June 30, 2006

インサイド・マン

   

映画の「銀行強盗」「完全犯罪」というと、緻密な計画がもう一息と言うところで綻び、仲間割れや取り締まる側との確執で土壇場で頓挫するというパターンと、能天気なまでのラッキーの連続でまんまと逃げきる、というどちらかであると思うが、「インサイド・マン」は、そのどちらでもない。
映画の冒頭、犯人側のリーダー「ダルトン」の独白は、よほど注意していても解けない、ラストまで引っ張る謎掛けとして観客をケムに巻く。

いかにもニューヨーカーといった感じの、シャレたオープニング・タイトルにのせて、インドの陽気なポップス「チャイア・チャイア」が流れ、ゲンナマを巡る殺伐とした「銀行強盗」映画ではなさそうだと予感させる、スパイク・リー監督のセンスが光る。
“人種のるつぼ”マンハッタンの銀行でおきた強盗事件で、立てこもった犯人は人質全員に同じ格好をさせ、NYPDを混乱させる。
時おり挿入されるフラッシュ・バックで、尋問を受ける人々も、一人また一人と解放される人質も、人種、年齢、性別は異なるが、犯人グループと同じジャンプスーツとフード、覆面をしてしまえば、ナニ人だろうと関係なく、全員が犯人であり人質であるという設定は、人種問題をテーマにやってきたスパイク・リー監督ならではの描きどころであるのかもしれない。

人質交渉にたつ「フレイジャー」捜査官(デンゼル・ワシントン)を筆頭に、黒人俳優がやたら目立つような気がするし、犯人のかく乱で流される「アルバニア」語や、警官に人種差別になる言葉は慎めと言わしめたり、スパイク・リー監督は執拗にそれにこだわる。
しかし、けっして教条的な匂いはなく、ジョディ・フォスター演じる弁護士「マデリーン」と対立する「フレイジャー」に、「そのうち黒い尻にキスする」と言わせ、犯人「ダルトン」は「フレイジャー」捜査官を「セルピコ」と評し、なにより物語の核心はユダヤとナチスの秘密にあるのだ。
しかし、この映画は人種問題を扱うものではなく、あくまでエンターティンメントのクライム・サスペンスだ。

デンゼル・ワシントンはやはりうまいし、クライブ・オーウェンは「クローサー」のときとはまるっきり雰囲気を変え、覆面とサングラスの演技も様になっている。
ジョディ・フォスターは皺が目立って、ちょっと悲しかったが、アクションはなくても相変わらず戦う女だ。
脇を固めるウィレム・デフォーやクリストファー・プラマーもとてもいい。
映画自体は、予告編から受ける印象よりもかなりよかった。
ただ、いくつかわからないシーンがあったので、DVDが出たらもう一度確認のために見ようと思う。

ジョディ・フォスターがオフィスで使うiMacや、犯人の1人が利用するiPodなど、林檎ユーザーにはうれしいサービスカットもある。
ハリウッドは実によく林檎を使ってくれるのだ。


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June 29, 2006

箪笥

  
「韓国美少女ホラー」ということで、一頃けっこう目についていた作品だが、ブームに当て込んで、なんでもかんでも“韓流”にいささか食傷気味だったため、気にはしていたが見るまでには至らなかった。
しかし、最近のオヤジには恐怖が不足しており、身の毛もよだつような体験が味わいたかった。
どこの国のものでもかまわないが、とにかく怖がらせてほしい。
夜中にトイレに行けないほど、何度も背後を振り返ってしまう、恐ろしい映像体験を欲しているのだ。

それではと試しに「箪笥」を借りてみた。
韓国の俳優さんは、かつての日本映画のように熱い演技をする人が多いが、女優さんもまた多彩だ。
今の日本では絶滅危惧種の「黒髪、清楚、清純」の乙女が、この映画には登場する。
美少女は狂気と薄幸と試煉を身にまとい、惨劇の予感を漂わせ、運命の糸に操られる。
映像はとても穏やかに、ていねいに、恐怖の序章を描いていく。

山の中の湖の畔に建つ、和洋折中ならぬ韓洋折中の別荘が惨劇の舞台。
継母と思われる女性と姉妹の確執、秘密を持っていそうな父は娘に距離をおかれ、伏し目がちでなにも言い出せない。
なにやらギクシャクした家族の関係の中で、姉だけをたよりにする妹の身に何かがおこることを匂わせて前半が過ぎる。
タイトルの「箪笥」というのは小ぎれいな洋服ダンスらしく、引出しつきの服をたたんでしまう箪笥ではないのに、まず裏切られる。

ピアノの鍵盤を激しく叩くような「びっくり音」や、糸の切れた操り人形のような動きの幽霊、継母の狂気の表情など、「ここは怖がるところですよ」というおなじみのシーンがしだいに増えてくる。
灯りを消し、ヘッドホンをつけて観賞しているオヤジは、その時背後に蠢く気配を感じて、一瞬ゾワ〜ッとする。
音もなく階段を上がり、最上段に両手を添えてこちらを見ているのは、だれあろう、ばあさんであった。
「まだ、おきてるのかい?」
ああ、びっくりした・・・。
大きなお世話だ ! とっとと寝てくれ !

