October 29, 2006

シジュウクサイの夜は更けて

  
遅ればせながら、本日私もやっとシジュウクサイの仲間入りしました。
気持ちは「つま恋」の以前からシジュウクサイでありましたが、とうとう一丁前のシジュウクサイオヤジになってしまいました。

「ヒトリモン」と「バーバーくん」と「ヨウコリン」がなにかお祝いしてくれるということで、一段落したあとに自ら宴の準備もしていたら、「ヒトリモン」からはV・I・Pの泡盛「菊の露・古酒」と最近のオヤジのマイブームである「辛味大根」を頂いた。
しかも秋田県鹿角市特産の「辛さ日本一 !!」とキッチコピーのある「松館・しぼり大根」だ。
なんとタイミングよく信州坂城特産の「ねずみ大根」が到着したばかりでもあり、自家製の手打うどんを寝かしていたところなのである。
思いもかけずに秋田VS長野の「辛味大根」対決と相成った。

汗をかいて2種類の大根をおろし、しぼり汁にかあちゃんお手製のネギ味噌を入れ、オヤジ特製のうどん汁を加え、かつお節を入れて、釜揚げした手打うどんを食した。
うーん、なかなかである。
辛さは鹿角の「しぼり大根」の方が上だが、地元の言葉で「あまもっくら」と表現される「ねずみ大根」もいい感じだ。
またまたオヤジの大根コレクションに素晴らしい「しぼり大根」という一品が加わった。
今度はぜひ蕎麦でこの味を試してみよう。

そうこうしているうちに、「バーバーくん」と「ヨウコリン」は2階でなにやら隠れてサプライズを用意しているようだ。
準備がすむと声のデカイ「昭和の酔っぱらい」は、オヤジと「ヒトリモン」をテーブルの奥に座らせ、店の照明を落とした。
そして出てきたのは可愛いパンプキンのケーキが2つ。
1つには4本のローソクと、クッキーにチョコレートの文字でオヤジと書かれ、もう1つには9本のローソクと「、クッキーに「ヒトリモン」の文字が。
「ヒトリモン」の誕生日の時に居合わせなかった2人は、気を使って彼の分もケーキを用意してくれたのだった。
さらにボトルのラベルにマジックのきたない手書きで、「バーバー酒造所製・ドンペペ」と記したシャンパンを開けてくれて、赤い液体を注いでくれた。

乾杯 !!

いくつになってもハッピーバースデー !
そうです、拓郎だってそう歌っているのです。

ありがとう !

感激です。
ここ数年こんなうれしい誕生日はなかった。
手作りの「お楽しみ会」みたいなポスターも、気恥ずかしいけど飾っちゃいます。
ありがとう、「ヒトリモン」、「バーバーくん」、「ヨウコリン」。

だ、が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

♪ 祭りのあとの寂しさが いやでもやってくるのなら 祭りのあとの寂しさは
    酔っぱらった男にくれてやろう もう 帰ろう もう帰ってしまおう
      寝静まった 街をぬけて ♪

というわけで、今夜も酔っぱらった「ヒトリモン」先生を連れて帰るために、私は「内股つねり隊」になって、先日「リンパさん」から教えて頂いた強烈なつねり技で「ヒトリモン」先生の内股を刺激し、尚かつ耳元で歌を歌った。

「千住酔いしぐれ」
(都はるみ&岡千秋「浪速恋しぐれ」の替え歌でございます。わかる人にはわかる)


ゲーのためなら 内股つねる
それがどうした 文句があるか
雨の横丁 モグランポ
千住しぐれか 酔い覚まし
今日も呼んでる 今日も呼んでる
ど阿呆 ひ〜とり〜も〜ん
(セリフ)
『そりゃわいはシジュウクサイや 酒もあおるし お好みも焼く
せやかて それもこれも みんなゲーのためや
今にみてみい ! わいはメタボリックになったるんや
中性脂肪やで わかってるやろ お腹
なんやそのしんき臭い顔は 酒や ! 酒や !
酒ぇ飲まんかい』


ちょうど雨も降り出して、いい塩梅となりました。
シジュウクサイの夜は更けて、家路たどるは午前様。
明日もがんばんべぇー !!!

