September 09, 2006

怖い顔

  
5年ほど前、かあちゃんからも、バイトの女の子からも「怖い顔」だとよく言われた。
その頃精神状態がよくなかったのか、何かに激しく怒っていたのか、もう忘れてしまったが、もって生まれたこの顔はやんごとないお坊ちゃま顔だと思うのに、他人は無愛想なおっかないオヤジだと思うらしい。
何を思われようが真実はさにあらずなので、気にしなくてもいいのだが、客商売は顔が命などと、自分はニコニコおかめ顔の母ちゃんは「もっとにこやかにしろ」と言うのである。
そんな時新聞の片隅に載った募集広告に目がとまり、切り抜いた。

それは、ほぼ全員が「怖い顔」の集団「悪役商会」の新人募集オーデションの広告だった。
映画が好きだったから、映画を作りたいとは思うが、自分が演じることはそれほど考えたことはなかった。
黒澤明の「影武者」の一般公募に書類を送ったことは若気の至りであったが、この歳になって悪役をすすんで演じることはどうなのよ、とチラッと思いながら、切抜きは捨てずにおいた。
それは、もう半分応募しようと決めているようなものだったが、1人では少し不安だったので、誰か道連れをと考えたら、あの男の顔が浮かんだ。
「悪魔のあっくん」である。
彼は「怖い顔」ではなかったが、いざ本番で突拍子もないことができる(そういう意味では怖い、まさしく悪魔なのだ)才能があるので、きっといいセンいくのではないかという気がしたのだ。

酒飲み話でその件を切り出すと、やってみようかとなった。
「深キョン」みたいな娘をメタメタのズタボロにしてしまう、極悪非道のオヤジを演じようと意気投合した。
最近流行の「チョイ悪オヤジ」なんて半端なものではなく、「極悪オヤジ」になろうとしたのだ。
そんなこんなで必要書類を郵送すると、オーデションの日時と会場が指定された。
応募する人はかなりの数いたようで、「悪魔のあっくん」とオヤジは別の時間、別のグループで受けることになってしまった。

オーデション当日、高田馬場と新宿の中間ぐらいのところにある会場のビルの近くまで来ると、なんだか黒服のおっかない顔の人たちが道々に立っている。
会場ビルの玄関にも待ち構えるように「怖い顔」のお兄さんが立ち、「オーデション会場はこちらです」と親切に案内してくれた。
普段は会議などに利用するような室内には、もう30人ほど「怖い顔」の人たちがパイプ椅子に腰掛け、腕組みして重苦しい雰囲気で待っていた。
その光景を知らない人が見たら、広域暴力団「ナントカ組若頭全国会議」かもしれないとビビッテしまうだろう。
会場の片隅にはオーデションの段取りが書いてあるホワイトボードがあり、「怖い顔」の人々はそれを睨みつけるように見ているのである。
やがてボスの「八名信夫」さんと女性も含めた5人の審査員が現れ、本日の趣旨と説明があり、オーデションが始まった。

その場の全員の注視を浴び、最初の人は緊張の面持ちで審査員の前に進み、やおら仁義を切った。
この仁義がオーデションの自己紹介であり、あとに続く強面の寸劇とあわせて本日の課題なのだ。
よどみない台詞回しの現役劇団員、ジャパンアクションクラブ所属のムキムキマンは見事にトンボを切り、どう見てもオヤジより10歳は上のおじさんはしどろもどろで汗びっしょり、だが圧倒的に芝居経験者が多いのを見て取り、「八名信夫」さんは口を挟んだ。
「課題を無難にこなさなくてもいい。手垢のついた演技はいらない。飾らずに自分を出すこと」
その言葉で会場はすこし気が楽になった。

しかしオヤジはノー・プランだ。
一か八か、当たって砕けろしかない。
「おひけぇなすって、手前生国と発しますは千住でござんす…」
幸いにも田村栄太郎著「やくざの生活」を読んでいるオヤジは、ちょいと仁義についちゃぁ人より知っているつもりだ。
「木枯らし紋次郎」や「股旅」など持っている知識をフル動員して、延々持ち時間の半分以上を使って仁義の薀蓄と自己紹介をしゃべりまくる。
途中で八名さんからストップがかかり「なんで貴方そんなこと知ってるの?」と質問が飛ぶも、勢いづいたらとまらない。
夢中なままに持ち時間を消化し、礼をして席に下がった。

あとで聞いたら「悪魔のあっくん」も型破りの課題無視で、バタやんの歌など歌って意気揚々と引き上げたらしい。
結果、2人とも合格。
食えない劇団員は正規の仕事を持っていることが前提で、仕事の余暇を利用して稽古や公演を行うのだそうだ。
残念ながら店があるので、土日の稽古も地方公演も無理なオヤジは諦めた。
それならと、「悪魔のあっくん」も断ってしまった。
オヤジに付き合わなくてもいいのに、もったいない。
だが悪役の専門家に、取り合えず鍛えれば「怖い顔」としてやっていけるかもしれないとお墨付きをもらえたことはいい思い出になった。