結局「箪笥」には、たいして恐怖するようなものはモノは入っていなかったのである。
箸が転んでも怖がる若い娘ならともかく、オヤジを脅かすには至らなかった。
今夜一番恐ろしかったのは、目から上を階段から覗かせてこちらを見ていたばあさんであった。
美少女の狂気も怖いが、ばあさんの無表情はもっと怖い。
もし「箪笥」からばあさんが出てきたら、そりゃぁもう怖い。
そんなふうになったら、再び老人病院へ連れて行かなけれゃあならないもんね・・・。

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June 28, 2006

プレデターX

たいへんな駄作にまた巡り会ってしまった。
「尻怪獣アスラ」以来の産業廃棄物だ。
「尻怪獣アスラ」はまだオバカを前提に低予算のお遊びとして成立するが、このしょーもないDVD作品「プレデターX」は、一応まじめに作っているふりをしているところが許せない。
あまりのダメダメさ加減に、腹の立つのも忘れて最後まで見てしまう。

新作で出ていたときからそのタイトルは知ってはいたが、今回魔が差したのは、よくよく手に取ってパッケージを見たら、「あのプレデターのVFXスタッフが結集・・・」「コッポラファミリーの新たなる才能・・・」云々と、よくまあ、臆面も無く見え透いたことを書き並べたもんだと、あきれついでに借りてみることにしたのだ。
だいたい本家「プレデター」にしたって、「エイリアンVSプレデター」に至る長い道のりにも様々な紆余曲折があり、一筋縄ではいかなかったのだから、コッポラ・ブランドをかさにきたって、そうそう「プレデター」を名乗れるもんじゃないだろう。
案の定原題は「ザ・クリーチャー」だ。

クリストファー・コッポラという監督が、ファミリーの中のどういう位置づけなのかは知らないが、ワイン工場での辛い労働の日々に耐えられなくなって、「ねぇ、おじさん、僕にも映画を撮らせておくれよぉ」とおねだりするような甘ったれた若造に違いない。
制作者サイドも、ソフィア・コッポラの成功があったので、コッポラ・ブランドでいくらかは稼げると思ったのだろう。
しかし、やらせてみたらとんでもない、運動会のお父さん並の技術とセンスしか持ち合わせていないのがさらけ出され、もう後戻りできないから、アメリカじゃあ、本編に出てくるような田舎のドライブインシアターでお茶を濁し、あとは何にも事情をしらないジャップに、コッポラの「プレデター」ものでござい、と売り込んだ、ということですかい?
買い付けてきたヤツもしたたかで、パッケージは「東スポ」ノリで煽りまくり、レンタルならではのパクリ商品の出来上がりだ。

まあ、こんなことをいっていますがね、B級、C級好きは見てくださいな。
まちがいなくこれはD級のトップですよ。
よくまあ企画、シナリオの段階で「やめようよ」とならなかったかと、アメリカ映画産業の奥の深さを考えさせられます。
この映画に関して、ネタバレなどということはまったく気にしなくてもいいでしょう。

「プレデター」とは似ても似つかぬ弱っち〜ぃ化け物は、人の頭を丸かじりするほど獰猛で、空も飛べる能力を持ちながら、ほとんどプー太郎同然のスキンへッドの白と黒の中途半端にガタイのデカイお兄さん二人に、こともあろうに素手で葬られてしまいます。
砂漠の田舎町にある謎らしきものは、ついにわからずじまいのハッピーエンドであります。
このクソ映画が数年して「カルト」などと言われていたら、もはや人類は文化や芸術というものを完全に喪失したといっていいかもしれません。
そんな意味では記念碑的な作品だったりして。

・・・わたしの貴重な時間を、かえせーっ!!

