February 28, 2007

決算大作戦

  
「おはよう、ヘルペスくん。
今回の君の使命は、1年間の総決算にケリをつけることにある。
君にはもう残された時間はごく僅かだ。夜も寝ないで、昼寝して、なんとしても今日中に書類を仕上げることだ。税務署に弱みを見せてはならない。無駄なゼニを一銭たりとも払ってはならない。
そのために、辛い断食の日々を過ごしてきたのではないか。カッチリと任務を果たし、美酒に酔え。
だが例によって、君もしくし林檎娘がフリーズしたり、クラッシュしたりしても、当局は一切関知しない。死ぬ気で最善を尽くしてくれたまえ。
尚、この文章は保存しなければ自動的に消去される。
では、健闘を祈る・・・・・」

悪夢で汗びっしょりになって飛び起きたオレは、前夜の酒を振り払うように熱いシャワーを浴び、大振りのカップで苦いコーヒーを2杯飲み、愛機「林檎娘」を立ち上げた。
早速、士気を高めるため音楽CDをドライブに放り込む。
この日のためにTUTAYAさんで大量のCDを借りてあるのだ。(自慢じゃないが、iTunesは愛用していても、一度も曲をダウンロードしたことはない)
最初の曲は「Eye Of The Tiger」。
サンドバックを連打するロッキー・バルボアのように、激しくキーボードを叩き、次々と数字を入力していく。
いいぞ、「The Rocky Story」と題したサウンド・トラックで弾みがついたオレは、瞬く間に第1関門を突破。
続いて、なぜかマイケル・ジャクソンの「Thriller」を選んだオレは、もはやノリノリで「アォゥッ ! 」と、朝っぱらから叫びを上げ、恍惚の状態でキーボードを叩き続け、第2関門も安々とクリア。
映画音楽のサウンド・トラックCDを聞きながら、昼が過ぎ、午後の倦怠をやり過ごすように「Louis Armstrong」と「Nat King Cole」のベスト・アルバムへと移り、峠が見えてきた頃にだめ押しの「John Coltrane」で、むせび泣くようなサックスにシャウトしつつ、ついに最終段階を向えた。
最後の仕上げのチェック作業に、自ら編集した「吉田拓郎マイ・ベスト」で、鼻歌まじりに作り上げた書類の検証をし、まだ日も高い午後3時過ぎにすべてのミッションが完了した。
税務署職員が一辺の疑義もはさめない、己のスキルの高さに満足しつつ、明日提出する書類をまとめカバンに収めた。

作業所から帰ってきた小僧に、「風呂だ」と一言、銭湯モードに入った。
近所の風呂屋に「赤い手ぬぐいマフラーにして」小僧と出かけ、体重が増えていないことを確かめ、ヒイヒイのぼせる寸前まで湯に浸った。
もはやこの後は、冷えたビールをベランダで飲むこと以外思い浮かばない。
汗をふきふき、急いで家に帰り、缶ビールを握りしめてベランダへ出た。
風に吹かれながらビールをグビクビし、「決算大作戦」が終了した実感がようやく湧いてきたのだった。
さあ、明日から断食解禁だ。
そして、対「ヨウコリン」に向け、プールがはじまるのだ。

