February 23, 2007

画家・望月【晴朗】のこと・・・後日談

  
2006年8月22日に当ブログで「画家・望月晴郎のこと」と題して、結核病みで売れない画家だった祖父「望月晴一郎」のことを書いた。

昭和16年8月11日、43歳で早世した祖父の生前を語れる人は、その時点でも長女の「蘭子」と二女のばあさんしかいなかった。
飲んだくれで家族に貧乏を強いる父を、ばあさんはあまり心良く思っていなかったようで、ほんの一面しか祖父のことを語れないし、記憶もあいまいになる歳も歳だ。
そこへいくと、シャキッとしている伯母の「蘭子」は、
 
 「意にそはぬ世となりゆけば居酒屋の 酒を呑みては絵を描きイしと」

   「悶々の父今にしてわかる齢 馴染みの店に昼も酔ひイし」

という歌を詠むぐらいだから、祖父のエピソードをもっともっと記憶している筈だと
あてにしていたが、落ちついて話を聞く間もなく、先日逝ってしまった。

伯母の突然の死からちょうど2週間後、思いもかけず「東京国立近代美術館」のスタッフの女性からメールを頂いた。

その内容をかいつまんで言うと、
『当館では、昭和56年に《同志山忠の思い出》をご寄贈いただいて以来、作者である望月晴郎氏についてのくわしい情報を確認できずにおりました。
次回の所蔵作品展特集展示「孤独な群集−1920−1940年代の人間像」(3月10日−5月27日)に同作品を展示させていただくことになり、ご案内申し上げるとともに、下記の点につきご確認・ご教示願えないかと思い、ご連絡さしあげる次第です。

当館では作者名が「望月晴朗」と「朗(ほがらか)」の字で登録されています。
作品をご寄贈いただいた際に、何らかの示唆があったものと思われますが、当時の作品受入担当者もかなり以前に美術館を去り、現在ではその経緯がわかりません。
貴ブログでは「晴郎」と「郎」の字をお使いのようです。もしよろしければ、これを機にキャプション等の表記を改めさせていただきたいと思います。どうぞご確認ください』

というひじょうに丁寧かつ、アカデミックな問い合わせに対し、
「さぁて、そんなことはもうわからない。あの世にメールでもFAXでも入れとくれ」
と言うばあさんの記憶を掘り起こした質問の回答だが、
『当方のブログで「晴郎」としたのは単に本名 の「晴一郎」からそうしただけで、仔細な理由があってのことではありません。
また、「晴朗」については、当時本人が“気取って”名乗ったようだ と、ただ1人生存している「晴朗」の娘(母です)が申しております』
ということでありまして、正確に歴史を検証したり、整理されている方々には、大変申し訳ないほどのお粗末な理由である。

また、
『絵の所有権は当然もう遺族にある筈もなく、今回の公開で美術館の倉庫に永久保存され、もう日の目を見ることはないらしい』
と書いてしまったが、じつは、

『《同志山忠の思い出》は、折々に所蔵作品展で活用させていただいています。当
館職員のご案内が足りなかったためかと思われます。お詫び申し上げます』

だそうで、これまたたいへん恐縮至極。
おまけに、3月10日〜5月27日に開催される「孤独な群集−1920−1940年代の人間像」と、昭和初期に芸術家たちが集った「池袋モンパルナス」で異彩を放った画家「靉光(あいみつ)」の生誕100年を記念した展示会のチケットを、たくさん送ってくださった。

およそ芸術とはほど遠い“シジュウクサイ”オヤジだが、ばあさんの気と身体がたしかなうちに、もう一度画家・望月【晴朗】の作品を拝みに行くとしよう。
これをご覧の方々も、ぜひこの機会に「東京国立近代美術館」へお出かけ頂きたい。

画像の表示
《同志山忠の思い出》


まことにこの、ブログというのは、どこのどなた様が見てくださっているのか、計り知れないワケで、“いい加減なことをお気楽に書けないな”ということを、あらためて思い知らされるのであった。


Posted by mogmas at 15:00:41 | from category: 前頭葉発熱親父 | TrackBacks
Comments

koiwayoko:

去年久々に見に行ってもう当分見れないと思ってたのだけど、
また来月から展示されるとは感激!

一緒に観に行きたいところだけど、はてさて休みが合うかどうか(´・ω・`)

因みに祖母は、所蔵作品展として時折展示されてる事を知っていたご様子でした。
(February 27, 2007 19:39:36)
:

:

Trackbacks