February 03, 2007

機械は思う。


オヤジが子供の頃、穫れたての野菜や海産物を山ほど背に背負って、毎朝千葉からやって来る行商のおばさんたちがいた。
“千葉のおばさん”と呼んでいたけれど、中にはシワシワのおばあさんといったほうがいい方もいて、そんな女性が、オヤジの背丈よりも高く積み上げられた荷物を、なんの苦もなくひょいと担ぎ上げるのを見るにつけ、「すげぇ」と思ったものだ。
“千葉のおばさん”が来ると、近所の人たちも出てきて、その日の献立にするものを見繕いながら、世間話などをするのが常だった。
ある日だれかが「いつもお元気ですねぇ」と言うと、おばさんは笑ってこたえた。
「なぁに、明治の機械は丈夫なのよ」
そういえば、亡くなった祖母からも同じように「明治の機械は頑丈にできてるのさ」というのを聞いたことがある。

昭和30年代、まだ「明治の機械」はピンピンしていて、銭湯などにも、ものすごく頑固でおっかないじいさんがいて、「水で薄めるな ! 」とか、「風呂ん中でさわぐな ! 」と、子供たちに小言をたれるのだった。
そういう元気で頑固で、スジが1本通っていた「明治の機械」に、最近とんとお目にかかれなくなった。

座右の銘を「交友須帯三分侠気」だと宣う、東京大学法学部卒業の70歳過ぎのおっちゃんが、
「15から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっている」、「機械というのはなんだけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」
と言っちゃった。
このおっちゃんが、年金生活のお隣のご隠居で、居酒屋で酔っぱらって演説ぶったのなら許されるが、オバカなことに、このおっちゃんは「美しい国」の厚生労働大臣だというから情けない。
ちなみに「交友須帯三分侠気」という、いかにも政治屋や極道の好きそうな中国の古語の意味は、「友と交わるには、すべからく三分(さんぶ)の侠気を帯(お)ぶべし」だそうで、「侠気」は男気(おとこぎ)のことだから、おっちゃん、男にはエエカッコしちゃってたんだろうね。
しかし、残りの七分の中には、「権力を欲しがる機械」や、「金を集金する機械」や、「女性を見下す機械」や、「生にしがみつく機械」とかが詰まってそうに思えてしまうところが、「昭和の機械」の底の浅さかもね。

でも「産む機械」とは言っても、一人ではできないということは、東大出ている政治屋さんだからわかっているとは思うし、おっちゃんエラそうに発言したのだから、自分の女房にはパカスカ子供を産ませている、ジェームス・ブラウンもあっと驚く“セックス・マシーン”なのかもしれないと調べてみたら、家族構成は「妻」とだけしか出ていなかった。
まあ、高級料亭とかで、別腹に子種を仕込むことなんぞはお得意なのがこういう輩だから、長いこと生臭い世界で泳いでいれば、触られたくない過去は山ほどあるんだろうね。
いずれにしても、おっちゃんどの面下げてお家に帰ったのだろう。
どんなに取り消したって、「妻」という「産む機械」にはその心根は見透かされちゃっているハズだし、肩身は狭いやねぇ。
時間と税金の無駄だから、さっさと辞めちゃってくんないかなぁ。

人のことをいろいろに喩えるのってむずかしいけれど、宮崎県の“そのまんま”知事なら「産む機械」なんて発言はしないだろうね。
だってあの人は、吉原のソープに、師匠のビートさんとさもに花輪を出すような人だもの。
いろいろ下半身の問題もあったしね。
“そのまんま”知事なら「女性は◎◎する機械」と言うだろうさ。
せっかく知事になったのだから、おとなしく“そのまんま”任期を終えることを願っておりますって。
お互い「シジュウクサイ機械」だからさ。





14:01:56 | mogmas | | TrackBacks