ちなみに、オレはヘルペスではないことをここで明らかにしておく。

18:36:38 | mogmas | | TrackBacks

February 25, 2007

強風の恐怖

  
風がものすごく、バイクに乗っているとヘルメットが持っていかれそうで、千住新橋の上では横滑りしそうな勢いだった。

道端に止めてある自転車は、横倒し、将棋倒し、腰の曲がったおばあさんは、風に押されてトットと歩かされている。

どこかから飛ばされてきた看板の破片らしき物が、バイクの前をかすめて前上がっていった。
危うくぶつかるところだった。

国道4号線の「バーバー」交差点を左折、店へ向って進んでいくと、前方から左の耳に携帯電話をあて、右手でハンドルを握った、ミニスカートの茶髪のオネェちゃんがセンターラインを超えて、真直ぐオヤジのバイクに向ってくるではないか。
顔は前方を見ているようだが、心の目は携帯の向こうの相手にそそがれ、まったく対向車線のオヤジに注意を払っていないのが明白だ。
直ぐに停まれるようにブレーキをかけ、スピードを落とした。
そのとき、一陣の突風が茶髪のオネェちゃんを直撃、中国雑技団とはほど遠いバランス感覚の片手ハンドルは、ヨロヨロッとしたかと思うと、オヤジのバイクの直前で横倒しになった。
しかし、理不尽なプライドの高さだけは持ち合わせているオネェちゃんは、なんとか片足でふんばり、死んでも携帯は離しませんとばかり、スッテンコロリンだけはまぬがれて、「チクショウ ! 」と携帯に一言、その時はじめてオヤジに気づいたとでもいうように、ものすごい形相で睨みつけ、火事場の馬鹿力よろしく、自転車を片手で立て直し、「なに見てんだよ。このクソオヤジ」という一瞥を残し、脱兎の如く通り過ぎて行ったのである。

嗚呼、恐ろしい。
こんな「我が道を行く」「世の中アタシ中心に回っている」オネェちゃんを轢かないでよかった。
風の神様は、バッカスの神の断食をちょっとだけ破ったオヤジに罰を与えようとされたのでありますか ?
それとも、ラーメン屋さんでお忍びバイトしている「アベ総理」に、国会で「携帯片手ハンドル運転禁止法案」を具申せよと申しているのでありましょうか ?
「美しい国」には、携帯も茶髪も片手ハンドルも不要ということでありましょうか ?

皆様、強風にはくれぐれも注意をしてくださいませ。


14:51:43 | mogmas | | TrackBacks

February 23, 2007

画家・望月【晴朗】のこと・・・後日談

  
2006年8月22日に当ブログで「画家・望月晴郎のこと」と題して、結核病みで売れない画家だった祖父「望月晴一郎」のことを書いた。

昭和16年8月11日、43歳で早世した祖父の生前を語れる人は、その時点でも長女の「蘭子」と二女のばあさんしかいなかった。
飲んだくれで家族に貧乏を強いる父を、ばあさんはあまり心良く思っていなかったようで、ほんの一面しか祖父のことを語れないし、記憶もあいまいになる歳も歳だ。
そこへいくと、シャキッとしている伯母の「蘭子」は、
 
 「意にそはぬ世となりゆけば居酒屋の 酒を呑みては絵を描きイしと」

   「悶々の父今にしてわかる齢 馴染みの店に昼も酔ひイし」

という歌を詠むぐらいだから、祖父のエピソードをもっともっと記憶している筈だと
あてにしていたが、落ちついて話を聞く間もなく、先日逝ってしまった。

伯母の突然の死からちょうど2週間後、思いもかけず「東京国立近代美術館」のスタッフの女性からメールを頂いた。

その内容をかいつまんで言うと、
『当館では、昭和56年に《同志山忠の思い出》をご寄贈いただいて以来、作者である望月晴郎氏についてのくわしい情報を確認できずにおりました。
次回の所蔵作品展特集展示「孤独な群集−1920−1940年代の人間像」(3月10日−5月27日)に同作品を展示させていただくことになり、ご案内申し上げるとともに、下記の点につきご確認・ご教示願えないかと思い、ご連絡さしあげる次第です。

当館では作者名が「望月晴朗」と「朗(ほがらか)」の字で登録されています。
作品をご寄贈いただいた際に、何らかの示唆があったものと思われますが、当時の作品受入担当者もかなり以前に美術館を去り、現在ではその経緯がわかりません。
貴ブログでは「晴郎」と「郎」の字をお使いのようです。もしよろしければ、これを機にキャプション等の表記を改めさせていただきたいと思います。どうぞご確認ください』

