December 27, 2005

聖夜の蟒蛇審査「タンポポ」論争終結す

ついにこの日がきた。
クリスマ・・・、んなこたぁどうでもいい。
「タンポポ」の日だ。「タンポポ」論争に決着をつける日なのだ。

いきさつをご存じない方のために、ちょっと解説を。
浅草の床屋さんで働く「バーバー」くんが、ある晩「ヒトリモン」とオヤジの前でこう言った。
「刺身の上にのっている黄色い花はタンポポです」
おいおいおい、というわけで、そいつが「タンポポ」でなく「菊」だと主張するオヤジ連合を敵に回し、頑として説を曲げない彼と賭けをすることにした。
果たして刺身の上の花は「タンポポ」か「菊」か、もし「バーバー」くんの説が正しければ、何でも好きな酒を好きなだけ奢る。しかしオヤジ連合の主張が正しかった時には、可愛い彼の彼女にチャイナドレスを着せて、オヤジ2人にお酌をさせるという、半ば勝負は見えているような賭けだ。
だが、ちょいと和食の料理人に聞いて“はいそうです”で終わらせないところがオヤジのオヤジたる所以。
夜も眠らず昼寝して、調べに調べた。

おかげで「タンポポ」にも「菊」にも「刺身」にも造詣が深くなった。
手っ取り早く結論から言えば、刺身の「つま」に「タンポポ」は有り得ないということだ。
それは理屈ではなく、“ないものはない”という感じなのだ。
「つまもの」という100種類ほどもある「刺身」の飾りの中にも「タンポポ」は見当たらないし、流通もしていない。
一見よく似た、同じ菊科の植物で、薬草だったり食用だったりするのに、なぜか?
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画像の表示全10ページのレポートの内容がわかります。

さて、時々このブログでもチクチクと圧力をかけたおかげで、「バーバー」くんはもはや戦意喪失、彼女とは“いいお友達でいましょう”の関係になってしまい(これは決して今回の問題が元で、というわけではありません)、だが彼も男である以上、蟒蛇オヤジ連合を満足させるための準備は怠らなかったのである。

25日の夜8時をまわったとき、一番乗りは今回の問題のよきアドバイザーでもあるAさんだ。
続いて仕事が早く終わったということで、「バーバー」くんが来店。
「ヒトリモン」は燃費が悪い男なので、ゆっくりめに来いと言ってあったが、予定変更、大至急集合と連絡。
そして、「タンポポ」論争の終結と「バーバー」くんの東京蟒蛇倶楽部入会審査が幕を開けたのである。

問題の「刺身」と「つま菊」に「食用菊」。
シャンパンは、お勤め人時代の後輩NANちゃんからの貢ぎ物。
画像の表示

まずは「エレークルシミマス」でかんばーい。
画像の表示20代、30代、40代と勢揃いした仮面の蟒蛇たち。
謎の覆面レスラーは、負けを認めた「バーバー」くんが自ら持参したもの。
ウルトラマンのお面と手作りの「20世紀少年」のともだちは、「悪魔のあっくん」の置き土産。
こんなものが揃っているお好み焼き屋って一体どんな店よ!

『検証 タンポポは刺身の「つま」になり得るか否か』のレポート提出に続き、「バーバー」くんのお詫びコスプレ。

画像の表示画像の表示
背中には「参りました」と手書きされ、胸に「バーバー」とネームを入れた「負けT」。
なかなか味なことをやるな。
でも、後方に下がっているチャイナドレスを着てくれる人がいなくて、ちょいと寂しい。

画像の表示すいませんと差し出したのは仙台の「牛タン」と大吟醸「雪の松島」。
ウム、ウム、健気な心遣い、苦しゅうない、許して信ぜよう。

そして「ヒトリモン」からは、
画像の表示ビール瓶入り泡盛復刻ボトル「まさひろ」と、
画像の表示手づかみカレーのための一式。(とてもこの夜は出来ないので、後日時期を見て。参加希望者はこっそり手づかみしたいと囁いて下さい)

こんなに出されちゃ、こっちもなんとかしなけりゃと、かあちゃんが鳥屋へ走る。
そして、この夜の定番、
画像の表示丸鶏のロースト。
画像の表示あれぇぇ、やめてぇぇ、大股開き。
そして次の瞬間、
画像の表示哀れ鶏はバラバラに解体されて、蟒蛇どもの胃袋の中へ。

たらふく飲んで食べて「バーバー」くんは晴れて「東京蟒蛇倶楽部」への入会が許されたのである。
今後は蟒蛇の名に恥じないよう精進して頂きたい。
彼の手による「負けT」は、蟒蛇の名を汚したり、蟒蛇に勝負を挑んで負けた者が着なくてはならない負け犬グッズとして保存される。
全会員に次ぐ。
30日のモグランポ忘年会で、この「負けT」を着る者が必ず現れる筈である。
今からウコンやらウンコを飲んで用心をしておきたまえ。

