歳くらいまでのやっぱり6年間だ。いろいろな大人の醜さを見て感じて、私はそうならないと反発したりする時期。
青年期・・・19歳から、今は35歳くらいまでか。それでもたかが16年間だ。いっぱしゼニを持つと考えが変わるが、おばさん予備軍だということに気づかない。
中年期・・・いよいよおばさん、おじさんの始まりだ。35歳から60歳くらいまでか。女性なら70歳くらいまでおばさんと呼べるのではないか。なんと25年から35年くらいずっとおばさん、おじさんをやり続けるのだ。

どうだろう。
若者といわれる時なんて、実に短いじゃないか。
しかも、おばさんの芽は若者であるうちに形成されている。
ミニスカートでヒールの音を響かせて颯爽と歩いているようでも、その内には“おばさんの芽が”気づかぬうちに芽吹いているのだ
いっそ可愛いおばさんになろうと悟って心がけた方が、その後の長い年月過しやすいかもしれない。
黒木瞳だって、表面的には可愛いおばさんだけど、怒らせたら、主張させたら、そら、もう、恐ろしいおばさんに違いない。
でも、まあ、泉ピン子よりは怒られたいし、怒られがいがあるかもしれない。
どっちにしても可愛いおばさんは得だよね。

「襤褸は着てても心は錦」のおじさんたちは、亀のように首を引っ込めてやり過ごしているけれど、しょせん世の中陰と陽、凹と凸。
いざという時にはガツンとくらわしてやりましょうよ。
飼いならされた犬にならずに、時には怒ってみましょうよ。

あ、こんなことを書いていると、どこからともなく一刀両断のセリフが聞こえてきそうだ。
「うっとうしいよ。グラスが空なんだよ!」
恐ろしい・・・。
あなたの身近にもきっと恐怖のおばさんがいる筈だ。
注意しましょう。




13:45:00 | mogmas | | TrackBacks