October 31, 2005

ハリウッドったって、映画じゃない

ふだんの通り道にあって、気にもとめない看板などが、何かのきっかけで急に目を引くことがある。

そんな1つ。
画像の表示よく見るとすごいパクリ満載。
“ミニヨクツク”な3,900円ポッキリなサービス。
駅前遊学“CABA”ときたもんだ。
美人がいっぱいだそうだ。

実は少しその内容を知っている。
というのは、“ミニヨクツク”出勤前のお姉さんと同伴で、ごくたまにお好み焼きを食べに来てくれるおじいちゃんがいるからだ。
いつも別のお姉さんを連れ、ミッキーマウスの派手なトレーナーに野球帽という若々しい格好で、お店の内容を上機嫌でお話しになるのだ。
キャバクラとは違い、大人の社交場という感じですな。
さすがに老舗のグランドキャバレー「ハリウッド」だ。

ハリウッド=福富太郎さんと連想する人は、それなりにお年を召した方ですな。
中学生の頃に遠藤周作にはまり、たしか「快男児・怪男児」という小説だったと思うが、この福富太郎さんがモデルというような話を聞いたことがある。
なかなか痛快なお話でありました。
その“キャバレー太郎”こと福富太郎さんの著書、
「昭和キャバレ−秘史」(文春文庫plus )
文藝春秋 2004/03出版 \660(税込) は一度読んでみたい。

ライザ・ミネリの「CABARET」から最近の「CHICAGO」まで、キャバレーを舞台に繰り広げられる傑作ミュージカル映画に感動し、いずれはそういう大人の社交場デビューをしてみたいオヤジは、この歳になるまで、通過儀礼として様々な風俗店に足を踏み入れたことがあるのだが、キャバレーはまだ行ったことがないのだ。
いつかロマンスグレーの紳士になれたら、ちょいと足を運んでみるのもいいかもね。
ま、禿げチャビンのヘンなおじさんでもかまわないっか。

11:18:00 | mogmas | | TrackBacks

October 28, 2005

カネゴンくん着替えました。

芸術の秋、ということで、カネゴンようやく着替えました。

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スモックにベレー帽ぽい帽子で、今時こんな画家がいるかどうか知りませんが、絵描きさんを気取ってみました。


15:16:13 | mogmas | | TrackBacks

October 27, 2005

休日は一杯のコーヒーと共に

水曜日が休日となって9年目の我が家。
予定を決めていれば、その時間に行動開始だ。
でも目覚めには、熱いコーヒーなんぞがオヤジには必要だ。
今年の「フーデックス」で、お酒の試飲でいい気持ちになったオヤジの味覚を、ガツンと目覚めさせてくれたのはこのコーヒーだった。
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「男たちの大和」という角川映画がもうすぐ封切られるが、海軍さんはすごくハイカラだったのである。
オヤジ好みの苦みとのどごしが、目覚めにはちょうどいい。
久々に大ヒットのコーヒーなのだ。
ネットでも購入出来るが。「靖国神社」でぜひお試し購入してほしい。
別に右寄りというわけではないが、小泉首相がなぜあそこまで拘るのかを、自らの目で検証するのもいいだろう。
桜の開花予想でもおなじみの「靖国神社」だが、一度ではわからぬくらい奥が深い。
戦争の傷跡は今でも続いていると感じる光景に出会うかもしれない。
構えず、普通に、ぜひ行ってほしいものだ。

さて、戦後60年の感慨を身じかに感じる出来事はほかにもある。
「筑波エクスプレス」の開通で勢いづく、南千住地区だ。

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東京フロンテアだとか、東京新大陸だとか、仰々しく宣伝されるマンション開発が目覚ましい一帯に、ドーンと橋を架ける構想が現実になったのだ。
堀切橋を下りて、西武の“億ション”の脇を通り、一直線で南千住地区へ抜けられる橋の工事がもう完成間近なのだ。
一説によると、GHQが戦車を通すために引いた図面が今でも生きていて、町の活性化のためにそれが日の目を見たということだ。
一方では泪橋とか、安宿の林立する葬り去りたい現実を抱える南千住だか、一気に最先端の流れに呑まれてしまうかもしれない。

そんなミニお台場化する南千住に、時々買い物に行く。
「lalaテラス」というショツピングモールに、「ユザワヤ」とか、いろいろな店が入っていて、けっこう楽しめるのだ。
モグランポオリジナルふんどし制作のための生地の仕入れと、その夜の食料の買い出しとを兼ねて、ぶらぶらショッピング。