というひじょうに丁寧かつ、アカデミックな問い合わせに対し、
「さぁて、そんなことはもうわからない。あの世にメールでもFAXでも入れとくれ」
と言うばあさんの記憶を掘り起こした質問の回答だが、
『当方のブログで「晴郎」としたのは単に本名 の「晴一郎」からそうしただけで、仔細な理由があってのことではありません。
また、「晴朗」については、当時本人が“気取って”名乗ったようだ と、ただ1人生存している「晴朗」の娘(母です)が申しております』
ということでありまして、正確に歴史を検証したり、整理されている方々には、大変申し訳ないほどのお粗末な理由である。

また、
『絵の所有権は当然もう遺族にある筈もなく、今回の公開で美術館の倉庫に永久保存され、もう日の目を見ることはないらしい』
と書いてしまったが、じつは、

『《同志山忠の思い出》は、折々に所蔵作品展で活用させていただいています。当
館職員のご案内が足りなかったためかと思われます。お詫び申し上げます』

だそうで、これまたたいへん恐縮至極。
おまけに、3月10日〜5月27日に開催される「孤独な群集−1920−1940年代の人間像」と、昭和初期に芸術家たちが集った「池袋モンパルナス」で異彩を放った画家「靉光(あいみつ)」の生誕100年を記念した展示会のチケットを、たくさん送ってくださった。

およそ芸術とはほど遠い“シジュウクサイ”オヤジだが、ばあさんの気と身体がたしかなうちに、もう一度画家・望月【晴朗】の作品を拝みに行くとしよう。
これをご覧の方々も、ぜひこの機会に「東京国立近代美術館」へお出かけ頂きたい。

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《同志山忠の思い出》


まことにこの、ブログというのは、どこのどなた様が見てくださっているのか、計り知れないワケで、“いい加減なことをお気楽に書けないな”ということを、あらためて思い知らされるのであった。


15:00:41 | mogmas | | TrackBacks

February 22, 2007

おNewの自転車

   
小僧の自転車が盗まれてから一週間。
犯人も自転車も出てこないので、あきらめて新しい自転車を買った。

街中の自転車屋さんも覗いてみたが、ピンとくるものがなくて、今イチそそられないまま、東急ハンズの自転車コーナーを冷やかしたら、一見して「いいじゃな〜い」という自転車に出会った。
スタイルもカッコいいが、お値段もこなれていて、小僧が乗るには丁度いい。

おNewの自転車
おNewの自転車 posted by (C)084-jan

ハンドル・グリップのところに6段のリア・ディレイラーのチェンジ・ダイアルがあり、暗くなると自動点灯するライトなのもうれしい。
ステンレスの前カゴもしっかりしているし、これでお値段17,800円はお買い得、でしょう ?

うれしくってニヤニヤしている小僧に、「止めるときは鍵を必ずかけること」「曲がり角では止って右左を確認」「人の多い所ではスピードを出さない」と念を入れて言い聞かせた。

防犯登録がしばらくかかるので、店内を見ていたら、オヤジの琴線に触れる本命の自転車を発見してしまった。

RALEIGH
RALEIGH posted by (C)084-jan

懐かしい !!
30数年前は「ラーレー」と表記していたような気がするが、ツーリング心を刺激する英国の名車「RALEIGH/ラレー」だ。
「RALEIGH/ラレー」の歴史はそのまま自転車の発展の歴史と重なる。
そればかりか、これまたオヤジのツーリング心を焚き付ける「TRIUMPH」も、今では「RALEIGH/ラレー」のグループで、モーターサイクルの分野でもなかなかの実績があるのだ。
自転車がまだ空気入りのタイヤや、フロントフォークの絶妙な曲線による衝撃吸収機能を持たない130年以上前は、路面の振動をもろに乗り手が受けるという意味で「ボーンシェーカー」(骨を揺する)と呼ばれた。
その頃から現在まで、「RALEIGH/ラレー」は様々な自転車の基本的なパーツを開発し、「Alex Moulton」博士の画期的なミニBicycleなど、数々のブームになった車種を送り出してきた。
昔は輸入車なんて、恐ろしく高くて、お金を持った大人の“床の間自転車”だといって斜に構えてみていたが、実はとっても憧れていて、優雅なフランス車もいいが、質実剛健という感じの英国車の魅力もまた捨てがたいと、秘かに思っていた。

