September 20, 2007

拾う、酔っぱらいオヤジ

  
いけない「ヒトリモン」先生が、行きつけの銀座ワシタでまたしても43度の泡盛を買って、こっちが一段落する頃を見計らったかのようにやって来た。
彼もどうせオヤジにも飲ませようとして、これ見よがしに持ってくるのはわかるから、喜んで飲んでやろうじゃないの。
もう25度クラスの泡盛では物足りなくなってしまった、まことに燃費の悪いオヤジどもは、自ら記憶を無くしたいかのようにハイピッチで追われるように飲む。
結果はデロデレのプワプワなのだ。

雲隠れのお坊ちゃん総理が働いているラーメン屋さんを横目に、「ヒトリモン」先生をいつものように強制連行して送り届け、彼の専売特許の千鳥足で自宅付近まで来ると、
道路の脇にデスクトップパソコンと液晶モニターが置いてあるのを見つけた。
かあちゃんの制止を振り切り、ヨロヨロと駆寄って液晶モニターを小脇に抱えて「もーらった」と宣言した。
声を出したところで、通りを歩く者も他にはない深夜だ。
オヤジのへらへら笑いが夜気に響くばかりで、近所迷惑な話である。
かあちゃんから小言を言われても、「い〜んだ、い〜んだ、グリ〜ンだよぉ」とかなんとか呟いて、とうとうそのモニターを家まで持って帰って来ちゃった。

「どうせ壊れて捨ててあるんだから、またゴミに出すだけだよ」
かあちゃんは呆れてサッサと寝てしまい、取り残されたオヤジは、雑巾でモニターの液晶画面を拭いてみたら、な〜んだ、画面に亀裂が入っているではないか。
おまけに電源ケーブルもなく、接続コネクターは捻れちゃっているようだ。
やっぱりガラクタだ・・・。
途端に興味をなくしたオヤジに、睡魔が怒濤のように押し寄せて来た。
ご臨終です。

部屋の隅に、小僧に見つからないように壊れたモニターが置いてあるのを翌日の昼間気がつき、上記のような経緯をなんとか思い出した次第。
「スーダラ節」が脳裏にこだまする。
♪ わかっちゃいるけど やめられね ア ホレ ♪

15:39:31 | mogmas | | TrackBacks

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

  
今さらながら、やっと読み終えた。
読んだ人がみんな「いい、いい」と言うもんだから、本を読まないかあちゃんが、映画を見て「いい、いい」言うもんだから、その「いい、いい」と言ったひとり、「バーバーくん」にその本を借りた。
彼はお姉ちゃんから「いい、いい」とすすめられて読んだという。

かつて「ハリーポッター」が面白いからと言われて、アルバイトの「エリちゃん」から借りて読んだものの、冒頭の数ページで挫折したことがあった。
というのも、目新しさがちっともなく、過去の焼き直しみたいなストーリーの先が見えちゃって、どうでもよくなってしまったのだ。
映画にいたっては、上映数分後に熟睡してしまうほどで、これだけ寝てしまった映画も珍しい、という有り様だった。
人から借りた本というのは、どうも読みにくいものだ。

リリー・フランキーという人が、どんな人なのかはまったく興味の対象外だったが、安めぐみちゃんとデュエットしているおっさんにはとても好感は持てなかった。
そんなことが頭にあったからというわけではないが、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」も、冒頭からとても読みにくく、取っ付きにくかった。
書評などでは「読みやすい」と書いてあり、読んで「いい、いい」と言った人も「読みやすかった」というのだが、オヤジ的にはどうも相性が合わなくて、ちっとも読み進めないで、ダラダラと日にちが経ってしまった。
もっとも、読むのは店のヒマな時、ほんのちょっと時間が空いた時だけだったので、なかなかはかどらないということもしょうがないのかもしれないが。

でも、
これは、小説なんですか ?
回想録 ?
エッセイ ?
コラム ?
読み始めて3分の1ほどで、「だから何が云いたいの ? で、どうしたいのサ」とひとり突っ込みする始末。
筆者が冒頭で「ちいさな話です」と書いているんだから、まあそのように読むしかないんだけど、ホームムービーでダラダラ撮った映像を見せられているような感じで、イライラがつのる。
そのくせ、ウソは巧みに隠していて、よくある共感、怒り、笑い、涙をちりばめたピンポイント攻撃は、確実にターゲットを仕留めるんだろうと思えてしまう。

信介しゃんや織江ちゃんの「青春の門」でお馴染みの故郷で、「ボク」が体験したようなことは、場所こそ違えど、オヤジ世代は多かれ少なかれみんな経験していることだから、ここで「三丁目の夕日」ごっこを追体験するまでもなく、そんなことより
「オカン」と「オトン」の関係、「オトン」の生業に興味の対象が移ってしまい、はっきりしない「ボク」の記憶にイラッときてしまうのだった。
それでも「ボク」が東京に出るまでは、なんとかがんばって読めていたのだが、東京に呑み込まれた「ボク」の生活に話が進むと、途端にテンポダウンしてしまった。
それというのも、過去にうんざりするほど小説や映画や演劇で“女々しい田舎者”のお話を味わっているから、今さら「ボク」の自堕落自慢話はどうってことないし、面白おかしいところだけご披露されてもなぁ。
「地方出身者の栄光は、屈辱の涙だけ」と言ったのは誰だっけか ?

しかし、高村光太郎の智恵子じゃないが、故郷をなくした「ボク」の「あどけない空」は「オカン」のいる故郷の空で、日本の真ん中に突き刺ささり、ぐるぐるぐるぐる日本をかき回している東京タワーのてっぺんの空は、ほんとの空ではないと「ボク」が言っても、はなから帰る故郷を持たない東京生まれは、光太郎のように驚いて空を見るばかりだ。
いやだからこそ、かつてあった「むかしなじみのきれいな空」を求めて「三丁目の夕日」に食い付いてしまうことを、商売上手になった「ボク」はちゃんと知っていて、地方出身者で溢れかえる東京のシンボル「東京タワー」を巧みに取り入れながら、「ボク」の最大の恐怖に話を進めていく。

絶対に逃れられることの出来ない運命を共有した「ボク」と「オトン」は、その後どうしたのだろう。
つねにマイペースの「オトン」が、ウマいのかヘタなのか微妙な、味のある字で「ボク」の本にタイトルを書いた時、いったいどんな顔で、どんなセリフをはいたのだろうか ?
この次「ボク」が「オトン」の視点で「東京タワー」を書いたら、その小説はちょっと面白いかもしれない。
貸してくれる人がいたら、また貸してもらって読むかもしれない。
だが映画の「ボク」は良すぎないか。
まだ見ていないから何とも言えないが、「オダギリジョー」は良すぎだろう。
安めぐみちゃんの隣にいたおっさんが「オダギリジョー」では、そりゃ良すぎだろう。
と、千住の「オダギリドジョー」は思うのである。


10:19:00 | mogmas | | TrackBacks