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October 27, 2006

ふとっちょくんの密会

  
私は口の軽い男ではない。
秘密は守る。
だから今まで見たり聞いたりした他人の秘め事を、自分の胸の奥底へしまい、誰にも明かさず墓場まで持ってゆくつもりだ。
私の死後、この日記が発見されて都合が悪くなる御仁がいたとしても、もはや死者を鞭打つことはできないのだ。
そのつもりでここには、赤裸々にありのままを綴ることにする。

「横浜のふとっちょくん」は妻も子もある身の上で、私の知る限り女がらみの浮ついた話は聞いたことがない。
彼のブログを見ても、ひじょうに子煩悩で、遅咲きながら ♪ サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー ♪に目覚めてしまい、世間へ公開している私生活はほのぼのとして人畜無害な中年男にみえる。
だが、彼の3本目の短い足の様子も熟知している私でも、秘めた女性関係まではいちいち関与していられないから、紆余曲折の中年に成長するまで、彼がどこで何をしていたかは不明の時期があった。

その夜の予約を、彼はいつものように飄々と連絡してきて、私は例によっておちゃらけて、同伴は妙齢の婦人に限るとメールで返したのだった。
すると彼はどこか含みのある返信をよこしてきた。
まさに通じるものがあるとすれば、脛に傷持つ者同志の暗黙の了解というヤツだったのだ。

口開け早々妙齢の女性と現れた「ふとっちょくん」は、「これで何も見なかったことにしてください」とでも言うように「残波・30度」の一升瓶を差し出した。
ウムウム、泡盛初心者の気遣い、ありがたくお受けしよう。
だが、飲むほどに語るに落ちてしまうのは酔っぱらいの悲しい性で、私は聞くともなしにカウンターの2人の会話を耳にし、連れの女性のプロフィールを組み立てるのであった。

今や天下の自由人、30半ばは女の花盛り、かつてイベント・コンパニオンとして活躍した経歴は伊達じゃない。
背筋はしゃっきり、言葉遣いもしゃっきり、パンパンッと言い放つセリフ回しは痛快でもある。
跳梁跋扈のエステ業界で、ハード・ゲイ・・・じゃ、なくて、ハード・マッサージともいえるリンパ・マッサージを得意技とし、柔な男など2秒で悲鳴を上げさせるというその女性を、私は「リンパさん」と名付けた。

「リンパさん」の普段の縄張りは、地べたに座り込んだ飲んだくれが物欲しげに通行人を見上げる駅前の素敵な横浜・石川町界隈だそうで、時々南千住あたりまで遠征してくるのだという。
お酒はなんでもイケル口のようで、あとに引きずるもののある「ふとっちょくん」よりも勢いがある。
2人は少年・少女の頃からの知り合いで、ある日mixiで偶然に再会したらしく、「リンパさん」は隠し事などなにもないんじゃー、というように堂々と本名を晒していたためにわかったのだという。
でももうお酒を嗜む大人の男と女ゆえ、あんなことやこんなことなど、何があっても自己責任の素晴らしい生活を満喫できるので、私は野暮な突っ込みなど入れないのだ。

開店から閉店まで、我が店の内情をつぶさに見られて、引っ切りなしに会話していた「ふとっちょくん」と「リンパさん」は、ともに横浜方面の電車の時間を気にして店を出た。
どこへ帰ったかは知らない。
私にはここまでのことで充分である。
たぶん「ふとっちょくん」が自らのブログでカミングアウトするだろう。
彼のブログを訪ねたら、必ずどこかをクリックしてほしいということだ。
それで彼が心安らかになるのなら、たやすいことではないではないか。
クリック1つが彼の尻を打つという懺悔なのかもしれない。

私は口の堅い男。
ここに書いたことは誰にも見せず、墓場まで持ってゆくつもりだ・・・。

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October 14, 2006

愛育病院のことから・・・

  
広尾の駅を出て、ナショナル・マーケットの脇を六本木方面へ木下坂を上り、左手に末日聖徒イエス・キリスト協会のチャペルを見ながら、有栖川宮記念公園と都立中央図書館を通り過ぎると、「愛育病院」の正門に出る。
今やその名はすっかり世間に知れ渡り、一時は患者や関係者は野次馬とマスコミをかき分けかき分け大変なことだったろう。
でも何はともあれ、「お世継ぎ」が無事出産・退院したので厳戒態勢はとかれ、評判を聞いたお母さん予備軍が詰めかけているのかもしれないが、閑静な日常にもどったろう。

