September 26, 2006

祭りのあと-つま恋レポート6

  
浜松グランドホテル、午前1時。

シャワーのあと再びビール。

みんな日焼けした。
バンダナを被っていたオヤジは、おでこの半分から下が日に焼け、まるで下手なドーランを塗ったようなヘンな顔になってしまった。

まだまだこの調子なら、1975年の時のように朝までいけそうではあったが、やがて瞼と口が重くなってきた。
部屋に帰り、2秒で爆睡。

翌朝9時半起床。
家にいる時よりたっぷり睡眠を取ったおかげで今日も元気だ。

浜松は名古屋に近いから、きっと名古屋式のコッテコテのモーニングサービスがあるだろうと期待していたが、そんな喫茶店はないのだそうだ。
豊橋まで行けばありますよと、タクシードライバーが教えてくれた。
モーニングのために逆方面へ行くほど血迷っていなかったので、ここはご当地名物「うなぎ」にすることで一同意義なし。

浜松の駅周辺をウロウロ、やっと見つけた創業明治42年の老舗「八百徳」へ吸い込まれ、メニューの一番上に書かれている名物「お櫃うなぎ茶漬け」(櫃まぶし)と肝焼にまたまたビールで乾杯。
画像の表示ボリューム満点、絶品です。

すっかり満足して新幹線に乗り込む。
車内には「つま恋」の袋を持っている同世代がちらほら見える。
熱海下車。
旅の仕上げはやはり温泉にしたい。
駅近くの日帰り入浴をやっている旅館へ。
海と、キングコングとゴジラが戦った熱海城を見渡せる露天風呂で汗を流し、互いの日焼けあとを見て、しばしのんびり。

風呂上がりにお湿りを頂きたくて、道端の椅子に腰掛けていた酔っぱらいのおじいちゃんお薦めの居酒屋へ入る。
エビスの生と生シラスやタコワサビなどをつまみに、1時間ほど飲む。
新幹線の時間まで間があるので、いい気持ちの状態で土産物屋を片っ端から冷やかし、次々と試食品を食べ、土産を買った。

新幹線でつかの間眠り、東京駅で「こじこじ師匠」と別れ、残った3人は千住へ。
オヤジは仕込みをするために店へ、「ヒトリモン」はあとで根室の秋刀魚を持ってくると言い残して帰り、かあちゃんは帰りを待つ小僧とばあさんのために、すぐに食べられるものを買いに行った。

片付けと仕込みをしながら、現実に戻ったことを実感する。
しかし、まだ今日は終わっていない。
「♪祭りのあとの寂しさが、いやでもやってくるのなら♪」
再びビーサンで現れた「ヒトリモン」と、仕事を終えて帰ってくる「バーバーくん」を拉致し、最後の飲み会に出かけた。
ひとしきり飲んだあと、ゲーセンへ行こうと「ヒトリモン」が言い出し、酔っぱらい3人はプリクラを撮り、伊勢エビを釣りそこない、カーレースに熱中した。
タフなオヤジ共もさすがにヘロヘロになると、「バーバーくん」は呆れたように帰り、ビーサン先生とも別れて帰路についた。

たった1泊の旅だが、長い長い旅だった。
ステージで拓郎もこうせつも、「また10年後に会おう」とは言わなかった。
もうこの世にいない人もいる恐れがあるし、介護が必要な人ばかりのコンサートってどうよ。
しかし「♪それでもいつか どこかの街で 会ったなら 肩を叩いて 微笑みあおう♪」と誰もが思ったのではないか。
オヤジたちの31年はようやく終わった。
ただ今は、この思いのまま眠りにつくだけだ。
  
しかし、家に帰って平和な眠りを貪ろうと思っていたのに、林檎娘が長い手術期間を終えて退院していた。
20日あまりかかって戻ってきた林檎娘を放っておいて眠れるわけがない。
泣きそうな体力で林檎娘の梱包をほどき、ケーブル類を接続する。
懐かしい「ジャァ〜ン」という起動音を聞きながら待つことしばし、初期化されていないハードディスクには諦めていたデータが残っていた。
うれしさ半分、もうこれで充分という気分で林檎娘をスリープし、せっかくの温泉が台無しになるほど汗ばんだ身体にシャワーを浴びせる。
髪の毛が乾いていないのもかまわず、布団に転がり、10秒でご臨終。
頭の片隅に微かに「唇を噛み締めて」が流れていたが、それもフェードアウト。
さらば1975&2006、フオーエバーヤング・・・。

Posted by mogmas at 10:02:00 | from category: 前頭葉発熱親父 | TrackBacks
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