以上。

『検証 タンポポは刺身の「つま」になり得るか否か』


東京蟒蛇倶楽部 編


刺身の名脇役である「つまもの」の一つに、鮮やかな黄色の小菊があるが、ある晩、これは「タンポポ」であるという問題提起がなされ、それまでの我々の知識・経験からすれば一笑に付す程度の問題に思えたのであるが、日本は北から南まで縦に長く、その生活習慣、食材、調理方法も様々にあり、その地理的状況を鑑みると、例えば沖縄では、色鮮やかな熱帯魚の刺身が食され、その「つま」がハイビスカスの花だったとしてもさほど違和感なく受け入れるだろう。
仮に宮城県の一部で「タンポポ」が「つま」として使われていたとしても、なんら不思議なことではないのではないか。
そう考えたとき、植物についての学術的な知識、日本料理の常識、歴史的背景をさほど理解していない我々の方が、狭量な固定観念に縛られているのだと気づかされたのである。
そこで、あらゆる角度から「タンポポ」が刺身の「つま」として成立するのか否かを検証したのが本書である。

まず問題になっているそれぞれの性質、効能、普及の歴史などを明らかにしていき、次に各々の関わりを、それぞれのプロに聞き取り調査し、最後に資料と照らし合わせて結論に導いていく方法をとった。

短い期間と限られた調査方法ではあるが、大きく的を外れているとは考えられない。
ごくわずかな例外、誤った使用方法がまかり通ったという以外、本書の結論を覆すような正当な事由があるとは思えない。
よって、統計的にも本書の結論は正しいということが出来ると思われる。

第1章 「タンポポ」とは


タンポポ
「Taraxacum hondoense」
属名のタラクサクム(Taraxacum)は、ペルシャ語のタルフ・チャコーク(talkhchakok)が中世ラテン語になった言葉で「苦い野菜」という意味からきている。
この関連からタンポポの根から作られた苦味剤または緩下剤を"タラクサクム剤"と呼んでいる。

種  目 キク科多年生草本

名  前
日本名 「たんぽぽ」または「タンポポ」、漢字では「蒲公英」 と書く。
英語名 「ダンデライオン」(dandelion)
dandelionはフランス語の「ダン・ド・リオン」(dent-de-lion)"ライオンの歯"からでていて、タンポポの葉の縁の欠刻(ぎざぎざ)がそれに似ているところからこのように呼ばれることになった。
仏語名 正式の仏語名は「ピッサリン」(pissenlit)。
pissenlitと言うのはフランス語で"寝台に寝小便をする"と言う意味で、葉をゆでた湯が利尿剤になるところからこのような名前になった。

日本名の由来
タンポポの名前の由来については諸説がある。
有力なのは、頭花を鼓に見立て「タン・ポンポン」と音を真似たというもの。
また、茎の両端を細く裂き水に浸けると鼓の形になるため、と言う説もある
他に、タンポポの冠毛の形が昔日本にあった「たんぽ槍」に形が似ているところから名づけられたとする説もある。
さらに、日本名のタンポポは、現在中国で「婆婆丁」(ポポチン)と呼ばれているが、
そう呼ばれる以前香気を意味する"丁"が上に置かれて「丁婆婆」と呼ばれていた頃日本に伝わった名前ではないか、とする説もある。
「和名抄」には"蒲公草"(ぼこうえい)の名で記され、フジナとタナの和名が挙げられている。

タンポポ属は主に北半球の温帯から暖帯に400種類があり、日本には20数種類が自生していると言われている。
帰化植物としての「セイヨウタンポポ」は、クラーク博士の言葉"少年よ大志を抱け"で有名な札幌農学校(現北海道大学)の教師であったブルックスが、食用として輸入したもが野生化して日本中に広まったと言われている。

第2章 刺身とは


刺身前史
新鮮な肉を切り取って生のまま食べることは、人類の歴史とともに始まったと言ってもよいが、人の住むそれぞれの環境に応じて生食の習慣は残り、或いは廃れていった。わが国は四方を海に囲まれ、新鮮な魚介類をいつでも手に入れられるという恵まれた環境にあったため、生食の習慣が残ったと考えられる。
しかし、その頃の呼び名は「オキナマス」「ナマス」といい、漁師が捕れたての魚肉を薄く切って食べる即席料理で、酢などの調味料の普及に伴い、しだいに内陸部でも食されるようになってきたが、本格的な料理としては、醤油の登場を待たなくてはならなかった。
平安時代、魚の切り身を皿に盛りつける際に、魚の種類を区別しやすくするため、その魚のヒレを飾りのように身に刺したことから「サシミ」と呼ばれるようになり、次第に本来のヒレを刺す風習がなくなり「サシミ」という名前だけが残ったようだ。

