November 21, 2006

父親たちの星条旗

  
1945年、アメリカ軍の大艦隊が取り囲んだのは、「焼けこげたポーク・チョップ」のような東西わずか8キロのちっぽけな島。 
圧倒的な艦砲射撃を受けた島は、もう丸裸にされ岩と砂しか無いように見える。
だが、艦隊司令官はあと10日間爆撃させろと本部とやりあい却下される。
かくて5日間で島を占領するはずが、このあと1ヶ月以上も凄惨な戦闘は続く。

上陸したアメリカ軍兵士は、地下壕の中から狙い撃ちしてくる見えない日本兵のためにバタバタと倒されていく。
波打ち際に漂う仲間の死体を踏み越えて揚陸艇が着き、次々と兵士たちが吐き出される。
一人でも多くの負傷した仲間を救おうと戦場を駆け回る海軍衛生下士官、ジョン・“ドク”・ブラッドリーは、あちこちから聞こえる「衛生兵 !」という叫びに、銃弾の雨をかいくぐり飛び出していく。
だが1人、2人なんとか助けても、とても追いつかないほど負傷兵は横たわり、死体は増え続ける。
それほどまでに、このちっぽけな島を奪取する意味は何か ?

太平洋戦争末期、すでに米軍はマリアナ諸島を押さえ、超重爆撃機ボーイングB29の一大基地を築き、日本本土への空襲を開始していた。
だが、マリアナ諸島からの長い航続距離や、必死の抵抗をする日本軍のために迎撃され、帰還できないこともあり、基地と日本を直線で結んだ中間にあるこの「硫黄島」を手にすれば、その後の戦局に大きく影響するのは必至であった。
一方日本側にしてみれば、「硫黄島」はまぎれもなく日本の領土、帝都東京の一部なのだ。
この島を占領されれば、本土への攻撃はより激しく、上陸を許すことにもなる。
軍部は開戦前からそれを想定し、中部太平洋方面の最前線にあるこの島を爆撃機の発着基地として要塞化した。
それゆえ、他の太平洋の島々での戦い(大艦隊に取り囲まれ、制空権も制海権も奪われ、物資の補給もなく、撤退することもできずに追い込まれ、“生きて虜囚の辱め”を受けないために全員が「玉砕」した)とは違い、最後の一兵、最後の一発まで徹底的に戦い抜き、より大きな損害をアメリカ軍に与えるとともに、本土上陸をできるだけ引き延ばすことを要求された。
「硫黄島」での激烈な攻防が長引いたのはそういった理由からだ。

一衛生下士官のジョン・“ドク”・ブラッドリーは、そんな国と国、軍と軍の思惑などを気にかけてはいられなかった。
ただ彼は仲間を助けることだけが自分の努めと信じ、島を一望できる「摺鉢山」に登頂して国旗を立てるときも手を貸したにすぎなかった。
しかしそこで撮られた1枚の写真が、戦争の行方も彼のその後の人生も大きく変えてしまう。

自らも2年間カーメル市長として政治家経験もあるダーティ「クリント・イーストウッド」ハリーは、戦争の隠された真実を奢れるアメリカに突きつけた。
戦争の後ろにいる、軍服に金モールを着けて命令する連中、ポケットに手を突っ込んで葉巻をくゆらす政治家どもが、多くの若者の命を奪ったという事実を、この映画は声高に主張するのではなく、「硫黄島」から生還し、思いもかけずヒーローに祭り上げられた3人の若者の苦悩と挫折と沈黙を通して、静かに、とてもていねいに描いていく。

しかし「プライベート・ライアン」あたりからさかんに使われ始めた手法によって、実にリアルで凄惨な戦闘シーンが展開し、見事なCGはまるで実写のように「硫黄島」へタイム・スリップさせてくれる。
もうじき公開される日本側の視線で見た「硫黄島からの手紙」で、ここに使われた映像がまたどういうふうに見えるのかとても興味深い。

人間の尊厳や誇りを、静かな怒りと悲しみを持って描き出される「クリント・イーストウッド」作品、これからも目がはなせない監督で役者の1人だ。

15:14:44 | mogmas | | TrackBacks