「愛育病院」の正門を通り過ぎ、有栖川ヒルズを横目に南部坂の方へ交差点を右折、少し行くと通りの向かいにカタール大使館とマダガスカル大使館が見えるあたり、建物の脇の小さな門を開け、通路を進んでさらに門の鍵を開けて入ると、「愛育養護学校」の校庭にでる。
人に薦められてここへ初めてきた時、寒い時期だというのに裸の子供たちが小さな庭を駆け回り水を掛け合い、泥だらけになって遊んでいる光景に出くわした。
オヤジの背丈ほどもある太った男の子が、白い息を吐き、無邪気に、まるで小熊みたいにニコニコと低い雄叫びをあげて抱きついてきたときには、ちょっと後じさりしてビビッてしまった。
その冷たいがプヨプヨの裸の体は、動き回って火照っていた。
まるで曇りのない瞳で、一緒に遊ぼうというように体を揺する。
心の赴くまま、自由な遊びを子供たちは無心に体感しているのだった。

小僧が就学前の3年余り、何度もここへ通った。
それまで自閉症や知的障害の子供たちと身近に接したことがなかったオヤジは、最初戸惑い馴染めなかったが、小僧はといえば、なんでも思いのままに遊べるここの環境にすぐに溶け込み、あっちこっちにクレヨンを走らせ、プラレールを延々繋ぎ、ボディペインティングでサイケな身体を紙の上に転がし、夢中で自己表現をして遊んだ。
そうしているうちに、食べ物も食べられるようになり、言葉も出てくるし、他所へ行っても固まらないようになった。
面倒を見てくれる先生たちは、ちょっと目を離すと何をしでかすかわからない子供たちを暖かい目で見守ってくれて、付き添いの母親たちは安心して控え室で談笑できるのだった。

あれから20年も過ぎた現在も、1年に1度同窓会の案内が来て、小僧が1人で出かけたり、かあちゃんと2人で行ったりして、当時の先生方やお母さん方と再会し、懐かしみ楽しんでいる。
しかし、近年の少子化はこの養護学校にも影響し、予算や運営費は年々厳しくなっているらしい。

障害を持った子供たちが少なくなっているのならいいことだが、神様の気まぐれはそれこそ差別なく突然降りかかってくるものだ。
国籍や性別、裕福でも貧乏でも関係なく、何が原因かはわからないが、いわゆる障害児は生まれてくる。
天皇家だってそれはまぬがれない。

ケネディ家でもその事実があったので、故ケネディ大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバー夫人が自宅の庭を知的発達障害のある人たちに開放してスポーツを楽しんだことをきっかけに、「スペシャルオリンピックス」が発足された。
ターミネーターの(知事よりこっちの方がいい)シュワちゃんが映画の宣伝のために来日した記者会見のあと、子供たちをステージに上げこの「スペシャルオリンピックス」の活動をアピールしたが(シュワちゃんはケネディ家と縁戚関係ですから)、それはあまり日本のマスコミでは取り上げられなかった。

見てわかる障害者にはこのところ配慮がされてきたように感じるが、ちょっと見ではわからない知的発達障害のある人たちにはまだまだ世知辛い日本だと思う。
さて我が家では何ができるだろうかと考えた時、特別なことは何もしないということを話し合った。
障害を障害と思わない。
だから普通に生活し、自分でできることはする、難しいことは助ける、個性として認める、隠したり、卑屈に思ったりしない。
そうやって今までやってきた。

ありがたいことに、モグランポの常連の皆さんは、小僧に気軽に声をかけてくれて、普通に話してくれるし、時には冗談も言ってくれる。
小僧はそういうことがとてもうれしく、どこかへ旅行すればお土産を買ってきたりもする。
買い物に行く商店街の人たちや近所の人も、気をつけて声かけをしてくれるので、いままでどんなに助かったことだろう。

回りの大勢の人に助けられて生きていくのだけれど、やはり歳をとるほどに寂しくなると思う。
だからオヤジの究極の目標は、小僧よりも長生きすることだ。
とにかく生き長らえて小僧を見取ってから死にたいと思う。
まあ、こんな生活をしているからどうなるかわからないが、けっこうしぶといかもね。

小僧のブログがまた再開しました。
初めて手にした携帯で更新できるので、うれしくてしょうがないんだろうね。
わけわからん内容であります。
ま、親もいっしょかぁ・・・。

