July 31, 2006

なんかヘン

  
画像の表示

消火栓の隣りにタバコの自販機、そして禁煙マーク。
これってヘンだよね。
この場所は東武線・北千住駅の特急用ホーム。
煽っておいて吸うなとは、いったいどういう了見だ ?
タバコ吸いじゃなくても、ヘンだと思う。

足立区では10月1日から、区内全域の道路や公園等の公共の場所で「歩きタバコ」、「タバコのポイ捨て」が禁止になり,違反者には罰則(1000円の過料)が適用されるのだそうだ。
でも、なんで10月1日からなんだ ?
誰が取り締まるんだ ?
今すぐ始められない事情があるんだろうか ?

店の前の路地には、毎日タバコの吸い殻が何本も落ちている。
人が掃除している側から捨てていく輩もいて、「落とし物だよ」と言ってやると拾う者はまだいいが、睨みつけて去っていくヤツはどうしようもない。
特に若い娘のマナーは最悪だ。
蒸気機関車のようにせわしなく煙を吹き上げて、タバコを持つ手を振って歩くおネェさんを毎日見かける。
職場で吸えないものだから、なんとか会社に到着する前にタバコを補給しなくてはということなんだろうが、こういう娘にかぎって携帯用灰皿などというものを持ち合わせていない。
タバコ吸いの肩身を狭くしているのは、結局そういうマナーを守れない連中の仕業だということに彼らは気づかないのだろうか。

オヤジはべつに嫌煙派ではないが、最近のタバコのパッケージのセンスのなさには呆れる。
いったい吸わせたいのか、吸わせたくないのか、はっきりしろい ! と思う。
身体を害するという表示をしなければならないのなら,いっそのこと「毒の華」とか、「肺癌サポート」とか、「ニコチン中毒」というネーミングで売り出せばいいのに。

なんか、ヘンだよなぁ・・・。



13:37:55 | mogmas | | TrackBacks

July 30, 2006

40年ぶりの海

  
店の連休最終日の27日、朝6時半起床。前の晩3時過ぎまで起きていたので,頭はボケボケだ。
半分寝たままで海パンを穿き,荷物を持って、小僧と2人「ヒトリモン」先生の自宅へ向かった。
平日はつねに早起きの「ヒトリモン」、すでに元気いっぱいで愛車「ランクル」を出して待ち構えていた。
車に乗り込み、やや渋滞の道を千葉方面へ向かう。
高速に入り、穴川のあたりでもたつくが、概ね順調に君津まで飛ばした。
高速を下り、国道127号線をひた走り、「東京湾観音」の入り口を通り過ぎ,目的地「上総湊」へは10時半頃到着した。

雨こそ降っていないものの、どんよりと空は重く、晴れ男の効果もむなしく,海に入るにはまったく不向きの陽気だ。
海岸の駐車場には商用車がポツポツ停まっているくらいで、海水浴目当ての車など見当たらない。
駐車場から海まで歩いても,人影もなく、記憶を呼び覚ます風景にも出くわさない。
♪今は もう秋 だれもいない海・・・♪

そんな歌を口ずさみたくなるような寂しい浜辺には,無数の貝殻とゴミが延々と繋がっている。
海岸線の向こうには、ウルトラマンほどの高さの「東京湾観音」がそびえ立っているいる筈だが、重く立ちこめたモヤでその姿も見えない。
40年前の記憶にも霞がかかっているようで、あの時ほんとうにこの浜を走り,タカラ貝を拾ったのか,やや呆然として砂浜を歩く「ヒトリモン」とオヤジであった。

