November 29, 2005
「三丁目の夕日」が滲んで見えた
“悪魔のあっくん”は老い先身近い己を知ってか、最近やたらと物事を性急にするきらいがある。
“まだ見てないのか、いつ見るんだ”とせかされた 「ALWAYS 三丁目の夕日」を見てきた。
オヤジが“悪魔のあっくん”と少々違うのは、見る場所を選んだことである。
この映画の主要な舞台は「夕日町三丁目」と、ああ「上野駅」だ。
となれば、やはり映画館も上野駅にした方がなにかとよろしい。
(そのなにかとは、次回のブログで判明する)
JR上野駅しのばず口から徒歩1分。西郷さんの銅像下にある「上野セントラル」はごく狭い劇場だ。
スクリーンの大きさも我が家の100インチに毛が生えた程度。
だから、誰の頭にも邪魔されない最前列の席で、ふんぞり返って見るのがベスト。
客の入りは7割といったところ。平日の午前中にしてはまあまあだろう。圧倒的に年配のカップルが多い。
オープニング。
スクリーンに「東宝スコープ」の天然色のマークが出ただけで、懐かしさでオヤジの目はウルウルしてしまう。
最近とみに涙腺が弱くなったのを実感するのだが、たわいもない場面で涙があふれてしまった。
その一つ。
「力王たび」ののぼり。
昔千住の駅前にも売っていた。今はコンビニになってしまった場所だ。
その二。
子供たちや“センセイ”吉岡秀隆の着ているセーターの袖口の綻びや、毛玉。ランニングシャツのこ汚いところ。
鼻を垂らしている子供はいなかったが、我がご幼少の頃は、袖口は冬場ともなれば擦り付けた鼻汁でカピカピのテカテカだった。
ああ、あげればきりがない。
30年代博物館のようなセットや小道具に、観客の大部分は「あった、あった」探検隊になってしまうのだ。
上野駅に到着した蒸気機関車から降りて来る集団就職の学生たち。女の子はお下げにおかっぱ、男の子はまるがりーた。
そうでなくっちゃ。
「ローレライ」の妻夫木くんに見習わせたい。
坊主頭は時代を語る。
吉岡秀隆“センセイ”のもとへ押し付けられた「淳之介」くんも「いた、いたこんな子」と思わせるいい雰囲気。
登場人物一人一人に、観客は「いた、いた」探検隊になって頷くのである。
難をいえば、薬師丸ひろ子のお母さんはきれいすぎた。
小雪はきれいすぎた。
顔が、ということではなく、佇まいがもう少し煤けていてもよかったのにな、と思うのである。
そこへいくと、堀北真希ちゃんの「六ちゃん」はいいね。
ぷっくりしたほっぺがほのかに赤くて、吉永小百合の青春映画のようで、東北なまりも可愛らしい。
おじさんは惚れちゃったかもしれません・・・。
今まで堤真一と吉岡秀隆にはさほどいい印象はなかったが、この映画で少し考えを改めました。
「寅さん」がいれば「みつおーっ、おまえもちっとは大人になったじゃねぇか」というだろう。
恋の結末もおじさん並みだ。
“悪魔のあっくんが”見ろ見ろというわけがやっとわかった。
なんせ、この映画にも“悪魔”が登場するのだから。
まあ、彼よりはずっと男前のあくまだが・・・。
ネタばらしをしてはいけないので、多くは書かない。
だが、40代以上の人の琴線には確実に触れる映画だと思う。
オヤジとしては、ユカちゃんやエリカちゃん世代が見たらどんな反応をするのかを知りたい。
あの時代を知らなくても、どこか懐かしい感情が揺さぶられるのではないだろうか。
貧しいけれど暖かいものは、きっと伝わるのではないだろうか。
ウルウルオヤジはそう思うのである。
重箱の隅をつつくのはやめよう。
いい映画であった。
Comments
ポンポン大将:
モグマスもなかなかいい文章を書きますね。
関心いたしました。
三重丸でーす。
関心いたしました。
三重丸でーす。
(November 29, 2005 16:49:38)
mogmas:
ありがとうございます。
本音をいえば、もっとハチャメチャに書きたいのですが・・・。
本音をいえば、もっとハチャメチャに書きたいのですが・・・。
(November 30, 2005 09:31:59)