January 12, 2006

20歳のターニングポイント

ばあさんは、板橋の老人病院へ行って、精密検査を受けた。
幸い入院するようなこともなく、来週また行って24時間の心電図を着けたりするらしい。
倒れた路面にはまだ血の跡が消えずに残っている。
77歳の鮮血は、ちょっとやそっとじゃ消えないほど濃いのだ。

天草のじいちゃんも、なんとかリハビリを始めて、食事も少しずつ取れるようになったとのこと。
南方戦線を生き延びた大正11年生まれの83歳、3月まではなんとか無事でいてほしい。

以前、区でやっている節目検診に行った時、40代、50代、60代が一緒に検診を受けるのを目の当たりにし、“オレはこのじいさんばあさんの仲間かよ”と愕然としたことを覚えている。
年齢を自覚するということは、よくもあり、わるくもありだが、今じゃオヤジになってよかったと思うことの方が多い。

成人式のニュースを見て、20歳のときは何をしていたろうかと思った。
成人式などに出席しようなどとは全く考えなかった。
六本木でお好み焼屋のバイトをしながら、映画三昧の日々だった。
ある日「井上陽水」などの舞台演出をしている常連さんが、新しい映画のスタッフの口を当たってやろうかと言ってくれた。
その人は関西人で、新人監督「井筒和幸」の知人だということで、彼の初メジャー映画「ガキ帝国」の下働きならなんとか潜り込めるだろうとのこと。
ただし、大阪の現場に3ヶ月間缶詰め、ギャラなしという条件。
その頃は日本映画不毛の時代だったので、映画の仕事があるとしても、ピンク映画の下っ端助手、女優さんの「前ばり」張りなどいい方だったかもしれない。
迷った。
迷ったあげくお断りした。
六本木で酒を覚え、小金を手にしたのがいけなかったのだ。
都内にたくさんあった「名画座」で、“自腹”で見まくることで満足感を得ていたのだ。
もしあの時「井筒」組の末席に入れてもらえたら、今の自分はなかったかもしれない。
かあちゃんと一緒になることもなかった。
でもいつかはやってやる、という根拠のない妙な自信のようなものがあったし、狭い六本木の街をイキがって闊歩していた。

20歳の若者がイキがっていられる時期はごくわずかだ。
たっぷりやんちゃをすればいい。
でも、自分で着られない着物を着付けてもらい、お役所からお呼ばれしたらのこのこ出かけて行って、群れなきゃ、カメラがなきゃイキがれないようじゃ、ケツの穴の小さい愚か者だ。
いつの時代もそんなか弱い若造がいる。
自分で気づくか、人から気づかせてもらうか、いずれにしても見苦しい様をさらしながら生きていくのだ。

モグランポでバイトをしてくれた、「ヨウコ」や「エリ」ちゃんや「ユカ」ちゃんの晴れ着姿を見たのは昨日のようだ。
みんないい子だったなあ。
ああ、すっかりオヤジになったもんだ。



11:52:00 | mogmas | | TrackBacks

渇いて渇いて困ってしまう

今年はじめてNくん一家が来てくれた。
今日のために娘のauちゃんはたっぷりお昼寝をしたらしく、絶好調ではしゃぎまくる。
幸か不幸か、正月休みの後の連休明けで、早い時間は貸し切り状態。
かあちゃんもたっぷりauちゃんをかまえるのだ。

Nくんはとてもオヤジ好みをわかってくれているので、またまたおご馳走を持ってきてくれた。
画像の表示黒伊佐錦の無濾過新酒。

ヒマなのをいいことに、早速味見。
香りが良く、咽越しが良い。
お早めにお飲み下さいと書いてあるので、これは頂かなければいけません。
ご返杯に「青酎」をご自由にお飲み下さいと、Nくん夫妻と初乾杯。
カパカパいってしまう。
「イブクロミチル」以来、喉が渇いて仕方がない。そのせいかどうか、本当にどんどん飲んでしまうのである。
気がつけば、もうボトルを半分以上空けている。

新たなお客様がみえて、お帰りになる頃には、もう本当に1本空けてしまうほどだ。
Nくんもいい感じになって、auちゃんも帰り支度をはじめた。
“また来てね、バイバイ”でnくん一家が帰ると、新たなお客様が続いた。
潤滑油が入っているので動きが滑らかだ。
定休日前の鉄板掃除も終わり、お掃除ビールも飲んで、やっぱり「黒伊佐錦」は空になってしまった。
今年も燃費が悪く、酒のエンゲル係数が高そうだ。

家に帰り、ヘロヘロな字で伝票を書き、「林檎」を立ち上げたところまでは覚えている。
だが、またしてもマウスを握りしめて眠ってしまい、目覚めて歯を磨いてパジャマに着替えたのは午前5時のことだった。
喉が渇いて渇いて仕方がないので、牛乳をグビグヒ、水をガブガブ、タップンタップンの腹で再び眠りについたのである。


09:59:00 | mogmas | | TrackBacks