目の中に入れても痛くない,文字通りネコっ可愛がりの孫の手に、最後のお小遣いを握らせ,静かに祖母が息を引き取ったのは、40年前の8月。
もうこの世に自分の味方は誰もいないんだと、悲しみにくれるドラ息子を見かね,このままではロクな大人にならないと、母は心を鬼にして,区の養護施設に入れることを決意した。
その年の9月、小学校3年生の二学期。クラスから3人の悪ガキが千葉の上総湊にある足立区の養護学園に送られた。
我がまま、偏食、拒食、虚弱、肥満、粗暴、等々の欠点を持ち、親からも教師からも睨まれている子供たちを、田舎の自然環境の中で集団生活を送らせ、協調性を持たせ、甘えを克服させようという目的の養護施設だった。
学年からわずか3人という狭き門をくぐり抜けた悪ガキのうちの、2人がこのオヤジと「ヒトリモン」である。
当時から「ヒトリモン」は健康優良児体型で、「ジャイアン」タイプのお坊ちゃま。
堅苦しい学校を離れて、丁度いいバカンス程度のつもりで、食べるものも美味いし、エンジョイしていたふしがある。
オヤジはといえば、チビでガリガリの寝小便タレ、親に見捨てられたと思い、食事も喉を通らず,上級生からは往復ピンタの毎日、絶対脱走してやると秘かに企んでいた。
そんな二人の視点が、それぞれの記憶を趣きの違うものに変えてはいたが,今となっては懐かしい共通話題の方が多い。

浜辺をしばらく歩くと、海の家が2軒並んでいるあたりに、数組の家族連れが砂の上にシートを広げていた。
波打ち際では子供が砂遊びをしているだけで、誰も泳いでる者はいない。
ライフガードもヒマそうに監視所で持て余している。
目を細めて海を見つめていた70がらみの地元のおばさんに、養護学園と昔の浜辺の
様子を聞いた。
それによると、近頃はすっかり海も汚れ海水浴客も減って,海岸線も沖に後退し,40年前とは地形も変わってしまったということだった。
養護学園はもうずっと前に「健康学園」と名前を変えたが,それも今は閉鎖され、ただ建物だけが残っているのだった。

せっかくここまで来て、海に入らずに帰るのも寂しいし、ライフガードにも緊張感を与えてやらなければなるまいと、男3人は周囲の目も気にせずジャバジャバと海に入るのであった。
タマも縮みそうな水の冷たさにはすぐに慣れ,ひとしきり飛沫を上げ、潜り、ベトつくような海を堪能した。
幸い駐車場の脇にあるシャワーは、荒れて放ったらかしに見えたが水は出たので、身体を洗って着替え,いざ、養護学園じゃなく「健康学園」に向かった。

上総湊の駅のそばでも、40年前には人家も道もない山の上だったような印象があったが、新しい家やビルが建ち、すっかり昔の面影はなくなっていた。
画像の表示運良く1、2週間ごとに建物に風を通して、掃除をするというおばさんたちがいたので、中を見せてもらうことが出来た。
40年前は木造の校舎で、「学校の怪談」の舞台にぴったりな廊下がきしむ作りで、夜は宿舎のトイレに「花子さん」が待ち構えているような雰囲気で、オヤジは毎日のように寝小便で地図を描き、校庭の鉄棒に布団を干しにいかされた。
だが、トイレの外を蒸気機関車が走り,間近で汽笛を鳴らされると、途中まで出かかったモノも引っ込んでしまうので、夜毎失敗を繰り返すのだった。
ある夜、いじめられっ子仲間3人と、蒸気機関車が走り去った線路に下り立ち、東京方面を目指して脱走した。
線路の上をライトもなくトボトボトと歩き続けると,海の岩場の上に鉄橋が掛かっているところに出くわし、すぐ真下を砕け散る波が夜目にも白い飛沫を上げ,なんとも恐ろしく,そこを超えて先に行くことがどうしても出来ずに立ちすくんでしまった。
結局スゴスゴと学園に戻り、悔しさでまんじりともせず朝を向かえたのだった。
しかし、そういう事実があったことは「ヒトリモン」は知らず,学園の生活を満喫し、4、5キロも体重を増やしたそうだ。