刺身の登場
室町時代、文安5年(1448)の「康富記」に「鯛刺身」とあるのが、刺身の文献上の初出である。
料理としての刺身は、江戸時代に新鮮な江戸前の魚介類が豊富に手に入るこの地で一気に花開いた。
「刺身」のことを「切り身」と言わないのは、武家時代に「切る」という言葉が人を「切る」に繋がるという事で忌み嫌われていた事に由来し、関西地方で「お作り」と呼ばれるのも同じように、「身を刺す」に通じ縁起が悪いとされた事からである。

刺身の普及・発展
室町時代に誕生した醤油の普及に伴い、現在のようにわさびを添えて食されるようになったが、醤油も新鮮な「刺身」もまだ高級品であったため、身分の高い人々しか食べる事はできなかった。
一般庶民に「刺身」料理が広まったのは、江戸時代の末期からであるが、現在のように保存技術と流通の発達が伴わなかった戦前までの長い期間、「刺身」は高級品として日本料理の中心であった。

つまの役割
「刺身」の盛りつけ方は、もともと「一器一種」という決まり事があった。
しかし、江戸末期の「刺身」文化が広まった頃、庶民が魚屋に皿を持っていき、適当に盛り合わせてもらったのを始まりに、「盛り合わせ」が一般的になったと言われている。
それに伴い、盛りつけを美しく見せ、毒消し(口中に残っている他の料理の味を消し、刺身の味を引き立たす役割)の意味もある「つま」が登場した。
現在でも高級料理の「刺身」をより引き立たせる「つまもの」は、季節に応じた彩りものが多種多様にあり、「つまもの」ビジネスは高齢者雇用の注目のベンチャービジネスとなっている。

第3章 「菊」とは


  目  菊(きく)科。
学  名   
Chrysanthemum morifolium
Chrysanthemum : キク属
morifolium : クワ属(Morus)のような葉の
Chrysanthemum(クリサンセマム)は、ギリシャ語の 「chrysos(黄金色)+ anthemon(花)」が語源

菊の原産地は中国で、3,000年余の歴史があり、日本には中国で改良されたものが奈良時代中期に遣唐使などによってもたらされたと言われている。最初は薬用、その後に観賞用となり、食用になったのは室町時代からだと言われている。
名  前
「きく」は漢名の「菊」を音読みしたもの。
また、「菊」の漢字は、散らばった米を1ヶ所に集める、の意で、菊の花弁を米に見立てたもの。
漢名の「菊」は”究極、最終”を意味し、1年の1番終わりに咲くことから名づけられた。
中国では菊は不老長寿の薬効があるとされ、陰暦の9月9日(重陽の節句)には菊酒を飲み長寿の祈願をした。これがしだいに日本にも伝わり、菊の花を酒に浮かべて飲み、花を鑑賞する「重陽の宴」が催されるようになった。
のちに菊は皇室の紋章になり、日本の国花になった。
(日本の国花はこの菊と桜の2つ)

菊の効用
古くから漢方薬として利用されている食用菊。
解熱作用やめまい、頭痛、頭がほてるなどの症状に効果がある。この他にも自律神経を安定させ、リラックス効果も高いとされている。
また、菊は毎日食べ続けることで血管内のコレステロールを取り除き、血圧を下げる作用などがあるという。
このことから、食用菊には高血圧、狭心症、糖尿病、動脈硬化、心臓病などの生活習慣病予防に効果があると言われている。

菊を食べる習慣があることで有名なのは新潟県と山形県。他にも青森、秋田、岩手などの東北地方、京都の限られた一部の地域で食べられている。
生産量全国1位の山形県に「食用菊の横綱」と呼ばれている品種がある。それが、味も香りも良い「もってのほか」という品種。
この変わった名前の由来は、「天皇の御紋である菊の花を食べるとはもってのほか」とか、「もってのほかおいしい」という説がある。
正式には「延命楽」という品種なのだが、「もってのほか」という愛称で広く知られている。新潟県の中越地方では「おもいのほか」、下越地方では「かきのもと」という愛称でも親しまれている。

小菊、つま菊、豆菊とも呼ばれる「刺身」のつま用の菊は、大葉と並んで「つまもの」出荷量の1、2を争う人気商品であるが、こちらも食あたり、整腸作用に効果があるということで、単に飾りではないことがわかる。

