February 11, 2007

葬式無用。戒名不要。

  
  
記憶を無くした夜があけ、なぜパンツも穿かずにホテルのベッドに寝ていたのかも分からず、ただコーヒーと林檎ジュースと牛乳を交互に飲んで頭をはっきりさせ、かあちゃんに急かされるままにタクシーに乗り込んだ。
同乗した叔父に「昨夜はすっかりあんたに怒られたけど、なんにも憶えてないんだろう ? 」と言われ、ひたすら恐縮するばかり。

お昼前に出棺し、坂城市にある焼き場まで車で移動。
坂城といえば「ねずみ大根」。生前伯母が大量に送ってくれたものが、まだ自宅の冷蔵庫に残っている。戻ったら、汗と涙を流しながら蕎麦をすすろう。

真新しく、ホテルのような雰囲気の焼き場の隣りには、墓地とゴミの焼却場がある。
なんて用意のいいことだろう。
人もゴミもいっしょくたに焼いてしまうのだ。
およそ1時間半ほどで、伯母の姿は骨と灰だけになってしまう。
最後のお別れにまた新たな涙を流した人々は、控え室へ移り、献杯と食事で故人を偲ぶのだった。
本当は献杯だけで充分なのに、従妹の旦那が一升瓶をさげて来て「まあ、飲め」と湯のみ茶碗に並々と注ぐ。
早く飲めと急かすように、次の一杯を注ぐ態勢のまま待っているので、仕方なく一息に煽る。
こうなったら仕方がない。
とっとと飲んで、注ぐほうに回らなければ身が持たない。
これからさらに「お斎」が待っているのだ。
余力を残しておかないと、今夜も記憶は飛ぶだろう。

焼き場の係の人はとても丁寧に伯母の骨を解説し、一同は粛々と壺に骨を納めた。
オヤジはその一部始終をムービーに収めた。
再び車に乗り込み、千曲市の告別式の会場へ向かう。
そこでオヤジは弟と従妹の旦那とともに、受付を仰せつかった。
式はなかなか盛大で、曹洞宗の坊さんが3人も来て、太鼓やシンバルのようなもので
雅楽を思わせる曲 ? を奏で、坊さん2人はツイン・ボーカルでお経を唱えた。
弔問客は続々と参集し、香典はガッポ、ガッポと積み重なる。
故人がどれだけ偲ばれているかが、この香典の重量で決まるというのなら、伯母はたいした実力者だろう。
弔電に地元の市会議員やら、参議院議員の名が連なるのは、統一地方選挙を睨んだパフォーマンスのひとつに過ぎない。
まったく政治屋というのは、イヤラシイ連中だ。

またまた新たな涙とともに式は終わり、大量の香典をバッグにつめ、渋々式場の係の人に渡した。
引換券をもらったが、香典泥棒の気持ちがすこしだけわかり、取りあえず写真だけは撮っておいた。
「お斎」の会場に移ると、喪主の挨拶に続いて、菩提寺の坊さんが献杯の音頭をとる前に、ちょいとお話をするのだが、この話がとてもヘタクソだ。
今まで何度も聞かされたが、「だから、なにが言いたいんだよ」「長いし、オチないし、つまらんし」「まったく、何年この商売やってるんだ」と、毎回突っ込みたくなる。
こんな坊主には金を払いたくないが、オヤジの言うことではないし、まだ理性と記憶はあるので、アクビをかみ殺して黙っていた。
もうビールが温くなってしまう。酒も気がぬけてしまう。料理が冷めきってしまう。

ようやく食事がはじまり、回りからビールを注ぎ足し、注ぎ足しされ、面倒くさいので、手酌宣言をして飲むことにした。
どうなることかと思ったばあさんも、何年ぶりかに会う親戚の間を歩き回り、なんとか、今はしっかりしているように見える。
だが、この緊張が解けた時が心配だ。
ばあさんは常々、葬式はやらなくていいし、献体してほしいと言っているのだが、そうなら一筆書いておいてもらわなければならない。
まったく葬式というイベントは大変だ。
ばあさんよりも先に、このオヤジが逝ってしまうかもしれないし、そうなったらもっと大変だ。
今のうちに、ヤバイあれやこれやのモノをだれかに形見分けしておこう。
そして正気の時に、一筆「葬式無用。戒名不要」と遺言をしたためておこう。

まだまだ、葬式という飲み会は終わらない・・・。

19:17:25 | mogmas | | TrackBacks