January 14, 2006

真昼の月

ついに我慢が出来なくなって、「STAR WARS 3 REVENGE OF THE SITH」を見てしまった。
本当はスクリーンで見たかったのだが、スクリーンはばあさんのベッドのすぐ前に下りてくるので、“ばあさん元気で留守がいい”ときしか見られないのだ。
スクリーンを設置した最初の予定では「夜な夜な名画座」になる筈だったのに、ばあさんと同居することになり、部屋の半分をばあさんに明け渡したのだ。
今後ばあさんが順調に回復して、泊まりで出かけてくれるまで、「S・W」シリーズ全6話連続上映の時期は当分先になるだろう。

ところで、映画で最初に「STAR/スター」という言葉が使われたのはどのへんからなのか?
間違っても「スタア・ニシキノ」からではない。
1888年エジソンがキネトスコープを発明し、1895年12月にパリのカフェでリュミエール兄弟がスクリーンに映像を映し出し、映画が誕生した7年後の1902年、世界初の劇映画「月世界旅行」というSF・特撮映画の元祖を作ったジョルジュ・メリエスという人かいた。
このメリエスさん、実は奇術師でもあり、多分に山っけもあったのだろうが、衝撃的な発明品の映画に目を付け、最初に興行品、商品にした人だ。
そんな彼が興した「スター・フィルム」社の商標から、「スター」という言葉が使われ出したのだ。
しかし、最初は面白かったストップモーションや多重露光などのトリック撮影を多用したメリエスの映画は、次第に飽きられ、ついに「スター・フィルム」は倒産してしまう。
何でも出来るCGを過信し、ドラマがお粗末になっている昨今の映画は、草創期からあった教訓を生かしていないんじゃないかいな。
いずれにしても、テクニックや技術だけでなく、人=スターを見せなければ映画は成り立たないと悟るのである。
映画スター不在の日本に、明るい銀幕の未来は来るのだろうか。

世界の渡辺謙よりも、アジアの大スター小林旭と殺し屋宍戸錠の対決をスクリーンで見たいと切に願うオヤジなのである。

またしても朝まで映画を見てしまったオヤジは、翌日ウダウダしながら昼近くなってようやく外出した帰り道、空を見上げれば、月齢11.39の宵月がぼんやりと浮かんでいた。
画像の表示
それはまるで、辺境の惑星タトウィーンに昇る巨大な衛星のようにも見えたのである。

14:06:00 | mogmas | | TrackBacks

January 13, 2006

健さん、あなたもですか?!

本日1月13日の金曜日。
アメリカじゃぁ「ジェイソン」が殺しにくる日でしょうが、わが国では、ただ1人の年寄りを殺すために、大勢が徒党を組んで押し掛けた日であります。
すなわち、元禄15年(1702)旧暦12月14日、月齢13.11満月、47人の刺客が本所松坂町の吉良上野介邸に討ち入り、その首をとった 「赤穂事件」の起きた日であります。

市川崑監督の映画「四十七人の刺客」は、往時のオールスターキャストの「忠臣蔵」とは趣きが違う。
池宮彰一郎の原作は未読だが、「敵を討つ」という視点ではなく、浅野内匠頭の刃傷の原因を幕府=柳沢吉保&上杉家江戸家老色部又四郎が隠蔽し、己の安泰を計るという陰謀に、大石内蔵助率いる赤穂勢が立ち向かい、ご政道を正す、という話になっている。
ために、今までの歌舞伎、演劇、映画、ドラマの名場面、お涙頂戴シーンは極力描かれない。
だから、「各々方、討ち入りでござる」とは言わず、高倉健さん扮する大石は、「今宵、吉良を殺す」と言うのだ。
さしずめリアル判「忠臣蔵」といったところだが、とっても残念なことが1つだけあった。

「ズラ」である。
とても強そうな健さんの襟足の毛が、「ズラ」から見苦しくはみ出しているのだ。
思わず「健さんあなたもですか?」と画面に話しかけてしまった。
時代考証や所作もきちんとする市川崑演出なのに、「ズラ」からはみ出た毛は、お構いなしだ。
さすがの崑さんも健さんには言えないのか。
いや、他の役者の襟足も見苦しかった。
とすれば、もはや「ズラ」屋が悪いとしか言いようがない。
このCGなどの技術が進歩した世の中にあって、「ズラ」だけ技術革新がないのはどういう怠慢だ。
カツラ屋さんのコマーシャルを見るがよい。
増毛、植毛の技術のすばらしさは、ふさふさの髪をマルガリータにしてでもやってもらいたいと思わせるほどだ。
なぜそこまでしないのだ。
まあ、10年前の映画だから、そこまでは無理としても、せめて「ズラ」を被るときは、襟足をきれいに手入れしてほしい。