で、ばあさんが珍しくワインなんぞを飲みたいというもので、みつくろった。
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「ボルドーを知り尽くし、伝統と品質にこだわったポルドーの真髄」と仰々しく書かれている880円の高級ワインだ。
つまみは「そばの芽」等々。
粋な食べ方と書いてある、きざみ海苔をのせ、ワサビを添えためんつゆに付けてお召しあがった。
旨い。
「ルチン」と「ポリフェノール」たっぷりの夕食だか、私の血はワインと宣う川島なお美よりも量を求めるオヤジは、880円では到底満足せず、AMさんに頂いた芋焼酎のお湯割りになだれ込むのであった。
やっぱりこの季節、お湯割りだよね。
AMさん、ありがとう。



13:30:00 | mogmas | | TrackBacks

かあちゃんは人殺しが大好き《絶唱編》

太平洋の荒波が砕け散る断崖絶壁の岬の突端に、憂いを秘めた女が佇んでいる。
うかつに声をかければ、その拍子に身を投げてしまいそうな危うさがある。
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木陰に身を隠しその様子を見ていた運子は、意を決して慎重に近づいていった。
が、すでに運子がいることを知っていたらしい女は、ゆっくり振り向き、
「あなたが来ると思っていたわ」
と、自重気味に微笑む。
「私は、あなたを信じていました。それなのに、なぜ・・・」
運子は悔しさを滲ませた声で女に言った。

音楽静かにin-。「聖母たちのララバイ」

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ロケ地は茨城県立公園・五浦温泉。
まさにかあちゃんの大好きな“ベタ人殺しドラマ”の舞台にはもってこいの場所です。
台風の影響で荒れた海、吹きすさぶ海風に、ほっぺたを膨らませ、まるで歌うように笑い、殺人現場の疑似体験に酔うかあちゃんなのでありました。

ロケで冷えた身体を暖めるには、やはり温泉にかぎります。
太平洋を眺望出来る天然温泉露天風呂、五浦観光ホテル別館大観荘は今年の6月にリニューアルオープンしたばかりで、真新しい匂いがし、とてもきれいです。
日帰り入浴は1000円だが、併設のレストランで食事をすると200円バックされるとてもお得なシステム。

さて温泉は、画像の表示
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ナトリウムカルシウム塩化物泉の湯は、熱からずぬるからずのちょうど良い温度で、いつまでも浸かっていられる、やや濁りのある湯だ。
ああ、気持ちよかった。

湯上がりに海の見えるテラスで、キンと冷えた生ビールが飲めるが、残念、本日は車であった。

東京から真直ぐ来れば2時間少々の距離なので、また今度ゆっくり来て、温泉&アフター生ビールを堪能するのだ。

そのときかあちゃんに、断崖絶壁から突き落とされないようにせいぜいがんばりませう。

うちへ着くなり、早速テレビの前に陣取り、今夜の人殺し「水曜ミステリー」に勤しむかあちゃんなのでありました。
ああ、前途多難・・・。

11:16:00 | mogmas | | TrackBacks

October 26, 2005

黄門様のウォシュレット

徳川光圀(1628〜1700)。
言わずと知れた水戸黄門様である。
儒学を奨励し、「大日本史」を撰した。
権中納言という官位を賜り、黄門と呼ばれる。

テレビの歴代黄門役で一番印象に残るのが、初代黄門「東野英治郎」だろう。
その痛快な“カッ、カッ、カッ〜”という笑いもいいが、杖の使い方も様になっていた。
黄門=東野英治郎というぐらい擦り込まれていたから、亡くなられたのは残念だ。
その後いろいろな役者が演じたが、どうも今ひとつのような気がする。
実は密かに黄門役にいいと思っていた役者がいた。
ウルトラマンで科学特捜隊のムラマツ・キャップを演じた「小林昭二」だ。
どこか東野英治郎と表情が似ていて、正義感な雰囲気をもっていたからだ。
しかし、「仮面ライダー」のおやっさんを演じた後、悪代官みたいな役や、日光江戸村で活躍していたようだが、しばらく前に亡くなってしまった。
これまた残念だ。

先日茨城を旅したときに、偶然黄門様のエピソードに触れる機会
があったので、こんなことを思い出した。


【水戸光圀の尻濯ぎの湯】
 

水戸光圀がテレビドラマのように、お忍びで日本全国を旅したということは史実ではない。
肉体派ではなく、学究肌だったようで、旅と呼ぶようなものは、
せいぜい江戸との往復や、領地を見回るくらいだったようだ。
しかし好奇心おう盛な黄門様は、日本で始めて中華そばを食べたとか、けっこうお話が多い人だったのは事実のようだ。