せっかくある施設を空けておくのはもったいないが,少子化の影響や、昔のような悪ガキがいなくなったのかもしれず、どこの区でもこういった施設は閉鎖されているらしい。
子供たちにとって、親元を離れて集団生活をするということは多少なりともいい影響を与えるかもしれないと、今この歳になってわかるが、当時は本当に辛かった。
ただ、40年という歳月は色々なことをを甘美に変える。
雑草が伸び放題の校庭に立った「ヒトリモン」とオヤジの胸中には、井上陽水の「少年時代」が静かに流れていた。
あちこちを歩き思い出を検証し、40年前のあの日に、これでようやくピリオドが打てたと納得し,車に乗り込み上総湊をあとにした。


14:50:28 | mogmas | | TrackBacks

July 28, 2006

おかしい・・・・

  
小学生の頃、日記をつけなさいと先生に言われ,ノートに書いてはみるものの,1ヶ月続けばいい方で、何度も挫折して中途半端で中身のないノートを増やすばかりだった。
およそ文才とか発想とかには縁遠く、本来なら誰に見せるわけでもないのに,媚びるように当り障りのない文章をのたくっているばかりだった。
でも「日記」という個人的なものを教師に見せて、採点してもらうような文化って他所の国にはあるのだろうか ?
夏休みの絵日記とか、なんとか観察日記とか、そんなもの子供にとっては重荷以外のなにものでもなく,それが評価に繋がるから仕方なく書くわけで、ネットや携帯やブログが生まれた時からある子供たちだって、学校へ提出するそんなものと、全く自由になんでも言える顔の見えないメディアとは、自ずと使い分けていると思うのだ。

使い分けることも不器用でなかなか出来ないオヤジは,それでもなんとかブログという未知の世界に足を踏み入れ,もう間もなく1年が経つ。
つい先週末に、異常なほどアクセス数が増えた。
普段は1日60から多くても100前後(これでも驚くべき数だけど)なのだが、週末になぜか500〜600という信じられないアクセス数が表示された。
トータルで1200〜1300という数値を疑って,ついに何者かが悪さを仕掛けてきたのだと身構えてしまった。
技術的なこととか、理屈がよくわかっていないオヤジは、このまやかしのような数字を見ても、店の売上とハカリにかけて捕らぬ狸のなんとかに気を回すようなことはしないが、やはりいささか気持ちが悪いし、おかしい。
一つのテーマに絞って、見せるブログにしているわけでもないのに、なぜこんなにアクセス数が増えたのだろう ?

コメントは「悪魔のあっくん」が気が向いた時にしてくれる程度だし,まったく独りよがりの言いたい放題なのに,訪れた方は何を見てくれているんだろうか。
これでも「モグランポ」という看板を一応は背負っているので、書いてはいけないこととか,してはいけない表現とかは自分の中で少しある。
顔文字などは意識的に使わないし、シモネタは極力抑えているつもりなのだが、時々調子こいてると「バーバーくん」に言われるかもしれない。
だから欲求不満はある。
まったく別人でズンドコベロンチョをしてみたいと思うこともある。
エロネタ全開でアダルトサイトのようなところへ行けば、飛躍的にアクセス数を伸ばせるのかもしれないし、お小遣い稼ぎも可能なのかとも思う。

なんとなく自分の傾向がわかってきたので,画像の掲載容量の少ないこのサイトからの移転を考えてもいる。
いろいろと彷徨ってみたら、なかなか面白いブログサイトを見つけ,小僧がやってみたいとねだるので,先日小僧のブログを立ち上げた。
「小僧のピカピカ日記」
今はオヤジの息がかかっていますが、画像をいっぱいのせると小僧が張り切っているので、どうぞこちらも見てやってください。
なんとこのブログは画像にお絵描きなどの加工が出来て、容量もたっぷりあるのです。
「アメブロ」にもこの機能があるらしいが,日々技術は進歩しているのだなぁ。
早くホームページを立ち上げなくては、窓屋でもやってみるか・・・。

