January 05, 2006

生キ方用意

去年の4月のことだ。
どこかの国のイケイケドンドン首相が、参拝するのしないので隣国まで巻き込みわいわいやっている時、桜の花見にかこつけて「靖国神社」へ行ってきた。
行った事もない、見た事もないでは、土俵にも乗れないし、いい歳をして自前の意見にも説得力が持てないだろうと思ったのだ。

それまでにまったく行ったことがなかった訳ではないが、何かを知ろうとして出向くのは初めてということだ。
その時、拝殿・社頭掲示にあったのが旧帝国海軍中将「有賀幸作」の遺書だ。
戦艦「大和」第五代目艦長が、昭和16年11月15日の夜に認めたものである。
昭和20年4月7日の“その日”より、4年も前からの“覚悟”だ。
この時彼は43歳、封書に「戦死の場合開封、それ迄好子(妻)保管のこと」となっている。
以下はその抜粋である。

「遺  書      海軍中将 有賀幸作 命

八紘一宇大東亜共栄の新秩序建設に宿望の指令として然も帝国海軍最新最鋭の駆逐隊を率いて外敵の撃滅に当り得るは誠に無上の本懐なり 元より生還を期せず
  (中略)
母上様
家運再興のため御老年にも拘らず永年に渡る御辛苦御努力誠に感激の外なく
思茲に至れば常に涙なき能わず厚く御礼申上ぐると共に生前至らざる事のみ多かりしを深く御詫申上げます
  (中略)
好子どの
遇する事の薄かりしに拘らず仕ふる事の申分なかりしを深謝す
常々申渡ありて今更別に述る事なきも母上様の孝養と子供の養育を全うせられ度
  (中略 子供に宛てて)
兄弟相援け平素の父の訓を守り身心の鍛錬に学業の成就に務め忠孝の道を全うし皇国の臣民の本分を果すべし」

なにも予備知識なしに、部分的に読めば、江戸時代の武士が認めたものと思われそうな文面だが、これがわずか60年前の、当時の最先端をいっていた人の「遺書」なのだ。

映画「男たちの大和」で、若い兵士が上官に問う。
「武士道と士道の違いはなんでありますか」と。
上官の答えはここでは言わないが、「大和」艦長の「遺書」からも、新生日本のさきがけとして散った“もののふ”の魂が察せられるではないか。

映画は戦闘を指揮するものの目線ではなく、若い年少兵や大尉以下の行動に焦点をあてて進んでいく。
「大和ホテル」と称された烹炊所班長を演じる“大根”反町くんをもほどよく煮込み、なぜか片目の役が多い中村獅童も出しゃばらせず、“今どきの若い奴ら”をよくマルガリータにし、所作にも気配りが行き届き、教条的でない話の持っていき方は、さすが「新幹線大爆破」の佐藤純弥(字が変換できない・・・)監督作品であると感じ入った。
奥田“艦長”瑛ニはやや線が細く、長嶋“臼淵大尉”一茂は良いとこ取りという気もしないではないが、エキストラを含む何百人を整然と指揮し、行動させる職人芸は見事だし、東映映画の十八番の戦闘シーンになると(ハリウッドの影響を見て取れるが)その真骨頂は遺憾なく発揮されて、まさに戦場を体感する仕上がりになっている。

ただ、過去と現代が交錯するストーリー展開に不満はないが、シーンとシーンのつなぎ目に情緒が欠けているような気がした。日本映画にありがちな編集の不満は、偏屈オヤジだけのものなのだろうか。
やたらお涙頂戴の部分だけを強調したがるCMや予告編に食傷ぎみなので、「ここは泣くところですよ」というシーンでは泣かずに、何でもないところで歳とともに弱くなった涙腺から(「三丁目の夕日」の懐かしさの余りのベトベトしたものでなく)、スゥーッと一直線に流れる涙はむしろ爽快ですらあった。

60年生き長らえてきた意味を知った仲代“明日香丸船長”から、未来に舵を託された正太郎“あつし”くんは、トム・クルーズを卒業し、鉄人28号の操縦器を舵に持ち替えて真直ぐな視線を海原に向けるのである。
そして「死ニ方用意」から「生キ方用意」へ、若者は舵を切るのだ。

ラストのテーマ曲が「さだまさし」でなくて本当によかった。
そして、角川兄弟のタッグにまんまと乗せられてしまったこの映画は、もっかのところ本年度ベストワンなのである。

あっ、そうか、まだ今年はこれしか見ていないんだっけ。
これまた、失礼致しました。



09:28:00 | mogmas | | TrackBacks