October 07, 2006

X-MENファイナルディシジョン

  
すっきりしない映画だ。

キャッチコピーの「世界は、選択で創られ、選択で滅ぶかもしれない」の世界とは、どうやらアメリカの一地域限定の世界なのだろう。
神のような、悪魔のごときパワーを発揮できるのに、政府を相手の大立ち回りはノー・プランだし、彼らミュータントの世界は合衆国ただ一国らしい。
映画化されるアメリカンコミックスは、「スーパーマン」もそうだが、およそワールドワイドとはほど遠い地域限定のヒーローばかりになってしまうのが、いつも引っかかる。

超絶の能力がありながら、昔のレジスタンスみたいに山の中でテント暮らしってどうよ ?

予告編ではすごいと思った、アルカトラズとの間の海に吊り橋を引きちぎって渡してしまう場面も、そんな手間かけずに空を飛んできゃいいんじゃないの、と冷めてしまう。

テレパシーやテレキネシス、火と氷を自在に操り、物質を透過し、一瞬で人を塵にしてしまう連中の切り札が「肉弾戦」とは、いかにもアメリカ的だ。
コミックスファンには申し訳ないが、「ウルヴァリン」の必殺技には失笑してしまった。

人が死ぬことでしか解決しないお話の展開は時間的なことからか、いいにせよ悪いにせよ、エンドタイトルが流れている時に席を立ってしまった人は、最後のワン・シーンを見逃してしまう。
演出の意図がどこにあるかは見た人によって違うだろうが、取りあえず「X-MEN」3部作は終了しても、個々のキャラクターを主人公にした新作が作られるように観じた。

ご幼少の頃に石森章太郎の「幻魔大戦」(原作コミックスは1963年に創刊されたようだから「幻魔大戦」よりも早いが、現在でも継続されているというのはすごい)に夢中になったので、「ストーム」の嵐を呼んで飛行するシーンや念動力で物を吹っ飛ばすシーンなどは好きだったが、今回は「ジーン・グレイ」のダークサイドのパワーが目覚めたところがグッときた。
形相が変わって自分でもどうすることもできないパワーに翻弄され佇む「ジーン」の姿は、「キャリー」を彷彿とさせてホラーっぽくてよい。
それにしてもハリウッドは、マントやロングコートをはためかせるカッコいいシーンを作るのがうまい。

そんなグッとくるシーンを作ってくれるのだから、お話のほうもグッとくるものにしてほしかった。
すっきりしない原因は、きっとそのへんにあるのだろう。

13:10:47 | mogmas | | TrackBacks