December 25, 2005

あらしのよるに

小僧が作成です。
12月23日/金曜日に品川で、「あらしのよるに」を見ました。午後1時05分からスタート。初めて品川の映画館に入りました。
ガブーとメイは、友達に会う。オオカミとヤギのお話!!長老のおじいさん。先週の映画「ブラック・ジャックふたりの黒い医者」や「ふたりはプリキュアMaxHeart2雪空のともだち」の観賞。

ガブーは、オオカミの名前。一方、メイは、ヤギの名前。
あらしが来る前に、ガブーとメイが安全の場所に避難しました。
川を渡るとき、メイの足が滑って流れそう。


雪山へ登ると、雪が降りました。雪崩が、大量。
緑の森へ住まい。
今年は、DVDを買います。

16:10:51 | mogmas | | TrackBacks

匠の心意気

久しぶりにトンカチと鉋を振るった。
店の入り口の戸の開け閉めが重くなったからだ。
たぶん戸の重みで底木が垂れてきたのだろう。
戸を外して底の縦の桟に鉋をかける。
戸車にCRCを吹いて元通りにすると、スムースに開け閉めできるようになった。
なんせ「完全手動ドア」なので、時々のメンテナンスは欠かせない。
ついでにあちらこちらをトンカチで叩いた。
ド老眼になってから、釘を打つのが下手になった。
まともに釘の頭に狙いが定まらないのだ。
まったく、不便なオヤジだ。

そんな作業をしたことで、故「西岡常一」さんの言葉を思い出した。
以前ばあさんから話を聞いたことで興味を持ち、自分なりにちょっと調べてみたのだ。

世界最古の木造建築、法隆寺の昭和大修理や薬師寺金堂・西塔の復興で棟梁を務めた「古代の工人と話ができた最後の宮大工」が西岡常一棟梁だ。
法隆寺大工の口伝(くでん)「塔組みは木のくせ組み、人の心組み」を座右に、「塔を建てるという営みは“建築”ではなく“命の移しかえ”」を口癖にしていたという。

そんな西岡棟梁の著作がたくさんある。
「法隆寺を支えた木」・・・日本放送出版協会
「木のいのち木のこころ 天・地・人」・・・新潮社
「宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み」・・・日本経済新聞社
等々。

千三百年も前に建てられた薬師寺の東塔と向き合って建つ西塔は、飛鳥時代の工法を守って再建された。
図面もないところから忠実に再建された西塔だが、実は、高さを東塔よりも5センチも高くして完成された。
その指示をしたのが西岡棟梁。
いぶかしがる若い大工や関係者を前に、西岡棟梁は「千年後に設計図通りになる」と言ったのだ。
現代の常識ではなく、時間や歴史の尺度で塔を建てたのだ。
古代工人の魂と技を持った、なんとも雄大なものづくりではないか。
古代の塔を再建するのに、樹齢1000年の木を切っても、その生命を終わらせるのではなく、新たに命を吹き込んで塔として甦らせるというのだ。
現在までに様々な災害や地震にもさらされたのに、倒れもせずに建っていられたのは、その土地の地盤や偶然もあったろうが、木の特性を理解し、最適な建て方をしたからに他ならないと思う。

宮大工の仕事なんてものはそうそうあるわけではないから、仕事のない時の西岡家は貧乏だったようだけど、すぐにでも仕事が始められるように、古代の「槍鉋(やりがんな)」などの道具類はつねに“身構えていた”という。
まさに匠の心意気だ。

最近世間を騒がせている建築偽造問題の渦中の連中に、この西岡棟梁の言葉を叩き込んでやりたい。

15:47:09 | mogmas | | TrackBacks