July 12, 2008

HALさん

  
街角で偶然HALさんに会った。
ずいぶん久しぶりだった。
たぶん4年ほどお会いしていないと思う。

「こんにちは。お久しぶりです」
「ああ、どちらさん ? あたし最近ボケちゃってさぁ。人様の顔をおぼえられないでね。ごめんね」
「お好み焼屋のオヤジですよ」
「はぁ ? どこの ? 」
「そこの、モグランポ」
「・・・・・ああ、もらんぼん ? 」
「そう、モグランポ」

HALさん、相変わらず紫色に髪を染めてはいるものの、ちょっと痩せて縮んで、ひと頃の覇気がない。
小さなお買い物のカートを、曲がった腰で押しているところを呼び止めてしまったのだ。

「ああ、アンタね、大将かい。すっかり歳とっちゃったね。ご無沙汰ね」
「HALさん、おかわりないですね」
「なぁにいってんのさ。あたしゃもう81だよ。すっかり耄碌したババアになっちゃったよ・・・」

一瞬火が入ったように見えたマナコが、すぐに宙を泳ぐように力なく伏せられる。
威勢のいい「HALさん」を知っているだけに、二の句が継げない。
傍らで黙ってその様子を見ていた、娘さんに会釈した。
最近、ちょっと前のことでも忘れちゃって、引っ込み思案になっているのだと言う。
痛いほどわかる。
我が家のばあさんが、近頃とみにそういう状態だから。

なんとなく配線が繋がっているような、そうでないような、たよりなくぎこちない挨拶をして「HALさん」親子と別れた。


11年前の、粋で威勢のいい「HALさん」を知っている常連さんはいない。
そういうおばさんが常連さんにいた、という話もたぶん今のお客様にはしたことがないと思う。
「HALさん」はランチをやっていた時の常連さんだった。
その頃はまだ旦那さんもご存命で、亭主が留守のときの息抜きだとおっしゃって、昼日中からちょっとだけ日本酒を嗜むこともあった。
興が乗ってくると、軽妙な節回しで都々逸を唸り、民謡なども謡ったりして、事情を知らないランチのお客様も和むような粋なたとえ話なども披露してくれる、なかなか特異なお客様だったのだ。

下町の粋なおばさんとは、まったく合わないようなモグランポの、どこを気に入ってくださったのか、“病院のついでだよ”などと言い訳しながら、3日に1度ぐらいの割合でいらしてくれた。
そうこうしているうちに北千住駅前の再開発が進み、「HALさん」のお住まいもその計画の中に入ってしばらく立ち退きを余儀なくされ、やがて駅前にビルが建ったらそこに移るんだと話してくれた。
その間に体を悪くして入院して、病院から店に「うるさいババアを忘れるなよ」と電話をくれたり、「新居は花火がよく見えるから、店なんて休んで見に来い」と言ってくれたりもした。

それからまた、どこかの病院に入院されたということを人づてに聞いてから、かあちゃんとも心配はしていたのだが、ずうずうしく連絡をすることもなく、いつしか遠ざかってしまっていたのだった。
みんな歳をとり、替わって「auちゃん」や「こちょこちゃん」や「ヨシくん」がびっくりするほど大きくなって、さらにそれを実感する。

継続する、ということの意味は、新たな喜びを知るということでもあると、反省期を過ぎたオヤジは思う。
「HALさん」の都々逸を、またいつか聞ける日がくるといいのに、意味などわからなくても、子供たちにも聞かせてあげたい・・・・。
記憶をなくすということは、切ない・・・・。


切なくない馬鹿野郎の酔っ払いが、今夜調子こいた。
確実に記憶をなくしていることは間違いない。
強がり言っても、結果は如実にその事実を物語っているのだ。
見ず知らずの男ではないからこそ、放っておくことにした。
明日の朝、たっぷり反省するがいいのだ。

しかし、そのおかげでイラッとして、樽に入った残り推定2.5杯の生ビールを放っておけず、自ら禁を破って飲み干してしまった。
これこそ辛く、切ないお務めだ。
すべては、新鮮で旨い生ビールを提供するための、純粋な職業意識のなせる技なのだ。
しばらく飲まなくったって、ちゃんと正確に樽の中の容量がわかる。
2.5杯の生ビールは旨かった !!
だが、反省しろ ! 酔っ払いめ !!!








02:09:26 | mogmas | | TrackBacks