June 06, 2006

ポセイドン

カート・ラッセルは死なない男だ。
蓬髪に無精髭、またはキチッとしたGIカット、両目に強い意志をたたえているのもいいが、片目にアイパッチの似合う男だ。
仕立てのいいスーツを着て、娘に「パパ」なんて呼ばれている彼の映画はたいてい今イチだ。
まして、バックドラフトの消防士という設定だけで充分なのに、元NY市長なんて肩書きがなんで必要なんだろう。

1972年版では「ポセイドン号」は老朽船だが、今度は最新鋭の巨船だ。
それなのに通路やデッキに常備してあるはずの救命用具をだれもあてにしないのはなぜだろう。
懐中電灯だけでは困難を乗り越えられないのに・・・。
しかし、最新技術でこれでもか、これでもかのパニックと危機一髪のオンパレードは72年版を遥かに凌駕し、見終わったらお腹がいっぱいになってしまいます。
ウルフガング・ペーターゼン監督は、「Uボート」のカタストロフィを豪華客船に置き換えて人間を描いてくれればよかったのに、「ネバー・エンディング・ストーリー」のようなお遊びに夢中になってしまったのか、葛藤のない予定調和なおさらいにはなんの感動もない。

72年版のジーン・ハックマン扮する破天荒な牧師と文句ばかり言ってるアーネスト・ボーグナインの刑事の掛け合いと、神の試煉に立ち向かう過程での自己犠牲という重要なドラマの要素がすっかり抜け落ちて、ただのアクション映画になってしまったのは、最近の映画にありがちなさみしい傾向だ。
水中を潜って出口を探すシーンで同じように息を止めてみたが、オヤジはあえなく海の藻屑となってしまった。
しかしあの状況下で、女子供があれだけ潜れるとはとうてい思えない。
老いたリチャード・ドレイフェスは設計士という肩書きを名のるがただのお荷物で、若い船員“マップ”を蹴落としただけで何の活躍もしない。
エレベーターシャフトのシーンは、船員として当然のことをした“マップ”が従容として自ら死を選ぶことに意義があるんじゃないかな。

そして、不死身の男カート・ラッセルはきっと海の底から生還するのだ。
「ポセイドン・2」では、深海に潜む未知の生命体に助けられたカート・ラッセルが無限のパワーを授けられ、沈没した船の残骸から巨大ロボット・ポセイドンを作り、怪鳥ロプロスと黒豹ロデムを従え、国際テロ組織に乗っ取られたバベルの塔を奪還するというストーリーになる。
あ、監督は手持ち無沙汰になっちゃったルーカスくんにおねがいしちゃおうかな。
どう?

Posted by mogmas at 16:08:03 | from category: 映画の引出し | TrackBacks
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