そんな「RALEIGH/ラレー」のスポルティーフに近い、しかし古き良き時代の息吹を感じさせるランドナーが、なんと8万円しない値段で買えるようになったとは。
どうだ、このハンドルステムのクラシカルでカッコいいこと。
やっぱり、ツーリング車はドロップハンドルに限る。
欲しいっっ !!
今から「RALEIGH/ラレー」貯金をはじめて、秋口には「横浜のふとっちょくん」に見せびらかせるようになれればいいが・・・。









14:59:23 | mogmas | | TrackBacks

February 21, 2007

ヤマちゃん

 
夜11時過ぎに店を閉め、北千住駅の東口を少し行ったところで「こんばんは!」と、声をかけられた。
声の主を見れば、寒い夜だというのに、Tシャツと薄手のジャケットだけの軽装で、鍛えられた胸板が服の上からも見てとれる。
一瞬誰だかわからなかったが、「ヤマちゃん!」とかあちゃんが言ったので思い出した。

あらためて顔を見れば、間違いなく「ヤマちゃん」だ。
それにしてもしばらく会わないうちに、ずいぶん精悍な若者に様変わりしたものだ。
どこか、メジャーに行った松坂大輔を彷彿させる。
「こんな夜にどこ行くの?」
と問うと、
「家、帰るんです」と言う。
「家って、今どこに住んでんの?」
「取手のちょっと先のアパートっす」
その言葉で、オヤジにはピーンときた。
厚い胸板、逞しい太もも・・・、間違いない !
彼は再チャレンジ、しかも本気モード全開で、夢に向って疾走しているのだ。

「ヤマちゃん」は先日お嫁さんになった「エリカちゃん」と一緒で、小僧の小学校の時の同級生だった。
当時から運動がよくできて、走るのも速かった彼は、体育の時間にはいつも小僧に付きっきりで面倒を見てくれた。
運動会のリレーでは、闘争本能がまったくない小僧が、観客の中にオヤジやかあちゃんの顔を見つけると、ニコニコと立ち止まってしまうので、そんなとき「ヤマちゃん」が駆け付け、小僧の手を引いて一緒に走ってくれるのが常だった。

そんな頃から「ヤマちゃん」の夢は競輪の選手になることだったらしく、一時は競輪学校に入るも、なぜかドロップアウトし、アルバイトなどしながら、茶髪の彼女と何度かモグランポへも食べにきてくれた。
しかし、鬱々とした日々だということは、仔細を聞かなくても顔を見ればわかった。
あれから、2、3年ほどは経っているだろうか。

「すっごい、固いねーっ」
おばさんの図々しさで、遠慮なく「ヤマちゃん」の胸板をつついたかあちゃんがため息をもらす。
やはり彼は競輪学校に戻り、鍛えに鍛えたようだ。
デビューは4月に決まったという「ヤマちゃん」の顔は、迷いが吹き飛んだ勝負師の顔つきになっていた。
夢のとば口に立ち、いままさに飛び出さんとする若者の全身から、とても清々しく力強いオーラがにじみ出ている。

「応援してるからね」と励ますと、
「ありがとうございます !」とはにかんで頷いた彼の表情に、いたずらっ子の小学生の面影を見たオヤジは、またまたうれしくなってウルッときてしまった。

走れ 、「ヤマちゃん」 !
なけなしのゼニ持って、オヤジも競輪デビューしちゃうよ〜。
お願い、倍にふやしてぇぇぇぇ〜。

                      イヤだね、生臭い大人は・・・・

14:59:37 | mogmas | | TrackBacks