July 27, 2006

日本沈没/或いはクサナギくんのどこでもドア

  
たまたま時間が合って、迷うことなくスッと入れなかったら,その日見たかどうかはわからない。
でも「樋口っちゃん」の特撮(今回は監督だけど)は好きだったから、やがては見るつもりではあった。

もう初っぱなからビルがぶっ壊されると、「うわーい、ガメラが出てこないか,ギャオスが飛んでこないか」とうれしくなってしまう映像が繰り広げられ、マニアしか知らない日本国が保有している艦船や飛行機をこれでもかと見せてくれて,「ゴジラ」無き東宝に久々のスペクタクルがやって来たのであります。
1973年の「日本沈没」では存在しなかった大CG祭りで、「ローレライ」の汚名挽回とばかりに、細かいところまで作り込み破壊しまくり、深海にはガメラの墓場も米国の潜水艦も待ち受けてはいないが,やり残したことや試したかったことを思う存分やりましたという感じだ。

なんせ日本が沈没して無くなってしまうお話だから,細かな個人的なことはおいておいて、て、て、・・・、ああ、「何を演じてもクサナギくん」と「ナカシマミカ」と区別のつかなかった「柴咲コウ」が、1億2000万人の危機を尻目に不器用なラブラブだぁ !
ご面相は一応合格だが「コウ」ちゃん、ハイパーレスキュー隊員で活躍したかったらその腰まで伸ばした髪の毛を切れっ ! と隊長は思う。
「クサナギくん」も最後の決断はわかりきっているのに、煮え切らない態度で、もう、座席の肘掛けをトントン叩いてしまうほどじれったい。
待っててあげるからさっさと済ませてね。
テレビだったらまさににオシッコタイムのシーンをやり過ごすうちにも、どんどん日本は沈んでいく。

ここで、林檎ユーザーにはうれしいサービスカットをいくつかネタバレしちゃおう。
まず「クサナギくん」の同僚で、潜水艇「わだつみ6500」のパイロット結城・及川ミッチーの部屋には20インチのiMacが起動中。
田所・トヨエツ博士の研究室には多数の林檎が稼働し、複雑なシュミレーションを解析しているが,1台だけ窓屋のPC(たぶんデル)があり、日本最後の日をはじき出しディスプレーに映したとたん、激高したトヨエツ博士に拳でぶん殴られ壊れてしまう。ヒッ,ヒッ,ヒッ・・・。
壮観なのは、政府の危機管理会議のデスクトップにずらりと並んだPowerBookの勇姿だ。
日本の命運を決する会議にも林檎が大活躍,危機管理担当大臣の「大地真央」ネェさんも小脇に抱えてダイチマオだ。
まさにハリウッドも顔負けの林檎のオンパレード。さすがオタクの樋口っちゃん、やってくれます。
もう一つやってくれたのは、ガンダムファン、エヴァンゲリオンファン、ローレライ・イージスファンにおなじみのあの方々がちょびっと出演されていること。
さて、どのシーンで顔を出すかは劇場で確認されたし。

さて、そうこうするうちにも日本の沈没と噴火と地震は激しくなる一方で、石坂・山本総理はアイム・ソーリとご退場。
もはや日本を救う手立てはないのかという時に、と、と、と、またしても神出鬼没の「クサナギくん」、精一杯の悩み顔だがこ綺麗ななりで、故郷の会津に現れたと思ったら、絶望の支配する避難所に食料を持って立ち寄り,現場の最前線で活動している「コウ」ちゃんをもフラッと訪ねる。
日本列島が寸断され水没しているというのに、実に身軽に瞬時に現れる「クサナギくん」だ。
いったい彼はどんな手段で移動しているのだろう ?
ちょっと考えたら、わかった。
彼は「どこでもドア」を持っているのだ。それもジャニーズ特製、いやスマップ特製のヤツだ。スマップのメンバーはみんなこれを持っていて,あらゆる時代、場所、設定に移動可能なのだ。
さすがの樋口っちゃんも、これはいじれなかったに違いない。
恐るべしジャニーさん。恐るべしスマップ。

ちょっと前に、巨大隕石が地球に衝突して人類が絶滅するかもというハリウッド映画があったけど、あのブルース・ウィルスに泣けた人はこの映画も大丈夫かな。
「クサナギくん」の背後に「どこでもドア」を見つけてしまった人は、残念だけど回りの空気をよんでエンドタイトルを待ってください。