という訳で、半ば「ズラ」で腹を立てていたので、作品の評価は大好きな市川崑監督の映画でも高くない。
吉良上野介が白刃を構えて迫る大石内蔵助に「刃傷の訳を聞きたくないのか」と命乞いをするのに対し、内蔵助は「聞きとうない!」と一蹴する。
これは今までの「忠臣蔵」では有り得なかったことだ。
「殿のご無念を晴らす」という一念で1年9ヶ月もの日々に耐えてきたのだから、念願成就のその日に肝心の「刃傷」の秘密がわかるのなら、四十七士だけでなく、見ている観客も知りたい。
それが人情だろう。
しかし、その秘密は永遠にわからないのだ。
史実でもわからないから、ドラマが生まれたのだ。

いままで随分と「忠臣蔵」幻想を擦り込まれてきた身には、この映画は新鮮ではあった。
しかし、まだまだ多くの疑問があるので、このテーマは終われない。
来年の今月今夜、再来年の今月今夜も、きっと新たにこの件に関して発見があるであろう。
各々方ご油断めさるな。

 


15:52:35 | mogmas | | TrackBacks

コウモリ男の夜

“悪魔のあっくん”やAさんから、とてもいいから見ろと、去年言われていたのだが、延び延びになって、ようやくこのあいだ見た。

「バットマン・ビギンズ」。
一言で言うと、ティム・バートン版の2作の方が好きです。
DVDで安かったので、前作のシリーズは全部そろえた。
シリーズ後半は敵のキャラが強すぎるし、バットマン役者も変わっているのでちょとヘナチョコだったが、それはそれで昔のテレビシリーズ乗りでいいかもしれない。

さて、新作のバットマンだが、普通の?大富豪ブルース・ウエィンがいかにバットマンになったかという件が物語の核で、よりハードで骨太な展開になる・・・筈なんだろうけど・・・。
かったるいよね。
いいってば、そんなに理由づけなくても。
どうせゴッサムシティから出ない、地域限定正義の味方なんだから。
だいたい「影の同盟」ってなんじゃらほい。
渡辺謙、かっこ悪すぎ。
大々的にマスコミに取り上げられちゃったから、本人もバツが悪かったんじゃないかな。
リーアム・兄さん、師匠の役で出過ぎ。
せっかくゲーリー・オールドマンやルトガー・ハウアーのような悪が出来過ぎちゃう人たちがいるのに、もっと全面に出してくれた方がうれしいのに、忍者はないでしょう。
まったく、ハリウッドったら。
世界を裏で操っているような組織が、ブルースの両親殺しを誘発する原因を作ったという設定は、いささかこじつけ気味だし、それがあっさり片付けられてしまうんだから、小さなサークル活動のような悪の軍団だ。

コスチュームや武器などの設定はわりと好きだ。
アルフレッドのマイケル・ケインもいい。
ゲイリー・オールドマンもたまにはいい役もいいか。
次回作が作られるのなら、このキャスティングはOKだ。
ただ、最後にジョーカーの登場を匂わせて、ティム・バートン版へ繋がるようなシーンを作ったのはどういう訳だ。
きっぱりと別物で、前作を引きずらないで作ってくれれば良かったのに。

次回作を作るのなら、新シリーズ化を狙わないで、原作のバットマン最後の戦い、「スーパーマン対バットマン」か「バットマン対プレデター」の対決路線でいってほしい。
なぜ悪を憎むのかとか、なぜ戦うのかという問題はもういいでしょう。
ということで、この作品が我が家のバットマンDVDコレクションに加わることはなさそうた。
少なくとも、何度も見たい出来だとは思わない。
そういうことです。
あしからず。




09:36:00 | mogmas | | TrackBacks

January 05, 2006

生キ方用意

去年の4月のことだ。
どこかの国のイケイケドンドン首相が、参拝するのしないので隣国まで巻き込みわいわいやっている時、桜の花見にかこつけて「靖国神社」へ行ってきた。
行った事もない、見た事もないでは、土俵にも乗れないし、いい歳をして自前の意見にも説得力が持てないだろうと思ったのだ。