10:06:00 | mogmas | | TrackBacks

July 26, 2006

国からお金を頂くということ

  
「障害基礎年金受給者の皆様へお知らせ」という書類が足立社会保険事務所・年金給付課から送られてきたのは、7月に入ってからだと思う。
書面に「7月1日に皆様へお送りする予定・・・」と書いてあるからだ。
だが医師から診断書をもらい、提出する期限は7月31日までで、書面上でも「短い期間で・・・」と述べているように,実に余裕のない、タイトな期間だ。
身体の障害をお持ちの方や、高齢の方は、雨の中本当に大変なことだと思う。
「期限までに提出されないときは、年金の支払いが一時止りますので、ご注意下さい」と脅し文句まで書いてあるので、不自由な身体を押して出かけなくてはならない。
だが医者もすぐには書類を書いてくれないから、後日また出直すという二度手間、三度手間になる。
しかも今まで掛かり付けてわかっていることなのに、ささっと記入してハンコを付くだけで、数千円の金を取られるのだ。

小僧宛に来たこの書類を当然のように開封し、必要な手続きを取っているわけだが,
社会保険事務所側では、送付する相手が身体障害者なのか、知的障害者なのかの把握はできていないらしい。
同封の書類の「お問い合わせ先」や提出先が異なるのも腑に落ちないし、東京都が発行した療育手帳、いわゆる「愛の手帳」との連携は全くとれていないようだ。
小僧本人に「この書類をあの医者に預けて書いてもらって,また取りに行って役所のその課に出して」と教えれば出来ないことはないだろうが,自ら書面の内容を読み、必要な手続きを行うのは無理に等しい。
書面の言葉尻は慇懃だが、まことに“お役所的な”いけ好かない文面だ。

折角の休みではあったが,朝早く起きて(もちろんオヤジ的にはだ)鷺宮の医院まで書類を取りに行き,8400円支払った。
その日の内にケリを付けてしまいたかったので、千住まで戻り車に乗り換え,とても便利な場所へお移りになった足立区役所まで飛ばした。
係の男性が「ふん、ふん」と書類に目を通し,「この方の場合はこれで大丈夫ですね」と、わずか1分でことは終わった。
おいおい、今はインターネットとか,メールとか,いろいろ回答手段があるじゃないか。
紙と時間の手間をかけるなら,返信用封筒ぐらい同封してくれてもいいんじゃないかい。
これで国から頂く障害年金は,小僧が1人で食っていくことは到底無理な額だ。
まあ、年金屋さんの懐具合と制度はガタガタだから、文句を言うつもりは毛頭ありません。
でも、なんだかすっきりしない。

近い将来、脳神経内科や外科、量子コンピューターやらナノテクノロジー、バイオ技術が飛躍的に進歩して,奇跡のように障害が治る時代が来るのならともかく,今の時点では障害を受け入れる他ない。
しかし、オヤジもかあちゃんも小僧の障害をハンデだとは思っていない。
彼は今まで一度たりとも「怒り」というものを発露したことがないし,妬んだり、憎むということを知らず,純粋この上ない。
これは崇高な個性だと思っている。
日本全国の県名も答えられないようなボンクラ学生よりずっと優秀だし,ニュース大好きで物知りだ。
そもそもモグランポのロゴデザインの原案者であり命名者で、この9年間毎週お好み焼きを食べて批評してくれるただ1人のファンなのだ。
ファンが望むかぎりは、コテが折れ、力尽きるまで、鉄板に火を入れ続けるつもりだ。

あ、でも明日も明後日もお休みですね。
こらまた、失礼いたしました。

10:05:00 | mogmas | | TrackBacks

July 23, 2006

人工筋肉「ソルボ」

  
表参道にある森英恵ビルの搬入口は狭く,2tロングのトラックを混雑する中バックで入れるにはなかなか注意が必要だ。
エレベーター・ホールは次々と搬出される資材でごったがえしており、作業する全員が汗だくで、次に控えているイベントの時間が押しているので、誰もがちょっと殺気立っていた。