石坂・山本総理の言葉に、「沈没する日本から逃げるという人が多い中で,日本にとどまり静かにその日を向かえるという人もいる。それが日本人、云々・・・」というのがあったが、どちらかといえばオヤジはそっちの方だと思うので、そのあたりも描いてほしかったよね。
1973年版は、黒澤の愛弟子・森谷司郎監督と円谷英二の愛弟子・中野昭慶特技監督が組み、橋本忍の脚本、林木与四郎の美術という大御所を向かえ、藤岡弘の主演だった。
今回の映画で不満がある方は,筒井康隆の「日本以外沈没」をチェックすべし。
リメイク版もあるそうで、そこには藤岡弘が出演しているのだそうだ。
いろいろありますなぁ。



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July 17, 2006

リベリオン

  
あまり好きではないスピルバーグ監督の映画の中で、「太陽の帝国」は好きな方の部類だった。
その「太陽の帝国」の主役のお坊ちゃまは、立派に成人なされて、鍛え抜かれたいい身体で、2丁拳銃を撃ちまくり、華麗な技で敵をバッタバッタとなぎ倒す「GUN-KATA」の達人にお成りになった。
「リベリオン/反逆者」の原題は「EQUILIBRIUM/心の平静」だが、これではお客さんがこないということで「リベリオン」に変えたのだろう。
でもオヤジだったら、ずばり「GUN-KATA」か「CLERIC/クラリック(聖職者)」の方が良いと思うんだけど。

最初に「GUN-KATA」ときいたときは、GUNアクションに刀の殺陣を加えた技の名前かと思ったが、もっと複雑に中国拳法の手の動きとGUNを連動させ、敵の動きを瞬時に読み、相手の武器を自らの武器に変え、あらゆる攻撃をかわしながら有利に反撃に転じる、法の執行官が身に付けた実践的な技だった。
「GUN-KATA」のKATAは型のことのようで、敵を倒したあとの決めホーズは、歌舞伎や時代劇の「見得」に通じる。
様々な銃器が登場し、マニアの方はふんふんと頷きながら楽しく観賞できるに違いない。
「ウルトラバイオレット」の「ジョヴォ子」の技は、この「GUN-KATA」から発展したということがよくわかる。

こういう映画を、重箱の隅をつつくような見方をしてはいけないとは思うが、突っ込みどころ満載の、スキだらけのお話だから、アクションだけが浮いてしまうのは仕方がない。
「ウルトラバイオレット」でもそうだが、近未来の独裁者に管理された社会という設定は、本当に手垢がつきすぎているし、悪の総帥にはそれなりの魅力がなくてはいけないのに、強烈なキャラクターを用意できないままお話が進行しているので、どうも今イチ盛上がらない。
そこへもってきて主人公が超絶パワーの持ち主なので、あまりに簡単に悪を成敗してしまい、子供たちが大好きな「戦隊モノ」となんら変わらない出来になってしまうのだ。むしろ「戦隊モノ」の方が、最近は出来がいいかもしれない。

というわけで「リベリオン」は、アクションだけを語るのならOKだが、映画的にははなはだ退屈な作品だ。
「ウルトラバイオレット」の「ジョヴォ子」のような、カッチョイイ魅力的なキャラが主役を飾るのならオジさんはうれしいのだけれど・・・。


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July 16, 2006

M:i:III


トムさんのトムさんによる、トムさんのための映画の第三弾は、スローモーションでくるくる回ったり、白い鳩が飛んだりはしないが、これでもかこれでもかと超絶アクションてんこ盛りの、お腹がいっぱいになる仕上がりであった。
前作のジョン・ウー監督のときは、トムさんカッチョイイ〜と思ったものだが、今回はどうしたわけか、カッチョイイ〜とは感じなかった。
トム・クルーズ法案が可決されたせいか、あまりのセレブぶりに「何億ももらえるんなら、ワイヤー1本でビルの上から吊るされるぐらいワシだってやってやらぁ」と、秘かに思う御仁も多いのではなかろうか。
オヤジの好きだった「スパイ大作戦」は、トムさんのおかげですごい超大作映画になりはしたが、アクションが派手になればなるほどお話の方はしょぼいものになっていって、トムさんのキャラクター映画に収まってしまうのだった。