北茨城に、五浦と書いて“イズラ”と呼ぶ土地がある。
岡倉天心の六角堂のある海辺の町といえば、ははあと思い出す人もいるだろう。
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元禄時代のある夏の日、黄門様はお供の者とともに、領地の視察に出かけ、この地に立ち寄った。
のどの渇きを癒すため井戸を求めて探すが、その年は日照り続きで、どの井戸も水が少なく、底のほうにわずかに溜まっているだけだった。
はて、どうしたものかと思案していると、長い竿を担いだ一人の村人がやってきた。
訳を話すとその男、竿の先に柄杓を括り付けてそろそろと井戸の中へ下ろし、一杯の水を汲み出した。
上出来と、黄門様へ差し出すその時、うっかりくしゃみをしてしまい、中の水が黄門様の着物へ飛び散った。
「ぶ、無礼者!殿の召し物になにをする!そこへ直れ」
共の侍が刀の柄に手を掛けて血相を変える。
ひれ伏す村人。
と、黄門様そこへ割って入り、
「よいよい、この者もわざとやったわけではない。着物は乾けば元通りだが、首を刎ねても元には戻らぬぞ」
そういって村人の前に屈み、
「そう這いつくばらずともよい。中々よい知恵じゃった。だか、慌てず最後まで油断するでないぞ」
「は、はーっ・・・」
そのことがあってから、男は村一番のしっかりものと言われるようになったとさ。
男の名前は八兵衛。
この男がTVドラマ水戸黄門の「うっかり八兵衛」のモデルだということは意外に知られていない。

またあるとき、気さくな黄門様は農家の庭先に腰を下ろし、田畑の様子などを農民と話していた。
黄門様の顔の前を一匹のしつこいハエが飛び回り、それには黄門様も少々手を焼いていた。
すると突然一陣の突風が吹き、脇で遊んでいた子供の手から風車が飛ばされ、うるさいハエを直撃した。
この偶然に黄門様も喜び、子供の名前を尋ねた。
子供の名前は「弥七」といった。
そしてそれがTVドラマ水戸黄門の「風車の弥七」というキャラクターに転じたことも意外と知られていない。

閑話休題。

黄門様のエピソードが多い五浦は、温泉が湧出する土地でもあり、風光明媚な海沿いに、現在でもいくつかの温泉がある。
そんな中、現在では温泉は出ていないものの、北茨城では有名な温泉が存在する。
正確には温泉が湧き出していた“岩”といったほうがいいだろう。
正座や乗馬など、尻に負担のかかる生活様式だった黄門様の時代、名のある武将にも“痔”持ちが多く、有名な加藤清正の「雪隠詰め」の話を例にとってもそれはわかる。
黄門様もシャレではなく、“痔”持ちだったのである。
故に乗馬や駕篭は辛く、出歩くときは度々休息を取る必要があった。
五浦の地を視察したおり、海を見渡せる丘の中程に、ちょうど腰を下ろすのに具合がいい岩を見つけた。
しばしそこで休憩を取ることにした黄門様は、なんだかほのかに尻のあたりが暖かいのに気づき、その気持ちよさにウトウトしてしまった。
ハッとして目を覚ました拍子に、持っていた杖がピシャリと岩を打った。
その途端、岩に裂け目が出来、黄門様の尻の下から程よい暖かさの湯が湧き出したのである。
吃驚したものの、その、えも言われぬ心地よさに着物が濡れるにまかせ、ふたたびうっとりと目を閉じた。
この出来事は瞬く間に周囲の村に伝わり、「黄門様の尻濯ぎの湯」として一躍有名になったのである。
しかしさすがの黄門様も、尻を丸出しにして湯に当たっている姿は見られたくなかったので、厳重な警護のもと、ゆっくり海を眺めながら尻を濯いだということだ。

そして現代。
TOTOの商品開発部のリーダー、木村芳宏(仮名・38歳)は新製品の企画に頭を悩ましていたときに、偶然このエピソードを耳にし、五浦の地を訪ね、今はもう湯が枯れてしまった岩に座り、一人黙考した。
そして、ついにトイレ史上に燦然と輝く画期的な製品、「ウォシュレット」が誕生したのである。
黄門様の死後300年余の時を超え、ついに人類は身分や人種の壁をも取り払い、尻に湯を当てるという快適を手に入れたのである。
黄門様も草葉の陰でお喜びでしょう。


 が、

  
   しかし、
  

  
   ごめんなさい・・・
  


    ・・・・・・・・これまで書いたことは全部ウソです。


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                 実際はこうでございます。
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茨城県の皆様、水戸黄門の関係者の方、並びにTOTOさん、失礼しました。
悪意はございませんが、ちょっと便意を催してきましたので、このへんで失礼致します。
御機嫌よう・・・・。“カッ、カッ、カッ〜”

11:16:00 | mogmas | | TrackBacks