11:35:00 | mogmas | | TrackBacks

October 13, 2006

夢でよかった…

  
山手線に乗っていたのだ。

もうすぐ新宿というあたりで、窓の外をゆっくり飛来する物体を見た。

その細長い物体は、誰かが放り投げたようにゆるやかな放物線を描き、高層ビルの屋上に突き刺さった。

爆発はなかったが、破壊された建物の瓦礫が地上へ降り注ぐ。
青空にのんびりと白煙が上がる。
車内にはその轟音は届かず、乗客の中でそれに気づいたのはほんの数人で、あまりに非現実的な光景に空々しい態度を取ってしまっている。

私の隣りには顔のわからない連れがいて、何事か楽し気に私に話しかけてくるのだが、窓の外を注視する私にはその声はまったく響かない。

間をおかず、謎の飛翔体は2本、3本と空を横切ってゆく。
その先端は鉛筆のように尖っており、終端には尾翼がついていた。
“ミサイル”という言葉が浮かんだが、やや違和感があった。
それは、銀色に輝く機体の回りに円筒形のブースターが取り付けてあったからだ。
“ミサイル”というよりは“ロケット”のようだった。
しかしそれは火を吐いて飛ぶというよりは、やはり誰かが投げたダーツの矢のような航跡で、音もなく新宿の上空を飛んでいる。

電車は新宿駅のホームに滑り込み、多くの人が乗り降りする間、私はずっと窓の外を睨みつけていた。
やがて発車の音楽が流れたその時、デパートの壁面に1本の飛翔体が深々と突き刺さった。
崩れ落ちる建物ともうもうと上がる黒い煙がスローモーションで展開される。
だが何事もないように電車は発車した。

連れが呆然と言った。
「なに、あれ ? 」
乗客もようやく恐ろしい現実に気づき、運良く我が身に振りかからない車窓のスペクタクルを言葉もなく見つめるのだった。
近くにいた誰かが無意識に非情停止ボタンに手を伸ばしたので、私はその手を掴み首を横に振った。
顔をみるとその“男 ? ”には、目も鼻も口もなかった。
ぎょっとして連れを振り返ると、連れの顔ものっぺらぼうだった。
あらためて気づけば、他の乗客全員がのっぺらぼうであった。

私は声にならない叫びを上げ、ドアに背中を押し付けた。
窓の外を、飛翔体が電車めがけて迫ってくるのを目にしたのを最後に、すべてが暗闇に包まれた。

汗びっしょりで、重い頭で目覚めた朝、北朝鮮が核実験を強行したニュースを知った。
この夜見た夢は3本で、先の2本もむちゃくちゃないや〜な夢だったが、最後の1本があまりにリアルだったため、もうあまり憶えていない。
いったいこれは何を意味するんだろうか ?
将軍様はミサイルに核爆弾を搭載して発射するのだろうか ?

いやいや、自慢のミサイルさえ満足に飛ばせない国だ。
ほんとに核実験だったかも怪しいもんだ。
瀬戸際外交も最後のカードを切ったら、あとは何が出てくるんだろうか ?

だから言ったじゃないか、早く「チーム・アメリカ」を北朝鮮中にバラまけと。
首切れ将軍様人形をバラまけと。
じょーだんじゃないよって !

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October 12, 2006

あっと驚くウルトラマン

  
「悪魔のあっくん」はよんどころない事情で「つま恋」に行けなかったので、オヤジたちがどれほどはじけたか確認しに店へやって来た。
オヤジとかあちゃんが未だ熱が冷めていないことを目の当りにして、すこしは納得してくれたてであろうか。
やがて放映されるBSの総集編や、あといくつ徹夜すると完成するオヤジのDVDを見てくれれば、その模様が確認できる筈だ。

長ーい腐れ縁の付き合いの「悪魔のあっくん」は、オヤジの嗜好がわかっているので、この時1枚のCDを持って来てくれた。
東芝EMIから発売されている「ULTRAMAN JAZZ」というヤツだ。
またぁ、色ものみたいなもんじゃないの、とタカをくくっていたら、ところがどっこい、本格派のジャズになっているんですな、これが。
演奏は布川俊樹率いる実力派メンバー、ラルトラ世代の熱い想いがこもっていながらも軽快で、ムーディーな仕上がりになっていまして、これをBGMにスコッチをすこっしといきたいものですなぁ。
秋の夜長にはうれしい音楽でありました。



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