それでも、シネコンの前から5列目の中央で観賞したら、その音の迫力に久々に感動した。
ドイツでのミッションで、仲間を救出したトムさんご一行は、ヘリコプターに乗り込み脱出。すぐに追っ手が現れ、ヘリ・チェイスとなる。
風力発電のプロペラが林立する中を、ミサイルをよけ、ヘリは飛び交い、ヘリの中では仲間が虫の息、あっちもこっちもどうにもならん状況。
スレスレでかわしたミサイルは風力発電の柱に命中、真っ二つに折れた柱は、プロペラごと地表に激突する。
その轟音が、音圧と振動になって観客席を襲う。
いやいや、この臨場感は劇場でないとなかなか味わえませんな。
また、悪者を護送中、橋の上で敵のミサイル攻撃を受ける、予告編でもおなじみのシーンも期待を裏切らず、その他ボカスカいろんなものを破壊し、ミッションを遂行するトムさんなのである。

あれ、この正義と恋人のために破壊を屁とも思わないミッションは、どこかで見覚えがあるぞ。
そうだ、「チームアメリカ」ではないか。
IMFという組織は、ひょっとすると「チームアメリカ」の前組織なのかもしれない。
そうかぁ、実写版の「チームアメリカ」をトムさんは目指したんだ。
次回は日本を舞台にするようなことを、リップサービスかもしれないがトムさんはおっしゃった。
それならぜひ、悪の将軍様を引きずり出し、テポドンやら、テンドンをやっつけて頂きたいものだ。
もしそうなったら「M:i:4」でなくていいから、「トム・クルーズinチームアメリカ」にしてほしい。
ぜったい劇場に見に行っちゃうもんね。

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July 11, 2006

フライト・プラン


「予告編とは全然ちがう」らしいと、Aさんが言うので、それ以来一週間レンタルになる日を待ちわびていた。
オヤジも劇場で予告編を見て、「ジョディ・フォスター」(ええい、以下、ジョディ子と呼ぶ)の“戦う”凛々しい姿をスクリーンで見たかったのだが、上映期間との折り合いがつかず、つい見逃していた。
本日TUTAYAさんで、一週間レンタルではないのに、魔が差した。

「インサイド・マン」のときの「ジョディ子」とどっちが好きと訊かれれば、躊躇なく「フライト・プラン」の「ジョディ子」と答える。
傷つき、一途に、信念を曲げない「ジョディ子」は、鼻が少々高くて接吻しずらいことを除けば、オヤジの趣味である。
派手に2丁拳銃で撃ちまくらなくても、舞うように相手を叩きのめす「ジョヴォ子」のような技を使わなくても、彼女はいつも戦う女なのである。
「ジョヴォ子」のようにウルトラ中途半端な「母性」をひけらかさなくても、「ジョディ子」はどっしりとした「母」を演じられるのだ。

しかし、この作品が好きかどうかと訊かれれば、躊躇なく「嫌い」と答える。
「母性」の塊となって、「グランド・ホテル」形式の「巨大旅客機」という密室の舞台設定の中を駆けずり回る「ジョディ子」は、後半の見え見えになる(あくまでオヤジにとっては)展開のお粗末さのために、「ジョディ子」の「ジョディ子」のための「ジョディ子」の映画になってしまうのだ。
それでも、オヤジ以上に「ジョディ子」マニアだったら耐えられるかもしれないが、ビールや焼酎や、「バーバーくん」のお引っ越しのせいのためでなく、3度もアクビを漏らしてしまった。

ネタバレかどうかはご本人次第だが、言ってみれば、「ダイ・ハード」と「フォー・ガットン」の良いとこ取りで、大団円で“涙”する映画とはほど遠い。
ただし、超常現象や、霊現象のたぐいはございません。
素直に映画を見る人のみ、「ジョディ子」に共感できるかもしれません。
劇場で見なくても、一週間レンタルでも、充分な作品だと思います。
まあ、「ジョディ子」ファンは別ですが・・・。
DVDの特典映像で、最近人気のアメリカのテレビシリーズ「LOST」が付いているので、そっちが見たい人にはお得だね。

