July 08, 2008

傷だらけの天使リターンズ

  
「良からぬ 者こそ 面白い ! 」

3ヶ月ちょっと前、そのコピーが新聞の広告欄に躍った時、まさにオレは体調が「良からぬ 者」だったし、さらに「魔都に天使のハンマーを」という小説をあの「矢作俊彦」が書いているというので、矢も盾もたまらず叫んだ。

「アキラー ! この本買ってきてくれっ ! 」

もちろん我が家に「アキラ」も「水谷豊」もいるわきゃぁないわけで、釣り銭欲しさの小僧が二つ返事で「オーケー、了解です」と2千円を握りしめて本屋へ飛んで行った。
買ってきた本が、小説現代の特別編集「不良読本」というわけだ。

その表紙には、うらぶれた哀愁を漂わせながらもこちらを睨みつけている「ショーケン=小暮修」の写真 !
えも言われぬ興奮に襲われページをめくると、目次にはこうあった。

「あの伝説のテレビドラマ最終回から33年。東京郊外のベッドタウンでホームレスとなっていた小暮修は、殺人事件に巻き込まれ、33年ぶりに魔都・新宿に舞い戻る ! 」

それが「矢作俊彦」の小説「傷だらけの天使 リターンズ / 魔都に天使のハンマーを」だ。

オレはあの頃世間で言われているような「不良」ではなかったが、かといって「良い子ちゃん」ではけっしてなかったから、「傷天」は毎週欠かさず観ていたし、再放送で何回かやったときも食い入るように観、そのうちビデオなんぞという有難い物が手に入った時にはもちろん録画して保存し、あげくにDVDボックスにまで手を伸ばして学習するほど「傷天」好きなオヤジに成長してしまったわけで、時々たまらなく「修ちゃん」喰いをしたくなって、コンビーフやビスケット買い込んでしまう。
まったく罪作りな、マネしたくなるオープングだ。

「不良読本」のエッセイで、「私の不良論」として「浅田次郎」が不良の精神を述べている。
それによれば、不良なる行為には、当人の意思ではいかんともしがたい環境設定が含まれており、一方の非行は状況のいかんにかかわらず当人の意思による能動的行為だという。
つまり「ろくでなしだがひとでなしではない」のが「不良」なんだそうな。

「小暮修」という男も「ろくでなしだがひとでなしではない」ために、情にもろく義理堅く、権力にいいように利用され、つねにトラブルを抱え込んでしまう馬鹿野郎だ。
だから33年間も、ドラム缶に入れたまま夢の島に置き去りにしてしまった「アキラ」の影から逃れられず、「魔都」が幻のように遠くに見えるダンボールハウスの中で不遇をかこっている。
死んでしまった「アキラ」は、「相棒」の広告でタイムリーに(意図的に)登場するだけだが、懐かしいキャラクター総登場で、しかもネット世代の英雄「コグレオサム」が暴れ回り、「アキラー」「アニキー」も健在だ。
これはあの頃「傷天」の熱波をあびた「矢作俊彦」流の後日談である。

最近それが、たぶん大幅に加筆訂正されて単行本化された。
どこがどう変わったのか、確かめてみるのもいいが、このさい誰かそれを映像化してくれないもんだろうか。
やってくれないかなぁ「ショーケン」・・・、水谷豊も乗ってくれないかなぁ・・・。
オレたちの「傷天」はやっぱり「豊川悦司」や「真木蔵人」ではないわけで、関係者がどんどん他界してしまう昨今、やるなら今しかない、と思うんだけど・・・。

「不良読本」には他にも、「海道龍一朗」というひとが「傷天」がらみのエッセイ「零式 傷だらけの天使」を書いていておもしろい。
みんな自分だけの「傷天」をもっているんだなぁ。


あの時代だから為せた、奇跡のような「不良ドラマ」について、「ショーケン」は自伝の中で淡々と語る。
タイトルが嫌いで出たくなかった「太陽にほえろ ! 」で、冗談じゃねぇ「マカロニ刑事」役でブレークしたものの、嫌でしょうがなかったから死んで幕を引き、「気がついたら、散々に生活が荒れていた。毎日、朝から大麻を吸い、アルコール依存症になって、何人もの女とつきあっているー」
という熱に浮かされたような状態で、やりたいことをやった。
それが「傷だらけの天使」だという。

しかし、その熱に煽られた連中が生み出した「たまらん」ドラマは、けっして品行方正な名作とはほど遠いが、強烈なインパクトを後世まで残して消えた。
「祭りのあとにさすらいの日々を」経て、今も残る(と思う)のは、代々木のエンジェルビルのみさ・・・。

♪ たまらんたまらんたまらんぜ たまらんこけたら皆こけた           
     たまらんたまらんたまらんぜ たまらんこけたら皆こけた ♪





00:57:57 | mogmas | | TrackBacks