September 07, 2006

マッチポイント

  
久々に見るウディ・アレン映画だ。
どんな内容か、事前になにも情報をチェックせずに映画を見るのも久々だ。
ただスカーレット・ヨハンソンが出ているウディ・アレン映画だから見たいと思ったのだ。
なんとなくスカーレットちゃんがきわどい役柄らしいのを期待して、ただそれだけが見たかったのだ。
しかし、ウディ・アレン、やっぱこのおっさんはただ者じゃありません。
最後までしっかり見せてもらいました。


古いレコードのプチプチというノイズとともに、オペラの曲が流れ、クラシカルなタイトルバックで映画が幕を開けると、ネットの上をテニスボールが行ったり来たり、次の瞬間ボールはネットに当たりはずみ、どちらに落ちるかスローモーション。
マッチポイントでの最後の1打はどちらに落ちるか、勝負は時の運、努力でも根性でも技術でもなく、才能でも善悪でもなく、ただ運の向いた方に人生は動いてゆく。
映画は冒頭からテーマを語るが、よほど疑り深い人でない限り、続く手垢のついた2時間ドラマのような展開にいつしかその教訓を忘れてしまう。
だがそこはウディ・アレンの策略、手垢はついていても決して安手のベタベタドラマではありません。
どこか不穏な緊張感が漂い、洒脱でウイットにとみ含蓄のあるセリフや設定が随所に散りばめられていることはもちろんで、スカーレット・ヨハンソン目当てのオヤジでなくてもぐいぐい物語りに引きこまれてしまうのだ。

主人公のクリスは、アイルランド出身の元プロテニスプレーヤー。
ふとしたきっかけでロンドンの上流階級の仲間入りをはたし、富豪の娘と結婚するが、アメリカ人の女優の卵(スカーレットちゃん)と抜き差しならぬ愛人関係に陥ってもいる。
彼が読んでいる本はドストエフスキーの「罪と罰」、しかも「ケンブリッジ版ドストエフスキー入門」と交互にだ。
ここで軽い笑いをとって、「老女殺し」の罪を観客の頭からそらしてしまう巧妙な演出。
スカーレットちゃんの役名は「ノラ」、イプセンの「人形の家」の主人公と同じというのもなんだか作為的なニオイがする。
いちいちそういうことにフフン、と疑いの目を向けていても、クリスの人生というコートに落ちた運命を読み違え、見事にウディ・アレンの罠にはまってしまった。

運命を切り開く、なんて勇ましい言葉はこのお話の中では無意味だ。
運命は人間にはコンとーロールできないんですよと、この映画は断言している。
良くも悪くも「運」次第で、人生は転がってゆく。
“こんなことありかよぉ”と、勧善懲悪ドラマに慣れきっている人は思うかもしれないが、不思議にサバサバした気分で見終われるだろう。
それがウディ・アレン的なのかもしれませんな。

Posted by mogmas at 10:35:00 | from category: 映画の引出し | TrackBacks
Comments
No comments yet
:

:

Trackbacks