March 16, 2007

子育てにゾンビとガンダムはいらない

   
幼稚園の年長だという娘をまん中に、若い夫婦がカウンターに座った。
夫婦はお互いのタバコにそれぞれ火をつけ、娘の方を向いて煙を吐き出しながら、
「〇〇ちゃん、何にする?」
と聞くと、すかさず娘は「こどもびーる」と答えた。
パパは生ビールで娘と乾杯し、和やかな食事がはじまった。

しばらくして一段落すると、ママが何やらパパに文句を言い出した。
耳をダンボにしていると、こんな会話が聞こえてきた。
「朝5時から、なんでガンダムなんて見ているのよ」
「いいじゃないかよ、何時だって。見たい時に見るのがいいんだよ」
「でも〇〇ちゃんがいる時にはやめてよ」
「一緒に見てるんだよ。ねぇ」
「・・・わたしは、見たいのがほかにあるのに・・・」
「ほら、〇〇ちゃんだってガンダムなんて見たくないのよ。ね」
「・・・うん」
ママと娘に見放されたガンダム世代のパパは、シュンとなってウーロンハイをすするのであった。

このパパの場合はガンダムだけかもしれないが、ついこの間パパになった“あの男”は、もっと複雑な事情を抱えている。
なぜなら、彼はこよなくゾンビも愛しているからだ。
しかし彼の名誉のために言えば、彼はきわめてまともな、健全なゾンビとガンダム好きなのである。
だがそんな彼でも、もし愛娘がゾンビとガンダムまみれの環境で成長したらどうなるのか ?
たとえば、娘が小学校の低学年になったとしよう。

日曜の昼下がり、町の雑踏を見下ろせるファーストフード店の窓辺で、父と娘はこんな会話を交わす。
「ねぇ、パパ」
「なんだい、コチョコちゃん」
「見て、あそこで電話している人間。ちょっとウマそうじゃない?」
「ふーん、そうかなァ。パパはあっちの制服のコの方がかじりたいな」
「えー、あんなヤセッポチじゃ、喰ってもつまんない」
「それもそうだね」
「ねぇパパ、あたしいいこと思いついちゃった」
「なに?」
「ガンダムにゾンビを乗せるの。そうすれば最強だと思うんだ。だってアムロみたいにためらったりしないもの」
「そうだね。それはいい考えだね。じゃ、パパはザクにシャアのゾンビを乗せちゃおう」
「ズルイ、パパ。あたしもアムロをゾンビにするゥ」
「そしたら、ホワイトベースはゾンビだらけになるね」
「それでやっと平和になるでしょ」
「ほんとだ。頭がいいねコチョコちゃんは」
「だって、パパの娘だもん」
「こいつぅ〜。ハッハッハッ」
「ね、パパ。早くお家に帰って、さっき買った『ぞんびあめりかげきじょうこうかいばんじょーじえーろめろずだうんおぶざでっどぞんび』を見ようよ」
「そうだね。やっぱりジョージ・A・ロメロを見ないとゾンビは語れないよね。でも、ママには内緒だよ」
「うん、大丈夫。ママはあたしがキティちゃん好きと思い込んでいるから、心配ないよ」
「よし、帰りはゾンビ歩き競争だぞ」
「わーい。負けないよ、あたし」
父と娘は店を出ると、ギクシャクとしたゾンビ歩きで、楽しそうに家まで競争して行ったとサ。

うーん、健全すぎる。
健全すぎてなにも問題がないように錯覚してしまう。
でも92.6%の母親は、ゾンビとガンダムは子育てに必要ではないと、総務省の統計で明らかになっている。
だから、こういう状況はたぶんいけないことなのだと思う。
それに、ワタシはすでにこの健全なパパに確認済なのだが、彼は名作「サスペリア」を見たこともなく、すなわち鮮血の巨匠「ダリオ・アルジェント」を知らないのだ。
「ダリオ・アルジェント」を知らずして、ゾンビを語るのはいかがなものかと考える。
なぜなら「ゾンビ 米国劇場公開版 GEORGE A ROMERO’S DAWN OF THE DEAD ZOMBIE 」の脚本を書いているのは、鮮血の巨匠「ダリオ・アルジェント」その人なのだから。
この事実でもわかるとおり、健全なパパは未だ78%しかゾンビに感染していないのである。

今のうちなら、まだゾンビから足を洗える。
悔い改めるなら、いつでもワタシが手を差し伸べてあげよう。
強力なカンフル剤として、東宝特撮DVDを貸してあげてもいい。
いかがだろうか、「おちょこくん」 ?





10:31:00 | mogmas | | TrackBacks