オレはフッションショーが行われたイベントホールのフロアで、アルバイトに指示を出しながら,ステージの解体に追われていた。
折りたたみのポータブル・ステージを脇にどけ、パンチカーペットを剥がし、平台と箱馬をエレベーター前に集めて、手渡しでどんどんエレベーターの中へ押し込んでゆく。
ステージ金物を縛ってまとめ,ゴミを集め、あらかた室内が片付いたところでアクシデントが起きた。
ちょっとした気の緩みとタイミングの悪さが事故を誘うのだ。
キャスターの付いたポータブルステージは、ラクに移動が出来るが重量もあり安定性がわるい。
所定の場所に収納する作業をしていたアルバイトが、落ちついてやればいいものを、急いで転がしたために引っくり返しそうになり、あわてて押さえようとしたが間に合わず、そのまま横倒しになってしまった。
運悪くというか、反射神経が鈍いというか、ステージが倒れた下には、オレの左足の指があった。
鋭い痛みが脳天まで突き上げ、なんとか足をどけてはみたものの、その場にうずくまってしまった。
涙がチョチョ切れるというのはこのことか、顔からは血の気が引き,冷や汗が全身を濡らした。
死にそうな思いで靴から足を引き抜くと、靴下の先は血で染まり,ドクドクと脈打つ痛みと悪寒が這い上がってきた。
もはや作業を継続できる状態ではなく、仕事仲間には申し訳なかったが戦線離脱させてもらうことにし、オレはタクシーで家の近くの病院へ急行した。

貧血をおこしそうになりながら治療を受けたが、左足の薬指の先が骨折しており、4針ほど縫った。
それから20数年が経ち、薬指の縫い目には硬く皮膚が盛上がり,指は若干内側に曲がっているようで、爪が巻き爪のように丸まって伸びてしまう。
数年前から、縫い目の周囲の皮膚が魚の目のように硬くなってしまい痛くて歩きにくくなり、時々ナイフで削ってバンドエイドを巻いていたが,2週間も経つと元のように皮膚が硬くなり、その度にナイフでそげ落としては削りすぎて血を流すこともしばしばだった。
医者に相談したが、常に指の下にクッションをしいて、硬くならないようにするしかないということで、バンドエイドを二重、三重にも巻いたり,シリコンの指サックをしたりといろいろやってみたが、どれも2週間ほどしか保たず,なにかもっといいモノはないものかと悩んでいた。

ある日東急ハンズをうろついていたら、フットケアのコーナーでいいものを見つけた。

バンドエイドのようなパッケージに、「こんな保護パッドが欲しかった !
痛みを吸収する

ソルボバン
」とある。

痛みを吸収する秘密は
人工筋肉「ソルボ」
だそうだ。

ソルボ ? 人工筋肉 ?
なんだか「メカ生体ゾイド」みたいじゃないか。
この歳になって「ゾイド」のオモチャは買う気にならないが、「ソルボ」は買ってしまうのだ。

調べてみたら,『イギリスの医療分野から生まれた「ソルボ」(ポリウレタン)はその驚異的な衝撃吸収力と圧力分散性能を実現する人工筋肉として、医療の現場で高く評価され、今やメディカルからインダストリー分野まで幅広く使用されている』のだそうな。
そんなすぐれものをバンドエイドのようなテープと組み合わせたのが「ソルボバン」だ。

早速試してはや3週間、快適である。
しかし暑い時期でもあるし、このままにしても衛生面でいかがなもんかと、一度剥がして様子を見たが,全然平気であった。
これはいいものを仕入れた。
2.5センチ×7.2センチのパッド10枚入りで380円。
これで足指削りから解放されるなら安いもんである。

オヤジはこの製造メーカーから一銭も貰ってないが、細々ながら宣伝しちゃおう。
ウオノメ、タコ、靴ズレでお悩みの方に絶対おすすめ!!
自由にカットできるフリーシートタイプだとか、いろいろあるみたいだから,自分にあったものを探してみるといいんじゃないかな。
「ゾイド」もいいが、まず「ソルボ」でなんとかしてからね。
                            〜チャン,チャン。


10:40:00 | mogmas | | TrackBacks