11:15:00 | mogmas | | TrackBacks

July 07, 2006

ウルトラバイオレット

  
「ウルトラ」という言葉にすぐ反応してしまう、“シュワッチ”な世代の性である。
「悪魔のあっくん」に尻を叩かれなくても、他の映画の予告編で「ミラ・ジョヴォジョヴォジョヴォビッチ」(嗚呼言いにくい、以下ジョヴォ子と呼ぶ)のカッチョイイ!!アクションをちょいと見ただけで、本編は絶対見ようと思っていたのだ。

今や常連となってしまった「亀有MOVIX」に、ショッピングセンターのオープン前から乗り付け、エレベーターさえまだ動かないのに、ホールでご近所の若い主婦と共に佇んでいた。
心の中では「あなたもジョヴォ子ですか ?」と話しかけていたのだが、不審者と思われないように行儀よくしていた。

映画館が開場すると同時に、熱いコーヒーを手に入場し、いつものDの9番の席に腰を下ろす。
ちらほらと入ってくる観客を数えれば、なんと男ばかりたったの6人だ。
しかもオヤジとさほどかわらない年齢の、“お前仕事はどうしたんだいっ?”といいたくなるネクタイ族だ。
みんな「悪魔のあっくん」同様屈折した者だけが、「ジョヴォ子」の癒しを求めているのかもしれない。

オープニングタイトルで流れたコミックの「ヴァイオレット」で、この映画もまたアメリカン・コミックが原作かと思いきや、そうではなく、監督が1980年のジーナ・ローランス主演の「グロリア」からインスパイアーされて誕生した、オリジナルの映画だということだ。
しかし、まあ、お話としては、手垢の着いた「また地域限定の終末決戦ですかい」と突っ込みたくなる展開だ。
だが、そんな些末なことはどうでもいい。
少ない観客が一心に思うのは、「ジョヴォ子」がカッチョイイかどうかということだけだ。

いやはや、魅せてくれます。(尻は見せども、乳首は見せぬ)
いきなり「トリニティー」もタジタジの舞踏のごときバトルアクション炸裂。
バッタバッタと敵をなぎ倒す、その華麗な舞はどうだ。
ストレートのサラサラヘアーも乱れず、毛先にチロチロと走る青白い放電も素敵。
もはやサングラスとバイクは戦う女の必需品です。
敵の戦闘員は強そうな格好をしているくせに、揃いも揃って一撃で倒されてしまう「ショッカー」の“イーッ!”状態、お約束通りの正しい弱キャラですな。
映画開始から15分足らずで、「ゾンビ」と「ヴァンパイア」と「ミュータント」のごちゃ混ぜのお話の先が見えてきます。
だが、そんな些末なことはどうでもいい。
少ない観客が一心に思うのは、「ジョヴォ子」がカッチョイイかどうかということだけだ。

重力レベラーを身に付け、「ドラえもん」の四次元ポケットみたいな武器収納ブレスレットを腕に巻き、ヘソ出し「ジョヴォ子」はまさに無敵の殺人マシーンだ。
だがお話は、子供に母性をくすぐられた「ジョヴォ子」の見せなくていい弱さをかいま見せ、ここへ来てテンポが少々もたつく。
「ジョヴォ子」の魅力は、敵を射殺すような戦士の目を持ち、強靭でしなやかな完璧な肉体と美貌の中に、脆い泣き虫な少女性が同居していることだが、あまりその面を強調すると、R・ベッソンの二の舞になってしまう。
ここはサラッと流して、アクションのてんこ盛りにしてほしかった。

30歳すぎてこの肉体とアクションは、ドモホルンリンクもびっくりですな。
さすがにモデルの「ジョヴォ子」ですから、衣装も黒から赤へ、はたまた白へと、ヘソだけは出しながら髪の色まで七変化。
刀のアクションも力強く、火花散る散る、炎も発す。
中だるみはしましたが、パート2でも、3でもどうでもなるような作りは、この手の作品の常套手段です。
だが、そんな些末なことはどうでもいい。
少ない観客が一心に思うのは、「ジョヴォ子」がカッチョイイかどうかということだけだったのですから。

わたしは思う。
演技派の「ジョヴォ子」なんてどうでもいい。
ただひたすらアクションに徹してくれるなら、次回もきっと心ときめかせて見るだろう。
欲を言えば、「ジョヴォ子」対「ケイト・ベッキンセール」の戦いをぜひ見てみたいのであります。

10:20:00 | mogmas | | TrackBacks