May 26, 2006
ダ・ヴィンチ・コード
「トム・ハンクス」と外人が言うと、「トム・ヘンクス」と聞こえる。「レオナルド」は「レオ」と言いそうなもんだが、「リオ」と聞こえてしまう。
外人のくせに英語の発音がヘタクソだ。
もっと正しい英語教育の必要性が・・・、えっ、ちがう、おまえがおかしいって、あらそうなの・・・。
でまあいいや、この「リオ」様が昔々に書き残した絵画に秘密が込められていて、キリスト教・特にカトリック教会が震撼するような陰謀にたどり着いちゃうてぇのが、映画「ダ・ヴィンチ・コード」なんですな。
この「リオ」様の自画像自体がオヤジには神様のイメージに映り、「火の鳥」のなかでも明らかにそれとわかる人物が神のごとく登場したりする。
後世の人間の想像力をかきたてる、誰が何と言おうと神秘的な天才だよね。
大ベストセラーになる前に原作を読もうと、何度も本屋の店頭で原作を手に取ったが、なぜか買わずに今日まできたおかげで、労せずして映画でお先に体験できたのはラッキーだ。
結末?がわかった後でも、充分原作を堪能できると思う。
まったく西洋・キリスト教の歴史、教えにうとい「隠れキリシタン」の島出身のかあちゃんには、補足説明なしに映画だけでは何のこっちゃかわからないだろうが、そんな人でもルーブルや荘厳で神秘的な寺院や数々の史跡を巡る映像は、「世界遺産」を見ているようで楽しめると思う。
まだ原作を読んでいない人には、絶対見てから読むのをお奨めする。
原作のガイドブックがわりに見てもいいんじゃないかなぁ。
つまり、この映画の長尺では描ききれない複雑で深遠なエピソードはまだまだたくさん内包している筈だし、たぶんカットされた“さしさわり”のあるシーンなどは小説でなければ理解できないだろうしね。
麻原彰晃のかつての愛読書「ムー」や「ミステリーゾーン」でお馴染みの、オカルティズム満載のお話は大好きだ。
それをフィクションと済ませられず、上映中止やシーンのカットや“おことわり”のテロップを入れろだのと騒ぐ人は、盲信もいいところで、キリスト教が神の名の下に行って来た数々の弾圧、虐待、粛正はすでに歴史が語るところだし、清濁合わせ飲んだところで信仰の原点は揺るぎないはずだ。
だいたい三大宗教の教祖様が自ら書き残した教義はないわけで、弟子たちがそれぞれに解釈して残した原本か写本を元に、時の権力者や坊さんたちがまとめて教義と歴史を作ったのだ。
正史とは、ときに捏造され歪曲され、権力者のいいように書き換えられるのが世の習いじゃないか。
キリスト・新約聖書もそれは例外でない。
それをこの映画は教えてくれるし、そんなことをふまえて、オカルトを楽しむのが正しいのだ。
インディー・ジョーンズのように猪突猛進で、聖櫃や聖杯を求めれば、奇蹟の物語がおもしろおかしくできるかもしれないが、実際には地域限定の「神」の物理法則を超える超能力現象は有史以来有り得ない。
人類は男と女しかおらず、秘密も奇跡も凹凸の中に、陰と陽、ボケと突っ込みが謎を解く鍵なのだ。
聖杯もロンギヌスの槍も、円卓の騎士もテンプル騎士団も、フリーメイソンもシオン修道会も、お話を作るうえでは格好のネタの1つにすぎない。
「オーラの泉」や細木数子を信じる人は、この西洋の圧倒的な虚々実々の物語をたやすく受け入れてしまうだろう。
盲信・妄信こそが人が落ち入ってしまう「悪魔」であり、「地獄」じゃないんですかい。
神の光はあまねく我らを照らし、悪を成す者は自ら成し、罪と慈しみは人の内から生まれ裁きを下す。
卑小なる生に、神は干渉などせず、その先を推し量るのは愚かな生の執着である。
人の器の中でしか生きられない我らに、神が唯一与えたものがあるとすれば、それは想像力だ。
その中で人は飛翔し、時を越え、生ビールのうまさを実感するのだ。
なんかご不満でもあるのなら、「強殖装甲ガイバー」をお読み頂きたい。
神のごとき者「クロノス」に地球は支配され、降臨者=神へ向かおうとするのに、ガイバーが立ちはだかるんだよ〜ん。
20年かかって、ようやく23巻まで発売された。
宮崎アニメより前にハリウッドが取り上げたんですぜ。
とにかく、欧米人が自浄作用を行うことはいいことだ。
残念だが、日本ではこんな映画を作れないだろう。
しかし、事実は小説より奇なり。
先頃「ユダの福音書」が発見されたというのだ。
ダン・ブラウンもびっくりだろう。
ブラウンちゃん、これでさらなるお話のネタができてよかったね。
今度必ず読むけれど、今は「ヒストリアン」の方に取りかかっちまったよ。
神より竜=ドラキュラの方がおもろいんだよね。
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