November 18, 2005

東京蟒蛇倶楽部

昼のビールはすぐ醒める。
もみもみパパのおかげで絶好調のオヤジ。

今夜は家で普通に軽〜く晩酌と、ワインが飲みたいというばあさんに1杯ついで、残りを全部平らげ、ビールに移った。
昼の鰻でギンギンなのに、夜は生牡蠣である。
これにヒトリモンお持たせの、シークァーサーを搾ると最高。レモンよりずっとイケル。ありがとうヒトリモン。
なんて考えていたら、当のヒトリモンから電話。
新しい泡盛を持って、家に来てくれるという。いやいや、毎度毎度、あんたは沖縄の酒屋かい。

でもって、仕切り直しで、本格的に飲む態勢。
平日は深酒をしないはずのヒトリモンだが、こうなりゃ話はちがう。
ワイン1杯で休む予定だったばあさんも、小学校以来40年ぶりに会うGちゃん=ヒトリモンに、懐かしくってもう1口だけビールを飲んで退場。
第2ラウンドの開始である。

いきなり重いものでは不調法。まずはふたたびビールから。
この作法がわかる人とは仲良しになれるのですな。
つづいて焼酎。
実はあんまり人には言っていないが、15年以上前から飲んでいて、ことあるごとに常備している焼酎は、小正醸造の「MELLOWED KOZURU EXCELLENCE」41度の米焼酎。
まるでウイスキーのような味わいで、ロックが旨い。
以前正月に“悪魔のあっくん”とぺろりと空けてしまい、次のを買っておいたのだ。
なぜ気に入ったかは、ボトルに「SINCE 1957」と書いてあるから。わかる人には、わかる。
次に、幻の球磨焼酎「無言」40度。これは樫樽で長期熟成させたほのかな琥珀色。ズンとくる厚みのある味わいだ。
高級焼酎よりは、普段飲みの安くて臭っさいクセのある酒がお気に入りのヒトリモン。
外が寒いのでお湯割りでいきたいと、お持たせの泡盛に手を伸ばす。
はじめて飲む泡盛「豊年」は、オヤジたち好みのクセのある昔っぽい味。
サラダ油みたいな名前じゃなければ、店にも置きたい泡盛だ。

いよいよテンションが上がってきて、またしてもヒトリモンの修行の話に探りを入れるオヤジ。
インドで師事していた「グル」(麻原ではない)が、新天地を求めてニューヨークへ移ると、ヒトリモンもそのあとを追い渡米し、ヨーガの奥義を究めるべく鍛錬したそうだ。
チャクラの根源はどうもコウモン様にあるらしい。
(どうしてもこのブログは下へ下へ、尻へ尻へといく傾向にあるな。いかん)
気を錬るのはへただが、お好みは毎日練っている。夢枕獏の本だって読んでいるから、チャクラも曼荼羅も少しは理解しているつもりだ。
尻を大事にしませう。
ヒトリモンは肉を食べないから、穏やかな酔っぱらいでいられるのかもしれない。
などと感心していると、泡盛「豊年」は空になっており、次を出せと、グラスを突き出された。
で、しょうがないので今度は芋焼酎でお湯割り。
「手づかみカレーの会」の話から、アキバのラジオ会館の話へと、変幻自在の会話のキャッチボールは続き、ついに芋焼酎も空けてしまった。
気がつけばもう深夜0時を回っている。
明日も朝から仕事のヒトリモン。そろそろ見事な千鳥足を披露する頃合いだ。
危なっかしいので、お見送りがてら夜風に当たる。

今夜もすばらしい千鳥足の妙技で夜道をいくヒトリモン。
道の真ん中で突然俯いて立ち止まった。
やばい、ついにゲロゲーロかよ。
と思ったら、にやっと笑って、夜の町に谺するほどの特大の屁を放った。
おいおい、それが別れの挨拶かいっ!!
チャクラの最後っ屁。なんというダイバダッタ。