先日、TUTAYAさんを徘徊していて、この頃のことを思い出させるDVDを発見した。
ずばりタイトルは「怖い顔」。
監督・本田隆一、主演・松田賢二。

桜井恭一は生まれながらの怖い顔の持ち主で、すれ違った人は怯えて道を開け、親切で拾ってあげたボールを手渡した子供は泣き出し、駆けつけた母親もその顔をみて叫びだす始末。
友達も彼女もできずに、コンプレックスの塊で職探しにも熱が入らない。
その顔とは裏腹に気弱で、おどおどしている恭一に、ある日転機が訪れる。
その仕事は、もって生まれた「怖い顔」を存分に生かせる天職とも思われたが…。

というようなストリーなのだが、主演の松田賢二の「怖い顔」は「何か大それたことをしでかしそうな」という感じの顔演技で、恐怖する顔でも、相手を射殺すような顔でもない。
タイトル通りの顔を想像するとちょっとがっかりする。
彼の父親役で真樹日佐夫が出ているのだが、こちらははっきり言って怖い。
充分年季の入った「怖い顔」だ。
これは監督の意図に反して、絶対息子の話より、親父の話のほうが面白そうなのだ。
残念!!

「怖い顔」を維持するのは結構大変なのよ。
母ちゃんいわく、Tシャツの前面に「一見怖そう」、裏側に「話せばいい人」とプリントしたものを着て歩けという。
ま、それもありかな・・・。

16:42:41 | mogmas | | TrackBacks

September 07, 2006

マッチポイント

  
久々に見るウディ・アレン映画だ。
どんな内容か、事前になにも情報をチェックせずに映画を見るのも久々だ。
ただスカーレット・ヨハンソンが出ているウディ・アレン映画だから見たいと思ったのだ。
なんとなくスカーレットちゃんがきわどい役柄らしいのを期待して、ただそれだけが見たかったのだ。
しかし、ウディ・アレン、やっぱこのおっさんはただ者じゃありません。
最後までしっかり見せてもらいました。


古いレコードのプチプチというノイズとともに、オペラの曲が流れ、クラシカルなタイトルバックで映画が幕を開けると、ネットの上をテニスボールが行ったり来たり、次の瞬間ボールはネットに当たりはずみ、どちらに落ちるかスローモーション。
マッチポイントでの最後の1打はどちらに落ちるか、勝負は時の運、努力でも根性でも技術でもなく、才能でも善悪でもなく、ただ運の向いた方に人生は動いてゆく。
映画は冒頭からテーマを語るが、よほど疑り深い人でない限り、続く手垢のついた2時間ドラマのような展開にいつしかその教訓を忘れてしまう。
だがそこはウディ・アレンの策略、手垢はついていても決して安手のベタベタドラマではありません。
どこか不穏な緊張感が漂い、洒脱でウイットにとみ含蓄のあるセリフや設定が随所に散りばめられていることはもちろんで、スカーレット・ヨハンソン目当てのオヤジでなくてもぐいぐい物語りに引きこまれてしまうのだ。

主人公のクリスは、アイルランド出身の元プロテニスプレーヤー。
ふとしたきっかけでロンドンの上流階級の仲間入りをはたし、富豪の娘と結婚するが、アメリカ人の女優の卵(スカーレットちゃん)と抜き差しならぬ愛人関係に陥ってもいる。
彼が読んでいる本はドストエフスキーの「罪と罰」、しかも「ケンブリッジ版ドストエフスキー入門」と交互にだ。
ここで軽い笑いをとって、「老女殺し」の罪を観客の頭からそらしてしまう巧妙な演出。
スカーレットちゃんの役名は「ノラ」、イプセンの「人形の家」の主人公と同じというのもなんだか作為的なニオイがする。
いちいちそういうことにフフン、と疑いの目を向けていても、クリスの人生というコートに落ちた運命を読み違え、見事にウディ・アレンの罠にはまってしまった。

運命を切り開く、なんて勇ましい言葉はこのお話の中では無意味だ。
運命は人間にはコンとーロールできないんですよと、この映画は断言している。
良くも悪くも「運」次第で、人生は転がってゆく。
“こんなことありかよぉ”と、勧善懲悪ドラマに慣れきっている人は思うかもしれないが、不思議にサバサバした気分で見終われるだろう。
それがウディ・アレン的なのかもしれませんな。

10:35:00 | mogmas | | TrackBacks