November 14, 2005
ダイバダッタに陳謝!
インドの山奥で修行した、天下のヒトリモンGちゃんの話を、酒飲み話のように軽ーく書いてしまったが、実はオヤジの想像よりもはるかに厳しく長く孤独な修行だったようだ。達人や名人というものは、どんなジャンルでもそうだが、まず基本をみっちり習得し、それから長い年月の中で自分のスタイルを確立していくものだ。
最初のカチッとしたものを自分流にいかに崩していくかがとても大変なことで、その成果は素人にはなかなか理解できないものになる。
ピカソ然り。会田みつお然り。鈴木清順然り、なのだ。
われらがヒトリモンGちゃんも、20代の若い身空で単身インドへ赴き、仕事が休みの夏・冬の数週間、10年もの長きに渡り修行僧として彼の地の土にまみれていたそうだ。
仏陀が歩んだ道を、彼も経験したのだろう。
その経験で得たものをどこに生かすのかは、彼のみぞ知ることだ。
いずれにしても、仏のような酔っぱらいに転じるのは週末のみで、普段の彼は、朝暗いうちに起きてウォーキング、ウコンも飲んで気分爽快、仕事に精出すよきヒトリモンなのだ。
ついこの週末、ハマルとずっと居続けてしまう、当店のカウンター奥から2番目の席(知る人ぞ知る、伝説のウッチー席)で、開店間際から閉店まで座り続け、飲み続けたヒトリモンに、“オヤジ的インドのおもろいネタ”を聞き取り調査した。
例えば、象肉を使った雑煮の有無とか、例によってオバカなこと・・・。
で、取りあえず実行してみようということになったのは、インド人のように手でカレーを食うことだ。
熱々のカレーを手づかみで食べるには、けっこうコツがあるそうだ。
幼児の時に練習しておけばなんて事はなかったのに、厳格なお父様、お母様に蝶よ花よと育てられたお坊ちゃまなオヤジは、箸さえ器用に使えないってのに、とても手づかみなんて・・・。
それはそうと、インドでの修行中、食べた後の“出るもの”はどうしたかということだが、トイレの便器の左手には、チョロチョ
ロと水が流れていて、自分の左手でコウモン様を拭き清めたあと、その水で手をすすぐということだ。
だから、食事や握手をする時は右手を使うというのだ。
インドには左利きの人はいないのか ?
まあ、カレーを食うのだから、少々左手が黄ばんでいてもどうってことないか。
閑話休題。
「手づかみカレーの会」には、うまい具合にそこにいたAさんも無理矢理参加させることにして、まず衣装をインド風に揃え、額にポチッと黒点を書き、インドラな名前で呼び合おうと決めた。
指導者Gちゃんは「ダイバダッタ」、唯我独尊のオヤジは当然「ゴータマ・シッタールタ」、かあちゃんは「スジャータ」。
「スジャータ」 ? かあちゃんはコーヒーミルクかいっ! と突っ込みを入れそうになったが、さすがは指導者「ダイバダッタ」。「スジャータ」とは、激しい苦行では衆生は救えないと悟ったお釈迦様が、ふらふらになってやって来たときに、最初の食事を与えた女性の名だと解説してくれた。
納得。これからメシを作ってくれるかあちゃんを「スジャータ」と呼ぶことにしよう。
そしてAさんの名前は・・・、そこまできて酔いが回った我々「手づかみカレーの会」はふさわしいインドラな名前を思いつかず、Aさんは「レインボーマン」で取りあえずいいか ?
経験豊富な我々大人を、いい気持ちちゃんにさせたのは、泡盛「仁風」等々。
「手づかみカレーの会」はいずれ実行に移すとして、仕方ない、今夜はお開きだ。
だが「ダイバダッタ」Gちゃん、オヤジの不見識をお許しください。
改めてこの場で陳謝いたします。
ぜひ手づかみカレーの技をご伝授ください。
スチャラカベロンチョシッタールタより。
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