とても寂しくなったオヤジは、“最後の砦”の戸を開き、駄目押しの生ビールとハイボールで締めたのだった。
家に帰ってから、記憶をなくしたのは当然の成り行きなのだ。

翌朝。
かあちゃんの恐ろしいところは、ベロベロの現場を保持して、オヤジに思い知らせることだ。

画像の表示強者どもが夢のあと

ヘロヘロでもみもみパパのところへ駆け込み、真人間に戻してもらい、なんとか仕込みを終えて帰り、一服すればもうすでにいい時間。
画像の表示駆け出したくなるようないい夕日

本日はボージョレーの解禁日。
となれば、当然こうなる。
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お知らせです。
「朝まで飲もう会」と「手づかみカレーの会」は本日をもって終了します。
新たに発足した「東京蟒蛇倶楽部」にすべて移管されました。
会員は随時募集していますが、男性には厳しい入会審査がありますので、体力に自信のない方はご遠慮ください。
賄賂の差し入れをしてくれる方には、審査はゆるゆるです。
女性はフリーパスですが、極力、容姿端麗独身で、スリーサイズを申告し、尚かつ「日本混浴学会」にも参加できる方を切望致します。
思いつきのみで発足しましたので、当然まだPCと辞書なしには「蟒蛇」という字を書けません。
「蟒蛇」の道は遠く険しい。

13:34:00 | mogmas | | TrackBacks

積ん読の山

また魔が差して、本屋に行ってしまった。
だが今日は2時間で済んだ。
何も買う予定じゃなかったのに、紀伊国屋書店のワナにはまってしまった。

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雑誌「荷風」、「池波正太郎のそうざい料理帖」、「ヘンな事ばかり考える男 ヘンな事は考えない女」東海林さだお著、「死言状」山田風太郎著、「疑問に答える パーキンソン病」福永秀敏編著、「ララピポ」奥田英朗著の以上6冊お買い上げ。

レジには4人の店員さんがいたが、一番若い女の子の前に本を出した(基本です)。
いかにも本好きという感じの「山口」さんは、受け答えもきちんとしているが伏し目がちで、バーコードのリーダーの下にピロッ、ピロッと次々と本を差し出していく。
本の帯に“いや〜ん、お下劣。*紳士淑女のみなさまにはお薦めできません。(作者)”と書いてある「ララピポ」の番になったとき、なかなかリーダーが読み取らず、何度か出し入れを繰り返し、一瞬恥ずかしそうに上目使いでこちらを見た。
きっと本のカバーの裏を知っているに違いない。
画像の表示カバーの鍵穴の向こうは・・・
画像の表示いや〜ん、お下劣。
がんばれ紀伊国屋書店の「山口」さん。
エロイ本でも、本は本。売らにゃあ本屋は成り立ちません。
また買いに来ちゃうからね。

さて、こんなに買い込んだものの、読まなければならない本は家にも山積み。
「テロリン」すらまだ読んでいない。
取りあえず「疑問に答える パーキンソン病」はばあさんに渡し、雑誌「荷風」は店に持っていく事にしよう。
東海林さだおの「ヘンな事ばかり考える男 ヘンな事は考えない女」に、カレーを手づかみで食べたという話が載っている。まずはそこから読むか。
どんどん眠れない夜を自ら作っているオヤジなのである。


11:08:00 | mogmas | | TrackBacks

軍国少女の思ひで

鰻のあとの腹ごなしに、日比谷線で三ノ輪まで。

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日光街道と明治通りの交差点に立って見上げると、マジンガーZの頭のようなビルがある。パイルダーON!