それまでにまったく行ったことがなかった訳ではないが、何かを知ろうとして出向くのは初めてということだ。
その時、拝殿・社頭掲示にあったのが旧帝国海軍中将「有賀幸作」の遺書だ。
戦艦「大和」第五代目艦長が、昭和16年11月15日の夜に認めたものである。
昭和20年4月7日の“その日”より、4年も前からの“覚悟”だ。
この時彼は43歳、封書に「戦死の場合開封、それ迄好子(妻)保管のこと」となっている。
以下はその抜粋である。

「遺  書      海軍中将 有賀幸作 命

八紘一宇大東亜共栄の新秩序建設に宿望の指令として然も帝国海軍最新最鋭の駆逐隊を率いて外敵の撃滅に当り得るは誠に無上の本懐なり 元より生還を期せず
  (中略)
母上様
家運再興のため御老年にも拘らず永年に渡る御辛苦御努力誠に感激の外なく
思茲に至れば常に涙なき能わず厚く御礼申上ぐると共に生前至らざる事のみ多かりしを深く御詫申上げます
  (中略)
好子どの
遇する事の薄かりしに拘らず仕ふる事の申分なかりしを深謝す
常々申渡ありて今更別に述る事なきも母上様の孝養と子供の養育を全うせられ度
  (中略 子供に宛てて)
兄弟相援け平素の父の訓を守り身心の鍛錬に学業の成就に務め忠孝の道を全うし皇国の臣民の本分を果すべし」

なにも予備知識なしに、部分的に読めば、江戸時代の武士が認めたものと思われそうな文面だが、これがわずか60年前の、当時の最先端をいっていた人の「遺書」なのだ。

映画「男たちの大和」で、若い兵士が上官に問う。
「武士道と士道の違いはなんでありますか」と。
上官の答えはここでは言わないが、「大和」艦長の「遺書」からも、新生日本のさきがけとして散った“もののふ”の魂が察せられるではないか。

映画は戦闘を指揮するものの目線ではなく、若い年少兵や大尉以下の行動に焦点をあてて進んでいく。
「大和ホテル」と称された烹炊所班長を演じる“大根”反町くんをもほどよく煮込み、なぜか片目の役が多い中村獅童も出しゃばらせず、“今どきの若い奴ら”をよくマルガリータにし、所作にも気配りが行き届き、教条的でない話の持っていき方は、さすが「新幹線大爆破」の佐藤純弥(字が変換できない・・・)監督作品であると感じ入った。
奥田“艦長”瑛ニはやや線が細く、長嶋“臼淵大尉”一茂は良いとこ取りという気もしないではないが、エキストラを含む何百人を整然と指揮し、行動させる職人芸は見事だし、東映映画の十八番の戦闘シーンになると(ハリウッドの影響を見て取れるが)その真骨頂は遺憾なく発揮されて、まさに戦場を体感する仕上がりになっている。

ただ、過去と現代が交錯するストーリー展開に不満はないが、シーンとシーンのつなぎ目に情緒が欠けているような気がした。日本映画にありがちな編集の不満は、偏屈オヤジだけのものなのだろうか。
やたらお涙頂戴の部分だけを強調したがるCMや予告編に食傷ぎみなので、「ここは泣くところですよ」というシーンでは泣かずに、何でもないところで歳とともに弱くなった涙腺から(「三丁目の夕日」の懐かしさの余りのベトベトしたものでなく)、スゥーッと一直線に流れる涙はむしろ爽快ですらあった。

60年生き長らえてきた意味を知った仲代“明日香丸船長”から、未来に舵を託された正太郎“あつし”くんは、トム・クルーズを卒業し、鉄人28号の操縦器を舵に持ち替えて真直ぐな視線を海原に向けるのである。
そして「死ニ方用意」から「生キ方用意」へ、若者は舵を切るのだ。

ラストのテーマ曲が「さだまさし」でなくて本当によかった。
そして、角川兄弟のタッグにまんまと乗せられてしまったこの映画は、もっかのところ本年度ベストワンなのである。

あっ、そうか、まだ今年はこれしか見ていないんだっけ。
これまた、失礼致しました。



09:28:00 | mogmas | | TrackBacks