November 01, 2005

橋を渡る子供たち

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この橋の名前は「(仮称)汐入大橋」というのだそうだ。
隅田川に架かる橋として何番目になるのだろう。
川に囲まれた北千住地区は、この橋が出来るとまた1つ便利になる。
日光街道や明治通りへのアクセスが増えて、新たな交通渋滞を引き起こすのか、それとも流れがスムーズになるのかわからないが、とにかく久々の架橋にわくわくする。

新しい橋を一番に渡ってみたいという気持ちは、多くの人が持っているのではなかろうか。
もっとも、工事の人より早く渡れるはずはないのだけれど。


昭和40年代はじめ、工事中の鉄橋をいち早く渡った子供たちがいた。
荒川(当時は荒川放水路)に建設中の地下鉄千代田線の鉄橋である。
まだ世の中大らかで、高度経済成長のイケイケドンドンな空気の中、安全管理やらもゆるやかな時代。
大人たちの隙をついてやんちゃをする悪ガキどもが、町にはいっぱいいた。
かく言うオヤジもその一人。
千代田線、北千住〜大手町間の開業が1969年(昭和44年)だから、おそらくその2年ほど前ではないか。
小学4、5年生だったと思うが、誰が言うともなく、新しい橋を一番に渡らなければならないという使命感にも似た決意をみんなが持っていた。
何組かのグループ(仲のいい友達同士)が、夜ごと土手のたもとに集合し、見回りのいない隙に柵を越え、建設途中の鉄橋の起点に立った。
足場板が対岸まで敷き詰められてはいたものの、下を覗けば黒々と流れる川が間近に迫ってみえる。川風は時折突風となって吹き、身体のバランスを失わせる。
まだその頃は川にカッパが住んでいて、子供を引き込んで喰らうという話が噂されていて、一度その恐怖にとらわれた子供はその場で身動きできなくなってしまう。
四つん這いになり、震える子が、
「ぼく、やっぱり帰る・・・」
と弱音を吐けば、その声に怖じ気づいた2、3人が、
「ぼ、ぼくも・・・」
と同調し、一気に仲間意識は崩壊した。
おずおずと逃げ帰る子らを見送り、それでも先へ進むという子供たちにも、少なからず恐怖が伝播して、自然に足を速めさせる。
綱渡りのように広げた両腕でバランスを取り、ひょいひょいと足場板を跳んでいく。
今考えても無謀で命知らずな“遊び”だったと思う。
なんとか対岸へ渡り終えたときには、顔面紅潮して、達成感よりも、恐怖から逃れられたという気持ちのほうが大きかったのではないか。
当時の子供たちの行動範囲からすると、対岸の町は未知の世界だったのに、帰り道はどこをどう通って帰って来たのか記憶にない。
そして、親たちも夜にほっつき歩いていた子供をたいして気に掛けなかったというのは幸いだった。

しかし、天下の“ヒトリモ〜ン”Gちゃんも、この無鉄砲に別動隊で参加していたことが最近判明。さらにGちゃんが猛者だったのは、対岸で待ち受ける他所の小学生の悪ガキと、橋の権益をかけて抗争を繰り広げていたということだ。
当時から身体が大きく、今だったらレイザーラモン・HGしか穿かないようなピッチピチの半ズボンを身につけ、さながらジャイアンのようだったGちゃんならではのエピソードだ。

さて、酔った勢いで新たな橋を攻略するとしようか。
まて、その前に多額の保険金を掛けておかなければ。
今あの無鉄砲をやったら、絶対に帰らぬ人となるに違いない。
ブルッたのではない、生理現象なんだもーん。




13:27:00 | mogmas | | TrackBacks

しょせん夢の中のことですから・・・

箱根に行ったのである。
団体のバスツアーのようだ。
早雲山のあたりから、ローブウェイで芦ノ湖へ下りるコースのようだ。
自由見学というのただろうか、ガイドさんを先頭にぞろぞろ集団で歩くというのではなく、少人数のグーループで行動している。
オヤジとかあちゃんの仲間には、顔はわからないが、なぜか知っているおばちゃ・・・、お姉様が2人同行している。

ロープウェイの中では会話はない。
ただ景色を眺めていたようだ。
ただ、なぜ湖に行かなければならないのか、腑に落ちない感じがしていた。

芦ノ湖のボート乗り場はすごい列が出来ていて、なんだかとてもイヤ〜な感じが強まっていた。
案の定我々が乗るのは、大きな海賊船ではなくて、6、7人乗りでゴム製の「カヤック」か「カヌー」みたいなボートだった。
すでにお客は乗っていて、後ろの4つの席というか“穴”が空いているのみ。
おばちゃ・・・、お姉様方が危なげに乗り込み、次はオヤジの番なのだが、ここでオヤジが乗ってしまうと、ゴム製の穴はドンドン狭くなり、最後に乗るかあちゃんのでかい尻では非常に厳しい状況になると思い、先にかあちゃんを乗せることにした。
うんこらしょっと、穴に片足をかけたものの、その先に進まずバランスを崩し、そのままの姿勢で湖にドボン。
舟の舳先で助けようともせずに見ていた船頭に文句をいい、水の中からかあちゃんを引き上げ、穴の中に座らせたが、落ちた拍子にスカートが脱げて、哀れパンツ一丁。
スカートは湖の底に沈んだのか、見当たらないので、仕方なくオヤジも乗り込み出航。
船頭はゆっくりと櫂を繰り、湖の中央へ。
するとどこからともなく、同じようなゴム製の物売り舟が近づいて来て、飲み物とか、アメリカンドックとか、お好み焼きを売りつけるのだ。
しかもゴムの舟なのに、その上で火を焚き、焼いたり揚げたりしている。
よしゃあいいのに前の席のおばちゃ・・・、お姉様は、アメリカンドックをお買い上げ。
ガブッとかぶりついて振り向いたその顔は、なんとCちゃんではないか。
口からアメリカンドックと棒を突き出したまま、ニカッと笑うのである。
思わずかあちゃんを振り返って唖然。
これまた生焼けのお好み焼きを両手に持ってニーッと笑うのだ。

そんなこんなで船着き場に到着。
前のほうから客が桟橋に降り立つのだが、ほとんどの人の靴や下半身がビショビショだ。
かあちゃんを嘲笑ったのに、自分たちだってダメダメちゃんじゃあないか。
でも、かあちゃんはパンツ丸出しでしょうがないので、バスタオルを腰に巻いた。
気がつくとオヤジは上半身裸で、靴も穿いてない。
バスタオルで下半身を隠したビショビショのかあちゃんと、いまだアメリカンドックを頬張ったままのCちゃんと、異様に背が高く、片山さつきセンセイのようなヘンなヘアースタイルの正体不明のおばさんと、とぼとぼ桟橋を後にした。
するともうそこは繁華街なのである。
雑踏の中を怪しい一行が歩み去っていく。

寝汗をかいて目覚めた。
悪夢じゃ。
フロイト流の夢判断を適用しなくても、相当異常な欲求不満とストレスがあると見て取れる。
いかん。
夢の中まで壊れている。
気晴らしとか、自分へのご褒美とか、滝に打たれる荒行とかが必要なのかもしれない。

こうして、10月最後の日が幕を開けたのである。



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