ちんちん電車の駅の方へ、道路を渡り、歩く。
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ここを通り抜けて三ノ輪商店街へ。
総菜屋さんや餃子専門店、古い作りの蕎麦屋、おばさん向けの衣料がばか安なお店が、アーケードの下に続く。
水曜日なので閉まっている店が多いのが残念。
ここへは買い物に来たのではない。
本日は、ばあさんの思いで探しの町歩きなのだ。

尋常小学校に入学する前くらいに、ばあさんはこの辺りに住んでいたそうな。
空襲で焼けてしまったり、開発ですっかり様相が変わってしまったりと、昔の面影はごく少ないのだが、わずかな記憶をたよりに歩いてゆく。

70年ほど前の話だ。
貧乏長屋に娘が3人。その2番目がばあさん。
父は(つまりオヤジの祖父さん)売れない西洋画家で、しかも共産党に傾倒したプロレタリアな酔っぱらいで、特高警察と借金取りから逃げ回ったあげく、一時この土地に落ち着いたのだった。
絵など全く売れないご時世で、生活のために紙芝居や羽子板などに描いて、糊口を凌いでいたという。
プラチナの刃先を熱し、木版に焦げ付けるように描いた絵はいくらか金になったらしく、それでもわずかな生活費を入れて、近所の飲み屋で「先生、先生」とおだてられて飲んだくれていたそうだ。
仕事があるうちはまだいいが、なくなると商売道具のプラチナを質屋に入れて、金をつくる。その繰り返し。
警察の留置場へ何度も入れられて、その度に祖母は幼い娘の手を引いて請出しに行ったという。
ばあさんが今思うに、それは警察の心証を良くするための祖母のささやかな作戦だったのだろう、と。
「226事件」が起きる前くらいまでの話である。

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都電の踏切を渡り、明治通りへ出る。
画像の表示この工場の前を通り、反対側へ渡る。
画像の表示そしてこの「正庭通り」をずっと歩いてみたかったそうだ。
ばあさんが通った小学校は、もうすっかり新しくなり、見るべきものもない道をてくてく歩く。
貧乏で、しょうもない父親で、辛い日々でも、時は過去を懐かしく変える。

さらに「正庭通り」を行くと、
画像の表示三ノ輪なのに千住とは、これいかに?

画像の表示鰻屋さん発見。
看板に“やってるぞ”と書いてあるのに閉まっていた。甘ちょびんな店だ。

しばらくして道は日光街道に突き当たり、かつて三菱銀行だったところがスーパーに変わり、隣りの吉野家との間の細い路地に、
画像の表示これがある。
画像の表示一同ウシロムキで入って行くと、
画像の表示ひっそりとあるお地蔵さん。

さて、祖父さんの絵は一度「プラウダ」で取り上げられたものの、日の目を見ることはなく、肺結核のために戦争が激しくなる前に亡くなった。
一家は南千住へ越していき、そこで終戦を迎えたのだ。
3月10日の東京大空襲の時、防空壕へ入り、高射砲がちっとも当たらず、サーチライトの交差する中を悠然と飛来したB29のピカピカ輝く機体を目撃したばあさんの姉は、「かっこいいなぁ・・・」とつぶやいたという。その光景を見て、軍国少女だったばあさんは、“日本は戦争に負ける”と密かに思ったのだそうだ。
その肝の座った姉も、すでに82歳。元気である。
10年ほど前、その姉の元へ「アサヒグラフ」から、戦前戦後の埋もれた画家の特集を組むと連絡があり、ほどなく祖父さんの絵は雑誌に載った。
それ以前にも「赤旗」の本部のロビーに祖父さんの大きな絵が飾ってあったらしい。
やがて「近代美術館」に祖父さんの絵が展示され、家族、親戚で見に行った。
東京駅のホームに政治家が汽車から降り立ち、出迎える人々と、反対のデモ隊とが衝突したところが、マンガチックなタッチで描かれた大きな絵だった。
少しだけやっと日の目を見た祖父さんの絵は、その後「近代美術館」にお蔵入りした。
今度、もし展示されることがあれば、もう少しきちんと見ようと思う。

懐かしい散歩から帰って、疲れたばあさんは、鼾をかいてお休みだ。
最近南千住界隈や、下町散策を積極的にしている訳が、これでおわかり頂けたかと思います。

飲んだくれの祖父さんと、飲んベェの父ちゃんの血を引いたオヤジの長い1日は、これで終わったわけではない。
この後さらにぐでんぐでんの夜が待ち構えているのである。
それは次回「東京蟒蛇倶楽部」を見よ!!


10:02:00 | mogmas | | TrackBacks