18:26:00 | mogmas | | TrackBacks

小僧の石


夕方、いつものように、働いている福祉作業所から小僧がニコニコしながら帰ってきた。
店に入って来るなり「でた!でました!」と大声をあげ、満面の笑みでバッグをまさぐり、小さなビニール袋を取り出した。
「何がでたの?」と訊ねると、「石がでました。本日11時45分にでました」という。
「トイレででたの?」と聞くと、「そうです。作業所のトイレで11時45分にでました」と答えた。
うーん、正確に時間まで記憶しているとは、よほどうれしかったのだろう。

ビニール袋に入っている鼻クソほどの大きさの物体は、軽石のような質感で、しかしこれが体内で成長し、尿道を通って排出されるまでには、どれほどの時間を要したのだろうかと思う。
痛み止めと、石を溶かすクスリを飲んでいたことと、若さのために、苦痛を訴えてからさほど時間がかからず異物はでてきたが、入院も手術もすることなくて本当によかった。

若いから放尿にも勢いがあるのだろうが、よくまあ痛みも無く飛び出たものだ。
それをキンカクシに手を突っ込んでつまみ上げた小僧も冷静だったが、袋に入れてくれて持たせてくれた作業所の職員の方にも頭が下がる。
オヤジを筆頭にかあちゃん、ばあさんと続く石の犠牲者は、しかし誰もまだ現物の石を見たことはなかったのだ。
「でたぁ、ついにでたぁ」と凱歌をあげて、石の苦しみから解放された小僧は帰って行った。

その夜、あらためて石の鑑賞会がおこなわれた。
画像の表示爪楊枝と比べてもこの大きさ。
こんなもの一つで、大の男が脂汗を流し、七転八倒の苦痛を味わうのだから、巨大な胆石を抱えた人はそれこそ地獄だろう。
人間は残念ながら、ニワトリとか恐竜のように、石を利用できないのだ。
今後も「砂肝」を食べるのは要注意だな・・・。

眠る前の一時、オヤジの頭の中では「吉田拓郎」の「ローリング30」の一節、「ローリング30 動けない石になるな ローリング30 転がる石であれ」が流れていた。


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June 27, 2006

ガムとタコ焼の一気食い


雨がシトシトの月曜日、あばら骨がシクシク痛むわたくしは、イトーヨーカドーに行ったのであります。
陽気のせいでお客様は少なく、わたしくしは目当ての「辛み大根」を求め、店内を回遊していたのであります。

わたくしは、以前より「歯竹つよし」になるべく、グリコの「POsCAM」を噛む習慣がありました。
その時も2、3粒口の中に放り込み、クチャクチャしながら物色していたのであります。

探してはみたものの「辛み大根」は発見できず、どうでもいいものをカゴの中に入れ、レジに向かおうとすると、妙齢のユニホームをまとった婦人が、わたくしを呼び止め、「ご試食いかがですか?」とにこやかに微笑み、小さなアルミのトレーにのせた「タコ焼」を差し出したのであります。

わたくしは一瞬戸惑いながらも、反射的にトレーを受けとり、口中のガムを右奥へ押しやり、見つめ続ける婦人の視線を受け止めながら、楊枝に刺さった「タコ焼」を仕方なく口の中へ押し込みました。

クチャクチャと柔らかい生地が口中にあふれ、隅に追いやった筈のガムと融合し一体となり、えも言われぬ食感を持て余し気味に口を動かしているわたしくしは、なおも視線をそらさない婦人の手前、ゴックンと飲み込んだのでありました。
あとに残ったのは、行き場の無いモロッコ産かインド洋のタコのみで、縮こまった足をわたくしの歯に噛みちぎられ、味あうヒマもなく胃の腑へ飲み込まれていきました。

試食の成果を見届ける義務でもあるのか、微笑みながらわたくしの前を動こうとしない婦人は、あろうことか「もう1ついかがですか?」と「タコ焼」のトレーを差し出すのである。
わたくしは妙齢の婦人を失望させるような愚を犯す、野暮な“もののふ”にはなりたくないので、小さく頷きトレーを受けとり、一口に「タコ焼」を平らげたのでありました。
マヨネーズとオカカで彩りされた「タコ焼」は、わざわざ試食しなくても、縁日やイベントでおなじみの「まあ、タコ焼かな・・・」という類いのお味で、とても目の前の婦人を抱きしめて「ブラボー!」と叫ぶほどのものではありませんでした。

婦人もそんなことは先刻承知であるのか、ヒマな時間にノルマの「タコ焼」2個をさばいたことに満足したのか、先ほどとはうって変わったドライな態度で、わたくしの前を去って行ったのであります。
放心したわたくしは、ガムと「タコ焼」の奇妙な後味に戸惑いながらも、レジで会計を済ませ、イトーヨーカドーを後にしたのでありました。

“ウン”がよければ、わたくしの体内でガムと「タコ焼」がコラボレーションを繰り広げた結果が、明日の朝拝めるかもしれません。
好奇心の強い御仁は、ぜひこの違和感の無い組み合わせをお試し頂きたく、イトーヨーカドー千住店へガムを噛んでお出かけになってはいかがでしょうか。
ガムは「お口の恋人」ですが、「タコ焼」との相性はどうでしょう?
百聞は一見にしかず、ご自分の身をもってご体験ください。


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