October 06, 2008
零式艦上戦闘機52型の絵を買う
そのオジサンに初めて会ったのは2005年12月29日の深夜、浅草仲見世の中程の路上だった。
車イスと酸素吸入器。浅草あたりでは、こんな装備の年寄りをよく見かける。
その時間に我々が(Cちゃんともみもみ先生のご一行)素面なわけはなく、酔った勢いのようにオジサンに話しかけたのだった。
オジサンは人気のなくなった商店街のシャッターに、黙々と絵筆をふるっているところで、酔っぱらいの冷やかしなんてもう慣れっこだったろうが、気さくに会話を交わしてくれた。
浅草らしい ? 江戸情緒のある絵を描いていた。
殺風景なシャッターが、こういう統一感のある絵で埋められていくのはとてもいいことだと思った。
「オジサン、がんばってね」
などと無責任な声援を送り、我らの記憶からそのことは消えていた。
時々浅草へ行った際に、オジサンのシャッター絵をながめ、チラッとその時の記憶を甦らせることはあったけれど・・・。
先日、あの時のオジサンに再会した。
オジサンは路上で版画を刷って、それを展示販売していた。
軍帽をかぶり、酸素吸入器と車イスは相変わらずだが、自分の略歴とNHKで放送されたことが提示されていた。
それによると、オジサンは特攻隊で出撃したが、心ならずも生還してしまい、戦後、故郷の浅草に戻ってきたが両親も生家も空襲で失い、失意のままに様々な職業を点々としながら、独学で絵を学び描くようになったとのこと。
名前は土橋さんというのだそうだ。
きっと浅草界隈では知る人ぞ知る存在なのかもしれない。
もちろん、何年も前の通りすがりの酔っぱらいのことなど覚えてる由もないが、なんだか妙に心が動いたのと、路上に広げられた戦艦大和や戦闘機の絵が、「小松崎茂」画伯のプラモデルのパッケージの絵を彷彿とさせ、昭和のオヤジの胸をときめかせたので、その中の1枚「零式艦上戦闘機52型」を買った。
オジサンにっこりして「52型、52型ね」と、念を押した。
ひよっとすると自分が出撃した機が「52型」だったのかもしれない。
「おーい、ヨウコ」
と、傍らに停めてあった車を振り返って声をかけると、初老の婦人が出てきて「52型」の絵を袋に入れてくれた。
ふたりともとてもうれしそうに、絵を抱えたオヤジを見送ってくれた。
今の婦人は奥さんだろうか ?
それとも娘さんか ?
特攻隊の隊長を務めたオジサンの歳を82、3歳とすると、娘さんでもおかしくないが、なんとなく奥さんのような気がした。
それにしても、またしても「ヨウコ」かぁ・・・。
オジサン、ほんとうはでっかい戦艦大和の絵も欲しかったんだけど、お金を貯めてまた買いにくるから、今回はこれで勘弁ね。
では、武運長久をお祈り申し上げ候。
Comments
mogmas:
座して待て !
(October 06, 2008 23:28:02)
KAZUMI DOBASHI:
父の事をお目に留めて頂いて真にありがとうございます。
お察しのとおり曜子は土橋の妻でございます。まだまだ本人は元気に描き続けるつもりでおりますので応援宜しくお願い申し上げます。
お察しのとおり曜子は土橋の妻でございます。まだまだ本人は元気に描き続けるつもりでおりますので応援宜しくお願い申し上げます。
(January 04, 2009 17:11:15)
mogmas:
あわわわわ・・・・・
これはこれはどうもほんとうに、いいかげんな酔っぱらい話でまことに恐縮至極。
じつは我が祖父も画家で、母は本当に貧しい戦前戦後を過ごしました。
祖父は亡くなってから少しだけ世に出ましたが、やはり現役でいられることが何よりの花だと思います。
また再びお父上とお目にかかったら、その時はぜひ「大和」を買わせて頂きます。
これはこれはどうもほんとうに、いいかげんな酔っぱらい話でまことに恐縮至極。
じつは我が祖父も画家で、母は本当に貧しい戦前戦後を過ごしました。
祖父は亡くなってから少しだけ世に出ましたが、やはり現役でいられることが何よりの花だと思います。
また再びお父上とお目にかかったら、その時はぜひ「大和」を買わせて頂きます。
(January 04, 2009 18:50:18)