February 12, 2006

長い夜

前夜とはうって変わって、店内は静かだ。
8時を過ぎた時点で、まだ生ビールを2杯しか注いでいない。
それなのに早くもネタ切れの心配をし、皿を次から次へと洗わなければ追いつかない状態だ。
鉄板は口開けから強火のまま、次から次へと焼物が途絶えない。
カウンターにはカップルが入れ替わり立ち代わり、お水やこどもびいるを飲みながら、じっと鉄板に視線を注ぎ会話もない。
汗が流れ、喉がカラカラだが、水を飲む余裕もないまま9時前まで焼き続けた。

黙々と食べ終わったカップルが、1組帰れば続いてまた1組、引くときはあっという間に引いてしまう。
ようやく一息つき喉を潤していると、ひよっこり「ヒトリモン」がやってきた。
「お、誰もいない。どうしたの?ヒマだね」
あんたに言われたくないわい。
毎晩飲める丈夫な内蔵をお持ちでございますね。
前夜の記憶が一部欠落しているくせに。
お互いをつまみにし、片や飲み、片や片付けをしていると9時半を回った。
そうだ、今日は祝日、当店の営業時間は10時まででありました。
ではそろそろ締めるかと思っているところへ、何やら入り口の戸を細めに開けたり締めたりする怪しい行動をしている者がいる。
よくスチャラカ旦那がそんなことをするので、てっきり再び悪魔大集合かと思いきや、入って来たのは見ず知らずの大酔っぱらいの男。
誰が見ても、もう目が“いっちゃっている”様子なので、丁重に営業時間を告げると、
「オレに食わせないつもりか」
とすごみ、
「オレは千住の人間だぞ。地元の人間にお好み焼を食わせないつもりか」
と変な理屈をこねるので、あらためて丁重にお断りすると、
「なにぃ、ふざけた店だ。よし、気に入った、お好み焼を焼け」
と一歩も動かない構え。
トラブルを恐れるかあちゃんが、優しい言葉をかけると、
「いいおかみさんだ。おまえみたいなオヤジにはもったいないぞ」
と宣う。
はい、その通り。
まいど言われ慣れています。
しかし、初対面の酔っぱらいに“おまえ”呼ばわりされる筋合いもない。
こうなりゃさっさと食わせて、お引き取り願いましょうか。
「広島のお好み焼を出せ」というので、火を落とした鉄板に再び点火し、男がぐたぐた言うのを無視して超特急で焼く。
だいたいこういうタイプは、酒はないのかと言いそうなもんだが、それすら言えないほど酔っぱらっているのか、ただ水を舐めている。
しかし、カウンターの端で泡盛の一升瓶を2本はべらせて飲んでいる「ヒトリモン」に気づくと、
「あんた、なんでそんなに飲んでんだ。何を飲んでんだ。オレに教えないつもりか」
と矛先を代えた。
焼き上げたお好み焼を遮るように置くと、
「なんだよ、やけにはえぇじゃねえかよ。早く食って帰れってことかよ。上等じゃねぇか。おまえみたいなヤツに命令されるおぼえはねぇんだよ。オレは千住警察に後輩がいて、"#%&'=0)'#%・・・、からよ、0('%0(%$#!!#%&'?*><だぜ」
「冷めないうちにどうぞ」
というと、オヤジを睨みつけ、それでももそもそと食べ始めた。
「オレはL*`0=&%$#"jdir6jてで、○×△□役人らdk35kg87・・・」
まともに聞いちゃいなかったが、どうやら大学の後輩が千住警察にいて、千住には10年住んでいたが、今は筑波の方に住み、役所で働いており、絵を描くらしく、個展がどうのとか、おまえらは何にもわかっちゃいないらしく、34歳の女房がいて、とかなんとか・・・。
すると突然免許証を鉄板の上に投げ出し、
「これを焼いて見やがれ」
と開き直った。
別に燃やしたっていいけれど、面倒くさいので突っ返した。
昭和39年生まれの42歳、筑波市在住、山本某。
たちの悪い酔っぱらいだ。
「おまえ、オレより年下だろう。30代か」
ワァォ、うれちぃ、おじさん若く見られちゃった。
酔っぱらいでもありがとう。
「ヒトリモン」と顔を見合わせ、ニヤけてしまう。
しつこく歳を聞くので、教えてあげると、酔っぱらいの態度が一瞬豹変した。
年上には弱いらしい。
なんて気弱な・・・。
ピカピカに掃除して磨き上げた鉄板に、酔っぱらいの山本くんは手を乗せて「アチッチッ・・・」と顔をしかめた。
オバカだなぁ。
掃除したとはいえ、まだ目玉焼きぐらい焼けるほど熱いのだ。
しかし、その期を見逃さずオヤジは反撃に出た。
「こら、おまえ今どこをさわった!汚れた手で鉄板に触れるな!料理人の包丁に汚い手で触ったらどうなると思う。それと同じだぞ。鉄板はお好み焼屋の命だ、軽々しく触るんじゃない!!」
自分でも背筋がかゆくなるようなセリフで一喝すると、酔っぱらい山本くんは目をきょとんとしてへこんだ。
しかしまだグズグズいいながら腰を上げない。
帰りたくないのだそうだ。
「また来るからな」
と捨て台詞を残して、酔っぱらい山本くんがお帰りになったのは、11時少し前だった。

それから「ヒトリモン」相手に、ひとしきり酔っぱらい談義に花が咲き、泡盛「龍」は空になってしまった。
オヤジの酔っぱらいイジリは堂にいっていると思うが、時々やりすぎるきらいがある。
そのうちまた痛い目にあうかもしれない。
何年かに1度や2度は、理不尽な人がやってくる。
みーんな悩んで大きくなるのだ。
今夜の「ヒトリモン」は強制連行されるほどではなく、ちゃんと2本の足で歩いて帰った。
めでたし、めでたし。

家に帰ると、新たな問題が待ち構えていた。
パーキンソン病が確定したばあさんが、今度は腎臓が肥大して、結石のために痛みが止まらないのだ。
我慢が出来ないので救急病院へ連れて行くことになった。
オヤジは酔っぱらい運転になってしまうので、タクシーを呼び、かあちゃんと3人で乗り込み、近所の病院までひとっ走り。
夜間外来を通り、薄暗い病院内へ。
まだ医師とも呼べないような若いお姉さんの、おざなりな問診を経て、取りあえず痛み止めの座薬を試すことになった。
効果を見るために、ばあさんは30分ほど横になる。
それなりに酔っぱらった身には、ただ待つのは辛い。
誰もいない待合室のベンチに横たわり、いつしかオヤジも寝てしまった。
やがてばあさんに揺り起こされ、再びタクシーで家に戻った。
かあちゃんを先に風呂に入れて、時計を見れば午前3時。
トリノオリンピックをぼんやり見ているうちに、眠気のピークに達し、居間で寝てしまった。
寒さに起きて寝直したのは、もう朝7時だった。
長い夜はようやく終わり、つかの間の眠りは短かった。
今日こそ早く寝よう。

11:51:10 | mogmas | | TrackBacks