February 16, 2007

電話が壊れた !


形あるものは、いつか壊れるのが世の定め。

京都の清水寺の近くの店で、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買い求めた、清水焼の夫婦湯飲み茶碗。
たなごころにしっくり馴染む大きなオヤジ用の湯飲みは、かあちゃんがよそ見をして手を滑らし、みごとに割れて砕けた。

六本木にいた頃にバーのマスターから頂いて愛用していた、握りやすくそれなりに重量があって、ウイスキーが美味しく感じるオールド・ファッショングラス。
千住に越して来てから、オヤジがまったく知らないうちに、かあちゃんが割って捨ててしまった。

合羽橋に何度も通うたびに、「ワタシを買って、ワタシに冷えたビールを注いで」と、ショーケースの中から囁き続けた口当たりの素晴らしいピルスナーグラス。
OS劇場の舞台から飛び降りる気持ちで買い求めたが、まだビールを6リットルも飲まないうちに、かあちゃんが棚の上から落として無惨な最後を向えた。

形あるものは、いつか壊れたり、崩れたりするものだ。
大事な湯飲みちゃんや、グラスちゃんの怨念ではあるまいが、かあちゃんの胸と尻は、年々引力に逆らえなくなってきているし、化粧のノリも悪いという。
だが、オヤジはまだかろうじて恐る恐るかあちゃんを愛用している。
いつまた、なにか大事にしているものが壊されるかもしれない、という恐怖におののきながら・・・。

店の、電話が壊れた。
かあちゃんの、せいではない。  と、思う。  たぶん。

先日盗まれた、小僧の自転車より古くから使っていた店のFAX電話は、ハンドコピーが出来たのだが、しばらく前からその機能はただの飾りになり、FAXの受信は出来ても送信は不可能な状態だった。
さらにすばらしいことに、子機のベルは鳴るのだが、通話は5秒ほどで強制終了してしまう。
そして追い打ちをかけるように、親機の受話器を取って相手と話をしていると、プツッと切れてしまった。

こういう時に役立つのは、先人の知恵である“叩く”という復活法だ。
止った時計、消えた懐中電灯、ボ〜ッとしたおニィちゃんなどは、ペシッと一発ひっぱたくことで、一瞬甦ることが多々ある。
オヤジは、どちらかといえば叩く方が得意なので、受話器を一発ひっぱたいてみた。
「もしもし、もしもし・・・」
相手の声が聞こえてきた。成功だ。
だが、喜ぶのもつかの間、再び電話には誰もデンワ・・・。

気をつけて見たら、受話器のコードの被覆が切れて、中の線が露出している。
コードを引っ張りすぎて、経年劣化でヘタッた所から切れてしまったのだろう。
コネクターの所も緩んでしまっている。
寿命ですな。
もう、アンチ・エイジングなど無駄なようだ。
仕方がないので、量販店で新しいFAX電話を買った。
液晶画面が大きくて、コンパクトで、一番安いのを選んだら、ポイント対象外だといわれた。  ケチ・・・。

さっそく取り付けて、基本の設定をし、電話番号を記憶させて、一段落。
古い電話は、外せるものは外し、取れるものは取って、切れるものは切って小さくし、ゴミの袋にまとめた。
壊れたものの後始末は、あまり気持ちのいいものではない。
それはかあちゃんも、しょっちゅう感じているのかもしれない。
オヤジが飲み過ぎて、“壊れた”後始末を何十年もしているのだから。
へへぇぃ、おあとがよろしいようで。  

10:42:00 | mogmas | | TrackBacks