May 18, 2008

最高の人生の見つけ方

原題は「THE BUCKET LIST」。
「棺おけリスト」という意味で、棺おけに入る前に自分がやりたいことを書くリストのこと。
こっちの方が邦題の「最高の人生の見つけ方」よりもずっといいと思うのに。

それにしても、棺おけ=バケツって何さ。
英語って、現実的だなぁ。

映画の中でふたりの余命幾ばくもないジイ様が、土葬がいいか火葬がいいかという話をタージマハールでするシーンがある。
「ジャック・ニコルソン」扮するエドワードは、一代で10億ドルもの資産を築いたが傲慢で孤独な病院グループのオーナー。
片や「モーガン・フリーマン」のカーターは、大学時代にできちゃった結婚をして、歴史学者になる夢を諦めた自動車修理工。
家庭に恵まれないエドワードと、息子や娘、孫にも恵まれ温かな家庭をもつカーターが、偶然病院のベッドで隣り合わせたことから始まる物語は、軽妙洒脱なセリフと、時には少年のように、あるときは枯れて悟った老師のようなふたりの演技で、“死”へ続く話を明るく魅せる。

土葬はイヤだというエドワード、火葬してほしいが骨壺はイヤだというカーター。
ふたりの選んだのは、なんでもないインスタントコーヒーの缶だった。
やっぱ、現実的だ。

じゃ、棺おけリストになにを入れる ?
◎ 荘厳な景色を見る。
◎ スカイダイビングをする。
◎ エベレストに登る。
◎ ライオン狩りをする。
◎ カーレースをする。
大金持ちのエドワードなら、そんなことはたいしたことではないだろう。
でも、
◎ 見ず知らずの人に親切にする。
◎ タトゥーを入れる。
◎ 泣くほど笑う。
などはどうだ ?

もし、有り余るほどの金を持っている人間に出会わなければ、ジジイのリストはもっと現実的になったのだろうか ?
“なんじゃい、それ”と思わせるようなリストの選択も、監督「ロブ・ライナー」の計算が生きているということなのだろう。

この映画、なかなかいいオチなんだが、いちばんこの物語の中で誠実に約束を実行するのは、Mac使いのやや頼りなげに見える秘書くんなのである。

それにしても元気なジイ様たちだ。
後期高齢者なんてレッテルをはられるような日本でも、元気なジイ様が活躍する映画ができればいいのに。
暗いのはだめさぁ。





12:56:44 | mogmas | | TrackBacks

May 16, 2008

ミスト

  
その本の初版は昭和57年10月20日になっていた。

ハヤカワ文庫・モダン・ホラー書下し傑作集 1 「闇の展覧会 Dark Forces 」。

その中の一編、目次の一番最後にあった中編小説が「スティーヴン・キング」の「霧」だった。
夢中になって読んだ。
それが「スティーヴン・キング」との出会いだった。
いまから25年前のことだ。

霧の中から蠢いて伸びてくる触手。
外界を濃い霧に閉ざされたスーパーマーケットの中に閉じ込められた人々の恐怖と焦燥、疑心暗鬼と絶望、ほんの微かな希望をたよりに狂った世界から脱出しようとする一握りの人々。
軍の関与していた「アロー・ヘッド計画」とはなにか ?
まったく正体不明の生き物。
地獄の使いか、神の裁きか、いずれにしても人の命など紙くずほどの価値もない。
だが、「スティーヴン・キング」の原作ではまだかろうじて救いがあった。
それは彼もまだ若かったということなのか ?

映画「ミスト」はかなり忠実に原作小説の世界を描いている。
閉鎖状況でしだいに狂気が支配していくさまも、生き物のような濃密な霧も、一番肝心な“触手”も、25年間頭の中にあったイメージを裏切らない出来映えだった。
現在のCG技術があったからこそだと思うが、B級ホラーでさんざん使い古された感のある“触手”も、安手のウネウネ下手物ではない。
その点、日本のオモチャ売場でウルトラ怪獣などのフィギュアに触発されて勢いだけで作った産業廃棄物「クローバーフィールド」とはまったく違った、上質のホラーである。

冒頭、主人公のアトリエにあった「THE THING」のポスターが象徴的に映されるが、「ジョン・カーペンター」監督は「遊星からの物体X」の前に、「ザ・フォッグ」というこれまたさらに濃い霧の中から現れる恐怖の映画を作っている。
まあ、「フランク・ダラボン」監督の遊び心だろうが、そういうことは大好きなので、初っぱなから映画にのめり込めたのだ。

そして、宣伝文句にうたう「映画史上かつてない、震撼のラスト15分」を迎えるわけだが、「映画史上かつてない」は大袈裟でも、この原作からの変更点は「スティーヴン・キング」も納得だろうと思った。
もし「希望も救いもない」と考えたなら、それは「スティーヴン・キング」の世界を理解できていないということじゃなかろうか。

ただ惜しむらくは、エンドタイトルの途中から左右に流れる戦車のキャタピラやヘリの爆音が、この狂った世界の生き物は通常兵器で制圧できる怪物だということを表してしまっているのが物足りない。
せめて、地響きをたててのし歩く巨大な怪物にミサイルの一発でも当ててくれればよかったのにと、B級なウルトラオヤジは思うのであった。

あらためて原作小説を読み返してみたくなってしまった。





13:22:03 | mogmas | | TrackBacks

May 12, 2008

真夜中の“ウルトラな発見 ! ”カーボーイ


このところ毎晩、なんだか狂ったように映画を観まくっている。

これも一種の逃避なんだろう・・・・。

ジャンルも何もなく、手当たり次第という感じ。

フレンチ・コネクション、羅生門、ランボーシリーズ3部作、ラッシュアワー3、ファンタスティック4、アポカリプト、日本一のホラ吹き男、ザ・ロック、シン・シティ、夢、姿三四郎、そして「真夜中のカーボーイ」。