第4章 聞取り調査
プロの意見


魚河岸・仲卸
千住市場にも「つまもの」を卸している仲卸業者がいる。
聞くと60〜100種類の季節の「つまもの」があるが、残念ながら「タンポポ」は扱っていなかった。また、聞いた事もないとのこと。理由は需要がない、ということである。
魚屋は基本的に「刺身」を作るプロではないが、一応聞いてみたが、一笑に付された。
寿司店
回転していない正統派の寿司店の主人3人に聞いたところ、あり得ないという答え。その訳は、経験と伝承の中に「タンポポ」は登場しないから、だと推測される。安物のイメージも多分にあると見た。また、道端で取ってくる他に、上記のように流通していないせいもあると思われる。
鮮魚店・スーパー
「刺身」のパックの中の、プラスチックの黄色い花は何だと訊ねたところ、一様に「菊」と答えられた。“当たり前だろう”という顔つきだったが、“昔からそうだ”からという理由以外なさそうだった。
日本料理板前
「刺身」の上に盛りつけたものは、基本的に全部食べられるもので、香りや味を楽しむためのものと、目でも味わうためのものであるという。技を学ぶ過程で「タンポポ」が登場する事はあり得なかったそうだ。
ここにも「菊」=高級・伝統、「タンポポ」=雑草・安っぽいという図式が見て取れる。

第5章 結論


在来種と外来種
「タンポポ」は大きく分けると古来から日本に生息している在来種と、明治期にヨーロッパから持ち込まれた外来種があるが、「菊」は奈良時代に中国から持ち込まれた外来種のみである。
ともに季節の花であり、薬草としての側面も持つ両者であるが、その扱いには大きく差がある。
片や国花・天皇家の紋章として高級路線をひた走る「菊」に対して、慎ましやかな野辺の花である在来の「タンポポ」は、繁殖力に優れ、冬場でも花を咲かせる「セイヨウタンポポ」に押されて影が薄い。
また外来で華やかな「菊」は品種改良も進み、刺身文化とも結びつき、本来の薬効と彩りを遺憾なく発揮している。
刺身の「つま」として
以上のように、一見同じように見える黄色の花弁を持つ2つの花であるが、この違いはどうして生じてしまったのか。
なぜ「タンポポ」が刺身の「つま」として使われないのか、それは残念ながら、今回の調査では明確な答えは出なかった。
単なる習慣としか言いようがない。理屈ではなく、そういうものだから、としか言いようがないのである。
日本料理の技法が確立されたとき、その技を伝承するための書物に「タンポポ」の名前がなかったから、ただそれだけのように思われるのである。
しかし、古来から日本に生息する「タンポポ」が、ただの一度も日本料理と関わらなかったとも言えない。
魚の切り身にヒレを刺す「サシミ」の風習がなくなったのと同じように、「タンポポ」もまた「刺身」料理との関わりが途絶えて
しまったのだろうか。
昔の文献から(そういうものがあったとして)「タンポポ」の調理法を発見し、形にとらわれない新しい感性の料理人が、「つま」として甦らせるかもしれない。
年商数十億円にもなる「つまもの」ビジネスの中にも、いつの日か「タンポポ」が返り咲くことがあるのかも知れない。

あとがき
普段何気なく見過ごしてしまう事象を、改めて別の角度から見てみると、そこには思いがけない事実が隠れている事がある。
今回の問題提起がなければ、2つの植物の事も「刺身」についても、これほど理解する機会は訪れなかったかも知れない。
特に、天皇家の紋章が外来植物の「菊」になったのはいつか、ということは長い間の疑問だったが、これでわかった。
鎌倉時代初期の後鳥羽上皇がとくにご愛用になり、代々受け継がれてきたという(十六菊) ことだ。
武家社会が起こったのちの事だったとは、想像もしなかった。
しかし、これもこの問題提起をしてくれたYくんのおかげだと、今はありがたい。
単なる酒飲み話で、ここまで掘り下げる事は滅多にないが、大変役に立った。
改めてYくんに感謝。


             
             2005年12月24日 東京蟒蛇倶楽部

*注 写真、図版、などはここでは割愛してあります。
Posted by mogmas at 15:20:46 | from category: 前頭葉発熱親父 | TrackBacks
Comments

ともだち:

久々の超大作、ご苦労様です。
愛すべき「三ばか大将」達にに栄光あれ!

これ以上コメントのしようが無いです。(^o^;
(December 27, 2005 15:50:25)

mogmas:

そりゃそうだ、あなたを入れて「四ばか大将」だもんね。
しまった、自分を入れ忘れた。
「五ばか」です。
(December 27, 2005 16:08:46)

もみもみパパより:

久々のコメントです。しかしすごすぎる「たんぽぽ」と「菊」をここまで調べるとはさすがは我が尊敬するマスター
年の瀬の喧噪を忘れてしまうお話でした。
(December 28, 2005 10:07:05)
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