December 26, 2005

ばあさんの初体験

ばあさんが倒れた。
救急車で運ばれ、入院した。
道路には真っ赤な血だまりができていた。

23日の2時半過ぎのことだった。
自宅の近所の人が「おたくのおばあちゃんが道路でたおれているよ」と知らせてくれた。
ちょうどかあちゃんはまんじゅうを頬張ったところで、オヤジはトイレでズボンを下ろそうかという時だった。
こりゃ大変だと、ズボンをずり上げ、口をもぐもぐさせた二人が現場にかけつけると、道路の真ん中で、メッカに向かってお祈りをするような格好で、ばあさんがようやく顔を上げたところだった。
その顔は大量に流れた血でべっとり濡れ、悲惨な状態だ。
運良くそこを通りかかった、どこかの病院のヘルパーさんが助けてくれて、救急車を手配してくれた。
ばあさんは意識はあるものの、ショックで目はうつろ、血は止めどなく流れてくる。
取りあえず救急車が来るまで道端の段差に座らせ、血を拭き、背中を擦ってやる。
買ったばかりの眼鏡が血だらけなので、急いで家に帰って眼鏡を洗って取って返すと、サイレンの音が近づいて来た。

救急隊員はてきぱきと処理するが、血は止まらない。
ストレッチャーに乗せられて、そのまま救急車の中へ。
口腔外科のある緊急病院を探すためしばらくそこで待機。
一緒に来た消防車は回れ右して帰還する。
生きているばあさんの姿を見るのはこれが最後かも知れないと、オヤジは写真を撮った。

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さすがに血まみれの顔をこの場で晒すのは憚られるので、道路の血だまりと救急車の写真だけ。

搬送先は「西新井病院」と決まり、かあちゃんは付き添って乗っていった。
去年はオヤジの怪我で付き添ったが、毎年救急車に乗っているおばちゃんも珍しい。
我が家は救急車の常連だ。

ちょうど店が開店した頃連絡があり、かなり出血しているので今夜は入院させるとのこと。
友達と会った帰り道、家の近所まで来て、突然スイッチを切ったように意識がなくなり、顔面から道路に倒れ込んだらしく、前歯が3本折れ、それが元で口の中を切り、下唇のすぐ下も切れたのだった。
ちょうどボクサーのアッパーカットを喰らったほどの衝撃だったろう、意識がなかったのが幸いかもしれない。
77年間マメにケアしてきた自前の歯を3本失い、顎を5針と口の中を3針縫う羽目になろうとは、この年の瀬に来て難儀なことだ。
この夏に一過性の脳梗塞と診断され、一週間ほど入院したが、その後は変なこともなかった。
パーキンソン病は少しづつ進行しているような気もするが、まあ、比較的元気で食事もできたのに。

救急車に乗るのも、身体を縫うのも初体験のばあさんは、不安で眠れない夜を病院で過ごし、翌日の昼過ぎに退院した。
事故の後などはよくあることなのだが、身体の節々が痛く、色々なところに痣や擦り傷がついていた。
家に帰ってきた安心で、すぐに高鼾をかいて眠りについた。

そして迎えたクリスマスには、おかゆと細かくした鳥と、Cちゃん夫妻から頂いたケーキを少々食べることが出来た。
何事もなければ30日に抜糸できるそうだ。
「ああ、お正月にひも付きじゃなくてよかった」
と胸を撫で下ろすばあさんなのである。
まったく、お騒がせなばあさんだぜ。


15:55:16 | mogmas | | TrackBacks