なんかピンとくる映画はないだろうかとラックの中を漁っていたら、まだ封も切っていないDVDが出てきた。
それが「真夜中のカーボーイ」。

原題は「MIDNIGHT COWBOY」だから「カウボーイ」かと思っていたら、邦題は「カーボーイ」なんだって。
1969年の公開だからロードショーでは観ていないハズで、しばらく経ってから名画座あたりで観たのだろう。
その時は若気の至りで気がつかなかったことに、今気がついたりした。

「ジョン・ヴォイト」(アンジェリーナ・ジョリーのお父ちゃん)と「卒業」を卒業した「ダスティン・ホフマン」のコンビは、「傷だらけの天使」の修と亨のモチーフになったようなことを「ショーケン」が書いていたが、なるほど、そう思わせるようなシーンがいくつもあった。

「ジョン・ヴォイト」と並んで歩く「ダスティン・ホフマン」は「レインマン」そのままだが、オカマから蔑まれて「ネズ公」と呼ばれ、肺病病みで片足を引きずっている「ラッツォ」を好演。
「ニルソン」 の歌う「うわさの男」が、職もなくあてもないテキサスの田舎者「ジョー」に切なく響いて出色。

あの頃鋲の打ったカーボーイブーツを履き、ウエスタンシャツを好んで着ていたが、カーボーイ=ホモの象徴だなんて知らなかった。
男の痴漢に何度かあったのはそのせいかと思ったりして、これまた切なくなってしまった。

さて、一旗揚げようとテキサスからやって来た「ジョー」が、不器用ながら自信満々で年増女の部屋でくんずほぐれつしているベッドの上に、テレビのリモコンが転がっている。
互いの身体でそのリモコンのボタンを押してしまうと、テレビの画面が次々と変わり、映し出されたのが、なんと、「ウルトラマン」第34話「空の贈り物」で登場した怪獣「スカイドン」 !!
♪ タタタタ〜ン ♪とウルトラの音楽も聞こえ、「スカイドン」は火炎をまき散らす。

「おおおー、なんだこりゃぁ ! 」

深夜に断末魔の「ジーパン刑事」みたいな声を出して、思わずリモコンの一時停止ボタンを押してしまった。
30年ほど前に名画座で観た時には、こんなシーンがあるなんてちっとも気にしていなかったが、ジジイ度が増してウルトラ度も上がったのだろうか、思わぬ発見をした喜びでスロー再生でもう一度。
それにしても実相寺監督は、この件を了承済みだったのだろうか ?

が、さらに「ジョー」の尻や背中がリモコンを押しまくり、テレビ画面は目まぐるしくカットバック。
ウルトラの目になっているオヤジは、続いて第23話「故郷は地球」の「ジャミラ」を見逃さなかった。
ほんの1、2秒のカットバックで3回登場する「ジャミラ」の悲痛な顔。
これも監督・実相寺昭雄、脚本・佐々木守コンビの作品だ。

う〜ん、アメリカ映画にウルトラ怪獣が登場した記念すべき作品である。
それにしても、ウルトラマンのテレビ放映終了後3年ほどで、アメリカ人もウルトラ体験をしていたということなんだろう。
さすがだ、シュワッチ ! だ。

マニアはこんなことはすでに承知のことかもしれないが、オヤジにはなかなか興味深いトリビアなことだ。
よぉぉし、今夜もしっかり映画でお勉強しちゃおう。
ズキュン !




15:58:24 | mogmas | | TrackBacks

May 09, 2008

I'M NOT THERE


理解し難い者が現れると、為政者やマスコミはその者を何れかのジャンルとかカテゴリーとかに色分けしようとする。

だが、I'M NOT THERE・・・・

時代の代弁者が現れると、大衆は酔い、すがり、求め、一体化しようとしてその者がすり切れても離さない。

だが、I'M NOT THERE・・・・

彼のことはよくわからない。
様々なミュージシャン、世相に多大な影響を与えたことは見て聞いて知っている。

学生街の喫茶店の片隅で、考え深そうな顔をした恋人たちが彼の歌を聴いていたこともあるだろう。

窓にもたれて古ぼけたフォークギターでおぼえたての「風に吹かれて」をつま弾き、いつかはこの国の目を覚まさせてやると青臭い思いを抱いた路地裏の少年もいたろう。

でもいつまでも彼の話をする君の親切にウンザリして、決別を告げた者もいるだろう。

だが、I'M NOT THERE・・・・

彼は何者か ?
スクリーンの中にそれらしい姿を見るが、彼ではない。
時代も人種も違う彼のコピーが、そこにいないものを伝えようとしている。
ビリー・ザ・キッドとウディ・ガスリーに何を見る ?
ケイト・ブランシェットはいい女だけれど、びっくりするほど彼を体現していた。
クリスチャン・ベイルも、騙されるほどの演技で彼を見せてくれた。
だが、彼とは何者 ?

無性に、無性に彼の歌が聴きたくなった。
意味もわからず、なんとなく口ずさんでた頃のことを思い出す。
そういえば途中から彼のことは興味の対象ではなくなっていた。
いま、自分が反省期を過ぎたいま、あらためて振り返って、その軌跡を辿りたいと強く思う。
だが、やはり、I'M NOT THERE なのだろうか ?

彼は何者 ?

答えは、そう、あのびゅうびゅう吹いている風ん中にあるんだろう。







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