March 02, 2006

怪しい者ではありません

ドスコイ病院を退院したばあさんを、今度は板橋の「東京都老人医療センター」へ連れて行った。

3時半の予約が、毎度のことで、5時を過ぎてようやく大先生の診察と相成った。
眠そうな、間の抜けた顔をした脳神経内科の大先生は、なんだかとっても段取りが悪く、話も要領を得ない。
おまけにアクビをかみ殺し、デスクのPCに向かいながら鼻毛を抜くという失礼な振る舞いを平気で行う大物ぶり。
オヤジはその後頭部をひっぱたいてやりたい衝動を、なんとか押さえつけた。
そのおかげで、ようやくばあさんの処遇が決まった。
来週中に入院。
MRIやらなにやらの検査を含めて2週間のご滞在だ。
ものの10分のお話のために、約1時間の道のりを雨の中車をとばし、2時間近く無為の時間を過ごした。
まったく、健康な者しか病院は耐えられない。

帰る前にトイレに入って、怒濤の放水をしている目の前の壁に、張り紙がしてあった。

画像の表示不審者に注意!
トイレの中で体を拭き、時々洗顔している、身長160センチぐらいで44歳ぐらい(妙にリアルな年齢)の坊主頭の男。
この方が不審者なのは、体を拭いているからなのか、洗顔か、それとも坊主頭だからか?
パジャマを着ていれば患者だ。
44歳ぐらいに見えても、実は72歳かもしれない。
うーん、不審だ。

お・・・、こんなことを考えて、トイレの張り紙を写真に撮っているこのオヤジは、他人が見れば不審者じゃないか?
やべっ、誰も見ていないうちにさっさと帰ろう。

会計をすると、なんと70円だった。
思わず「リーズナブル」と言ったら、レジのおねえさんが微笑んでくれた。
スマイル0円ですな。
しかし、考えてみたら当然だ。
聴診器の一つも当ててないんだから。

家に戻ってしばらくすると、一足先に天草へ帰ったかあちゃんから電話があった。
ことの経緯を話すと、あの間抜け面の大先生は、その道の権威で、実績もあるので患者が多いのだと教えてくれた。
あぶねぇ、あぶねぇ、危うく後ろ頭をひっぱたくとこだった。
ただの不審者から暴行犯になっちまうぜ。
ゆるちてね、赤ヒゲ先生・・・。


13:23:00 | mogmas | | TrackBacks

風太郎とうちゃん

オヤジの死んだ親父、つまりじいさんは大正11年生まれだった。
かあちゃんのとうちゃん、つまりじいちゃんも大正11年生まれ。
さらに親戚の伯父さん、知り合いのおじさんも大正11年うまれが多く、なぜかみなさんに共通するのは頑固だということだ。
一度言い出すと、自分に非があったとしてもなかなか引かない。
全員戦争体験者で、運良く命が助かって、高度経済成長期も経験し、平和ボケした祖国の有様も見ている。
いかにオヤジたち世代が甘チョビンかも、よくわかっていらっしゃる。

まったく偶然だが、山田風太郎の「死言状」というエッセー集を読んでいたら、この先生も大正11年生まれだということがわかった。
「年表の空間世界」という稿でそのことにふれ、自らの誕生年(1922)を調べている。
大雑把に興味を引いた事件をあげると、

大正11年
7月9日  森鴎外没。
7月    田園都市(株)宅地開発に着手。(まさに田園調布に家が建つ!!)
10月14日 監獄を刑務所と改称。(プレスリーの監獄ロックが、刑務所ロックではサマになりません)

こんなことがあったんですな。

時代小説を数多く書いている山田先生は、「総合年表」が座右の書だったらしく、様々な興味津々の記事を発見するのだ。
また、陰暦と陽暦の問題、西暦と元号の問題にも言及している。
特に元号については、「世界史を国民から遮断している。日本人を世界史的盲目にする愚かしさのきわみのからくり」と手厳しく避難し、「平成」なんて元号をひねりだしたのは大正生まれの連中で、後世の日本人に対する大罪、とまで言っている。
そんな山田先生が、現在の皇室を取り巻く問題を見たらどう思うだろう。
なんだかんだ言い合っても、お世継ぎ誕生の可能性が見えてきたら、途端に騒いでた連中もなりをひそめる。
まるで江戸時代のままじゃないか。
へんな国だね、日本は。

山田先生の多数の著作の中で、オヤジのお好みは、忍法帳の他に「幻灯辻馬車」、「警視庁草子」などの明治物だ。
絶対、夢中になっちゃうから。



10:13:00 | mogmas | | TrackBacks