October 25, 2006

パリ、テキサス

  
コートがほしくなる季節だった。

午前零時を回った自由が丘の駅はもうあまり人も通わず、冷たい雨が降っていた。

飲んだくれて、雨の中に白い息を吐き、行き場もない夜を彷徨っていた。

何が掛かっているかも気にせず入ったオールナイトの劇場は、湿ったすえた匂いがして、始発を待つ酔っぱらい達がふんぞり返って寝息をたてている。
もれなくその一員になって映画が始まるのを待った。

スクリーンには果てしない荒野が広がり、ライ・クーダーの切ないスライド・ギターが、渇ききってさすらうトラビス(ハリー・ディーン・スタントン)の背を押す。
彼が肌身離さず持っているのは、しわくちゃの1枚の写真。
テキサス砂漠にあるという「バリ」の、何もない土地の写真。
しかしその土地こそは、彼の父と母が愛をかわし、自分が生を受けた原点の場所だった。
記憶も朦朧として一言も言葉を発しないトラビスは、帰巣本能のように「パリ」をめざして歩く。
砂漠の青い青い空、乾いた白い荒野を貫いて地平線まで続く道路、原風景のようなコントラストを映し出す映像に、酔っぱらいの頭は引き込まれてゆく。

4年間生死もわからなかった父が、7歳の息子に出会う。
幸福だった頃の8ミリ映像が過去を物語る。
やがて父と子は妻=母を探す旅に出る。
若い妻を愛して愛して愛しすぎたトラビスの過去への旅は、マジックミラー越しに語られ、スクリーンに釘付けになった酔っぱらいの目からは無意識に熱いものがこみ上げた。

ヴィム・ベンダース監督のこのロード・ムービーとの出会いには、実にお似合いの切ない夜だった。
切ない出来事を何度も体験し、曲がりくねって、20数年たった。
あれから何度かビデオで見返し、ライ・クーダーのレコードを手に入れ、切なさが色あせていないことを確認した。

今年20本目の映画は、まったく偶然に「パリ、テキサス」になった。
たまたま「東京芸術センター」の前を通りかかり、「黒澤」が撤退したあとに何をやっているのかと覗いてみたら、ヴィム・ベンダース作品が続くことを知り、今月は「バリ、テキサス」だったので入ってしまったのだ。

ああ、「ナスターシャ・キンスキー」、いい女だなぁ。
トラビスの気持ちが、今も切ないほどわかる。
切ないのをいいことに、今夜も飲んでしまうんだなぁ。
みんなヴィム・ベンダースのせいなのだ。
 

17:16:41 | mogmas | | TrackBacks