December 07, 2006

武士の一分


キムタクをスクリーンで見るのは、これが初めて。
時代劇の顔立ちじゃないなぁと思っていたが、これまた007同様、予告編とは大違い。
アップにたえられて、微妙な皮膚の変化、目配り、目の輝きで芝居ができる役者は、若手ではあまり見かけない。
山田組の息のあった“笑い”もそつなくこなし、立ち居振る舞いやズラもバシッときめている。
やるねぇ、木村さん。

山田洋次監督の時代劇三部作の最後を飾る本作も、庄内藩をモデルにした海坂藩が舞台でがんす。
わだしは、「たそがれ清兵衛」は映画館で見ましだが、「隠し剣鬼の爪」はなんもまだ見てねでがんす。
んださげ、えらそにいう資格はねぇでがんすが、清貧で清廉なおさむれいのはなしだば、よっぐ心にしみて、涙っこさ出てきてしまうでがんす。
山田洋次監督の、市井の人々を見つめる目線は、まっこと温っだがく、だけんど、人斬り包丁ぶら下げているおさむれいは、いつ何どき穏やかでなんもない日々が、殺伐とした修羅に変わってしまうかわからね危険さはらんでるっていうこと、劇的な展開さ、さりげない日々の積み重ねで見してくれるんでがんす。
人を殺めることを最終目的としね、復讐の連鎖をとめる、ゆるす、ってことを、生活のらくでね下級武士が、言葉少なに悟る。
ささえる女子のまなざしも暖かくってさ、丁寧につくられた映画だってことをひしひしと感じるでがんす。
監督の中では、「黒澤時代劇」というものを意識しているのかどうかわからねども、わだしは盲目のキムタクと敵の島田との果たし合いで、「椿三十郎」をちょいと思い出してしまったでがんす。
慣れね庄内弁は疲れるのー、このへんでやめっか・・・。

キムタクの役者としての実力がいかんなく発揮された本作ではあるが、彼を輝かせたのは、妻役の壇れいの存在が大きい。
「たそがれ清兵衛」の宮沢りえもそうだったが、きめ細やかで美しい日本の妻女なくして時代劇は成り立たない。
じつに着物が似合う。
しかも山田監督が意図してのことかどうかは不明だが、壇れいの斜め後ろからなめるように彼女の着物の尻をとらえたカットが多い。
じつに見事な尻。
若い娘の生活感のない頼りない尻ではなく、大人の、安定感のある、かといってデカからず、たおやかでやさしい尻は見事だ。
もういっきに、壇れいという女優に惚れた。
宝塚歌劇団恐るべし、手垢のつかない大人の女優の宝庫だ。
キムタクばかりに見とれてないで、すべての女性は壇れいの尻を見るべし。

思ったままの真実を伝えることも、オヤジの一分でがんす。


Posted by mogmas at 10:45:34 | from category: 映画の引出し | TrackBacks
Comments

持って一分:

しっかしなんだなー!
モグマスはダブル攻撃かい。おったまげたなー

あっしも励みます。
ところで、LIONのCM「キュプルン」にれいちゃんが出てるの知ってた?
キュプルン、キュプルンとか言っていたなー。
(December 07, 2006 14:06:05)

mogmas:

知ってはいるが見ていない。
目下テレビはアカネちゃんの録画だけしか見ていないのだ
(December 07, 2006 14:16:05)
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